第1話 依頼
「いてぇー……」
平日とはいえ、都会とは思えないような、人の少ない通りにある黒い外観の建物から、古庵瑠凪は出てきた。
まだ暦の上では春とはいえ、昼頃の突き刺さるような日差しが彼を襲う。
どうやら頭に怪我をしているようで、男子にしては白い手で頭を押さえていた。
「あー。まだ14時かよ……予定がずれちゃったからなぁ。これからどうするか……」
二年生ともなると、大学生活にも慣れてきている頃だ。
しかし、かといって生活に余裕が生まれるわけでもなく、むしろゼミの受講やサークル内の地位の向上という面で、さらに忙しくなるだろう。
にも関わらず瑠凪は、既に今日は一、二限をなかったものとして扱い、己の欲を満たすための行為に勤しんでいた。
彼が大学生における典型的な、受験勉強や親の束縛からの解放による逸脱状態にいるのであれば、まだ更生の余地はある。
浮かれたテンションに現実、つまり自らのスペックが追いついていないからだ。
だが、長いまつ毛に気だるげな瞳、ピノキオもかくやという高い鼻、カッコいいや可愛いより美形と形容するのがふさわしい容姿の前に、一時的にでも騙されてしまう女子は少なくない。
適当に生きていてもなんとなく生き抜けてしまう彼は、毎日を自由に過ごしていた。
「……そういえば、大学でやることあるんだったな。しょうがない、行くか」
やるべきことを思い出した瑠凪は歩き出す。
坂道を降って大通りに出ると、自らの頭の傷を撫で、その後パンツの左ポケットに入っている財布を上から軽く叩く。
「まぁ、今日は災難だったけど良しとするか」
そして、地面に捨てられていた無人島のチラシを横目で見ながら、人ごみの中に消えていった。
数時間後。大学の空き教場。
窓から差し込む夕日に照らされた、机に座って偉そうに脚を組んでいる男子生徒と、それに何度も頭を下げる女子生徒。
「本当にありがとうございました! 古庵先輩がいなかったら、きっと私は告白する勇気すらなかったと思います……」
「いやいや、気にしないで。人に相談できた時点で偉いと思う。でも、ここからは俺は助けられないし、二人で協力しあって良いカップルになりなよ」
「はい! もちろんです! まだ一年なんでできることは少ないですけど、私に恩返しできることがあればいつでも言ってください!」
最後にもう一度深く頭を下げると、女子生徒は教場から出て行く。
「……いやぁ、今日も頑張ったなぁ〜」
瑠凪は大きく伸びをして、机に寝転がる。
彼は、いわゆる「何でも屋」に相当するサークル、通称「KL」に所属している。
と言っても部員は彼を含めて二人しかおらず、設立2年目を迎えた今でも非公式のままだ。
しかし、「カッコよくて応用力のある先輩」がいるということで、公式サークルを差し置いて学内でも屈指の知名度を誇るサークルになっている。
この日は、かねてより相談を受けていた「三年生の先輩と付き合いたい一年生」の願いを叶えるべく、最後の舞台を整えていた。
一月前より手を替え品を替え、場合によっては季節外れの雪の結晶まで利用して二人の距離を近づけ、そして見事成就させたのだ。
そこまでの努力をすれど、対価として金銭などはもらわず、「困った時に助けてもらう」だけに留めておいているのが、評判の良さを手助けしているのだろう。
と、その時。教場の扉を叩く音がした。
先ほどの一年生が忘れ物でもしたのかと、瑠凪は返事をしない。
「すいませ〜ん! KLってこの教場であってますか〜?」
少し遅れて声が聞こえた。
いかにも大学生というような間伸びした声だったが、芯は通っていると思わせる、そんな声だった。
「あってるよ。入って」
先ほどの生徒とは別人だと理解した瑠凪が声を張ると、数秒後、扉がゆっくりと開いた。
呼びかけてきたのは一人だったが、入ってきたのは二人の女子。
一人は七分丈の黒いシャツとアームカバー、細い脚にピッタリと張り付くような黒いスキニーパンツを履いている。
髪色も同じく黒いボブカットだが、前髪のサイドの先がそれぞれ赤・青色に染められていた。
奇抜なデザインだが、猫のような吊り目に薄い唇、気の強そうな表情が相まって、むしろ洗練された雰囲気を放っている。
もう一方の女子は、白地に薄いピンクの花柄のワンピースを着ていて、どちらかというと清楚な顔立ちをしていた。
茶髪のロングヘアも、少し下手な髪の巻き方も、いかにも大学生という感じだ。
「KLにようこそ。まぁ、とりあえずそこら辺に座って」
系統の違う二人に多少違和感を覚えた瑠凪だったが、まずは着席を促す。
来訪者はそれぞれ、瑠凪から少し離れた椅子を選び、腰を下ろすと彼の方へ向き直った。
「……さて、二人はどんな要件でここにきたわけ? KLは、日常の疑問から対人関係のトラブル、夢を追うサポートまで、俺のやる気が続く限り幅広く対応している。金銭は受け取らず、いつか俺が求めている時に助けてもらうのが対価……っていうのは、ここに来たからには知ってるか」
「もちろんわかってるよ。えっと……まずは自己紹介から始めようかな。私は音羽紫。法学部の二年生」
「へぇ、なら俺と一緒だ。はじめまして、瑠凪です。瑠凪でも瑠凪君でも、好きなように呼んでくれ」
「……うん、よろしく」
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