第3話 活動

「……あの、私、一目見た時から先輩のことが――」


 顔を真っ赤にした女子生徒が目の前の男子生徒に告白している。

 瑠凪は二人から少し離れた高い場所でそれを見ていたが、想いを告げられるのが容易に想像できる状況において、男子の反応は芳しくない。

 いや、わざわざ呼び出しに応じているし、二人が恋人の一歩手前まで意識しあっているのは理解していた。

 男子生徒のそれは拒否からくるものではなく、踏ん切りがつかないといった風だった。


「好きです! 付き合ってください!」


 上ずった声が響く。

 あたりには誰もいないため――瑠凪が仕向けたのだが――互いに人目を機にする必要はない。


「よく言った」


 瑠凪は呟いてガッツポーズする。

 対して男子生徒は、自分がこの子を幸せにできるだろうかと勇気が出ない様子。

 

「……よし、ここだ……」


 頃合いを見計らっていた瑠凪は、足元に置いていたバッグからスプレー缶を取り出す。

 それをシャカシャカと振ると、二人の頭上から気付かれないように噴射ボタンを押した。


「…………わぁ」

「これって……」


 四月だというのに雪が降っていた。

 突然の贈り物。

 それは、二人の心を繋ぐには十分すぎるもの。

 

「ダメ押しだ……」


 上を見る二人の死角。

 瑠凪はそこから、男子生徒の手のひらに向かって何かを投げ込む。

 不意に触れた冷たい感触に男子が下を向く。

 眼鏡の奥の目が見開かれる。


「…………雪の結晶だ」


 ご丁寧にも、雪の結晶を模したものを氷で作っておいたのだ。

 肉眼でも確認できる大きさのそれは、彼にとって吉兆と言うほかない。


「伝えてくれてありがとう。俺、君のことを幸せにできるか分からないけど、二人で頑張っていこう」

「……は、はい! よろしくお願いします!」

 

 二人の大学生は恋人へと変わり、手を取り合っている。


「……ふっ。これが青春だ……」

 

 瑠凪は満足気に笑うと、テキパキと荷物をしまい、二人にバレる前にその場を後にした。



 800


 緑色の芝生が、まだ少し先の夏を感じさせる。

 瑠凪はグラウンドのベンチに座っていた。

 そこは観戦用のそれではなく、選手や監督といったチームに近しい者が座るはずの場所だ。


「パスだせパス! ディフェンス甘いぞ!」


 コート内の選手に厳しく指示を出す白髪の男。

 相手チームにとってはさぞ奇妙に見えただろう。

 だが、彼はそんなことも気にせず声を上げ続ける。


「いけるいける! そこで打てぇぇぇ!」


 その叫びに呼応するように、コート内でボールを保持していた選手がシュートを放つ。

 渾身の力で放たれたシュートはゴールから大きく外れたように見えたが、急激に軌道を変えてキーパーの肩を掠めて枠内に入る。

 それと同時に審判が笛を鳴らし、試合が終わった。


「うおおおおおお! やったぁぁぁぁあ!」


 勝利したのは瑠凪が応援していたチームだった。

 彼はコート内の選手たちに駆け寄っていき、皆で喜びを分かち合う。


「古庵! 本当にありがとう! お前のアドバイスがなかったら俺たちは……俺たちは……!」

「その通りだ! おい、みんなで胴上げしてやろうぜ!」


 十一人のみならず控えの選手も合流し、瑠凪の身体を宙へ放り投げる。


「ははは! おめでとう! みんな!」


 これは全国大会の決勝でもなければ大会ですらない。

 近くの大学とのただの練習試合だ。

 だが、万年負け続けていたチームにとってこの一勝は大いに価値のあるものだった。


「やったな! これが青春だ!」

 

 涙を流す選手たちを見ながら、瑠凪は満面の笑みを浮かべていた。




 激しい雨が降る日、瑠凪は都心の駅を歩いていた。

 雨天特有の湿気に不機嫌な彼は、片腕にビニール傘を引っ掛けている。

 ふと、氾濫した川のように流れる人の中に取り残された老婆を見つけた。


「あの……あの……」


 彼女は通り過ぎる人に声をかけているが、ことごとく無視されてしまっている。

 片手に地図を持っていることから、おそらく道を聞きたいのだろう。

 そう考えた瑠凪は、老婆の元へ歩いて行く。


「おばあちゃん、どうしたの?」

「あぁ、孫と待ち合わせをしているんだけど、どこに行けば良いかわからなくて……」


 3歩進んで2歩下がるような会話を聞き、彼はなんとか老婆の孫が待っている場所を突き止めた。

 そして、彼女を優しくエスコートし、遠目に孫が見えるところまで案内する。

 老婆は傘を持っていなかった。

 最後に瑠凪は自分の腕にかけていた傘を渡してやり、老婆を送り出した。

 こちらへ何度も振り替えってお辞儀をする老婆の顔には感謝の念が浮かんでいた。



 幸い、駅の構内は傘がなくとも濡れることがない。

 彼は近くの売店で新しいビニール傘を購入し、再び腕にかけた。

 あてもなく歩いていると、地下の広い空間にたどり着いた。

 その空間の安全性を保証しているように、数十本の太い柱が立っている。

 彼は、そのうち一本の前で言い合いをしているカップルを見つけた。

 近づいて行くうちに喧嘩は尻すぼみになっていき、やがて男が去っていく。

 残された女はしゃがみ込み、みっともなく泣いている。

 瑠凪はその女を心底軽蔑した目で見つめ、鼻で笑いながら通り過ぎた。



 夜になっても雨は降り続いていた。

 激しさは増しも衰えもせず、一定のペースのまま。

 瑠凪は帰路についていた。

 歩いていると、道端に段ボールが投棄されているのを見つけた。

 段ボールの中には子猫が入れられていて、敷かれている毛布で一定の暖かさは担保されているといえど、激しい雨には敵わない。


「はぁ……」


 瑠凪はため息をつくと、箱の前にしゃがみ込む。

 そして、猫が雨に濡れないよう自分の持っていた傘を固定してやると、「ごめんな。うちペット禁止でさ」と声をかける。

 子猫が瑠凪の顔を見つめて心細そうに鳴き、彼は雨に濡れながら帰っていった。




「古庵さん、猫ちゃんの引き取り先が見つかりましたよ!」


 手に持っていた子猫のケージを目の前の女子生徒に渡すと、瑠凪は頭を下げる。


「ありがとう。助かるよ」


 それを見て、女子生徒は困ったように両手を振る。


「いえいえ、私がしてもらったことに比べたらこれくらいなんともないです。あの時はありがとうございました」


 彼女は以前、瑠凪に助けられたことがある。

 その時の恩を返すべく、子猫の里親探しに強力したのだ。


「こちらこそありがとう。また何かあったらいつでも来てくれ」

「はい! ありがとうございます!」


 彼の姿が見えなくなるまで女子生徒は見つめ続けていた。

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