神様の”カゴ”はもう要らない。

牛の流れる滝

第一章 出発

ヨーレンとの別れ。

 その日はやけに長い時間明るかった。ヨーレンの戦いを大地が、空が観ているようだった。しんと静まり返る森が、囃し立てるような川のせせらぎが、さえずる小鳥が応援しているようだった。


 しかし、決着はほどなくしてついた。


 ヨーレンの大円盾を改めて握りなおす。いつもは持っていることさえ忘れるような細い小枝がやけに重く感じた。


 荒い息を押し殺して、敵がこちらへ迫って来る。


 ふかふかの腐葉土が積もった地面に革靴の鈍い音が振動している。


 足裏から伝わるその音を自分の心臓の音が上回り、それでも視線が敵からそれないのはヨーレンが施してくれた厳しい訓練の賜物だった。


 振り下ろされる雷のような一撃を大円盾で受け止め、体の線上から反らす。


 予測された通りの動きに対し敵も動じない。返す刃は正確に淀みなく命を刈り取る位置取りで二撃目を加えようとしてくる。


 しかし、激しい打ち合いは必要ではなかった。普段通り、盾を構えて受け止めて体を横に逃がしながら言葉を紡ぐ。


“小枝”へ貫く力を サンマルマーリテルマ


 ホルドが輝き、手にした小枝を円環が抱いて尋常ならざる力が宿る。槍の穂先のように鋭く、どんな金属よりも固く、思い描いた軌跡は吸い込まれるように敵の喉笛を貫いた。


 カシュッという軽妙な破壊音と、温かい血飛沫が舞って敵が倒れた。もう起き上がれないと思う。だけど、念のため敵の心臓へ追い打ちをかけた。


 ビクッと震えたのは敵か、自分自身かわからなかった。

 


「ヨーレンッ!!」


 見ていた限りこの戦いで一度として敵に見せなかったヨーレンの技で、敵を倒した。これまで教えてくれた技術の粋をもって、万全に敵を排した。


 決着を見届けたように日が沈んでいく。よほど無理して起きていたのか"コウサイ"が夜空をすぐに照らし出したので暗くはなかった。


 ヨーレンが倒れこんでいる場所へ駆け寄るとかすかにこぼれる吐息が感じられる。致命傷をマントの上から無理やりに押さえつけると、ヨーレンの細い目が開いた。


「ヨーレン、倒しました。あいつを」


「ああ、すまん。見ていなかった。だが、良くやった」


「いいんです。それより……」


「ソルト、お前は立派に育ったな。もう心配などしていない……。――あとはお前が成したいことを成せばいい」


「私は。私は、ヨーレン、あなたの願いを叶えたい。それが私の願いです」


 口にたまった血を脇へ吐いたヨーレンが、日ごろから細い目をさらに細めて睨みつけてきた。


「ソルト……。確かに……私は願った。――お前の両親を手にかけ、お前を拾った時。だが……、今だからこそ言おう。――私の願いはあくまでも私のものだ」


 咽るほど苦しいだろうに、命を削って言葉に変えている。


「ええ。それも何度も聞きました。


 夜あなたが涙し懺悔する声で。朝、恥ずかしそうに笑う声で。その声が私の骨となり肉となった。


 ふるい手も語り手も無い。


 お互いがお互いを必要とし、お互いのためにこそ自らの信念を賭す。


 殺し合うのではなく、手を取り合う。


 そんな関係になれたらなと。


 自信無く、柄になく笑って、そう言うあなたの声で育ちました」


「人と人であれば成しえても。世界は変わらない……。――変えられなかった」


「世界は永久より続いていると教えてくれたのはヨーレン、あなたです。それを一人で変えられるわけがない。それは十分わかっています」


「ならば、なおのこと」


「だからこそ、これまでも、そして今から私の願いです。ヨーレン、――いやお父さん。あなたの息子として、あなたが夢見て、涙を流した世の中を目指してみたっていいじゃないですか」


 空気が凍ったんじゃないかというほど苦しかった。きっと、これまで通りの日常では呼ばせてはもらえない。許されない呼び方だとわかっていたから。


 まだヨーレンの手に包まれていた頃、一度だけ口にしたその言葉に見せた鋭く痛々しい表情が目じりから溢れそうになった。


「……。ああ、ああ。私の息子よ。どうか、抱きしめておくれ」


 傷口を抑える手を驚くほど強い力で剝がされる。背中に回ってきた腕は野太く、回した背中は手が届かないくらい広く、どれだけ力を入れても壊れるような気がしなかった。


「お父さんッ! お父さんッ!!」


 ヨーレンはそして、静かに眠りについた。




*****





 墓はいらない、ただ森へと日頃から言っていた通り、ヨーレンの骨は“塩の森へ広く広く散るようにトゥリオペーラティオ”と願って撒いた。


 住んでいた小屋に火をつけると轟々とあまりにも勢いよく燃えるから、もう後戻りできないという気持ちが強くなった。


「それじゃあ行くよ」


 誰もいなかったけれど、決意表明として言葉を残しておいた。


 ヨーレンの願い。


 語り手とふるい手が共生できる平和な世界。


 それは今の時点では途方もなく難しく、実現なんてできるのかと不安に押しつぶされそうに思ったから。


 夢を追いかける恐怖に負けないように。





 ヨーレンの私物だった地図を見る。なんとか歩ける距離だと思うのはラーフッテンだった。西ジレジガリテ自由帝国の北端の街だ。


 ふるい手至上主義の国で語り手が行くのは危険かもしれないが、だからこそ感じなければならない。


 タードラッド河をどうにか渡って、それから川沿いを歩こう。


 ヨーレンの大円盾を背負う。今後もしっかりと使いこなせるように訓練していかないと。万事準備に始まる。準備を怠るものは咄嗟の危機で容易く命を落としてしまうからだ。なんてね。


 手にした小枝から生える葉っぱは瑞々しく元気だった。





【”Sleeping Talk”】

 神は見たいものを見るために起き、寝たいときに寝るものだ。自身の夢が夜空に輝いて人々に見られているとも知らずに。

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