第6話 緊張の出会い
「む?そなたたち、困っておるようじゃが、どうしたのだ?」
「あ、いえ、なんでm……、って、え!?」
葵は思わず大きな声を上げてしまった。従者を侍らせて声をかけてきたのはなんと、安土城の城主にして、歴史に大きく名を残すこととなる、あの人物だった。
「の、信長さま!?」
葵と紫音は慌てて地べたに向かい、正座で座り始める。堀田と金田も見よう見まねながら、それに続く形で正座をしようとした。
「ああ、待て待て待て待て。そう構えるでない」
「こ、これは失礼しました」
信長の言葉に素直に従い、紫音たちは元の体勢に戻った。特に葵の背中は既に冷や汗でぐっしょりだった。
だが、ここは歴史学に身を置いている者として、その手腕を発揮する時でもあった。紫音たちは口をつぐみ、極力言葉を出さないようにしてくれている。歴史改変を無事に防ぐという重責がその小さな背中にのしかかっていたのだ。
「どうしてこのような場所へ……?」
「民の暮らしぶりを視察しようと思うてな。儂が目指す完璧な楽市楽座を実現するためには必要なことじゃろう?」
「はっ。おっしゃる通りでございます」
なるべく刺激しないよう、慎重に言葉を選ぶ。
「それで、何か困りごとがあるのではないか?」
「はっ。じ、実は――」
葵は行方不明になっている人を探しているということを信長に伝えた。それを聞いた時の名将は「ふむ」とつぶやき、顎に手を添えて何やら思案し始めた。と思えば、その直後には護衛に向けて何やらひそひそと話し始めた。何かまずいことを言ってしまったかと考えた葵はすぐさま自らの発言を振り返る。その間、堀田も、金田も、そして紫音も口を開くことはできなかった。
次に信長が言葉を発するまでの数秒間が、気の遠くなるほど長く感じられた。
「面を上げよ。そう暗い顔をするでない」
「はっ。も、申し訳ございません」
「人が居のうなって気が滅入るのは致し方のないことじゃ。儂も多くの友を失ったゆえ、そなたの心情は痛いほど分かる。だからこそ、儂らもできる限りのことをいたそう」
「……っ!?」
それを聞いた瞬間、葵の口から思わず小さなため息が出た。どうやら無事にやり過ごすことができそうだ。そればかりか、捜索に協力してくれるという旨まで申し出てくれた。忙しい身だとは分かっているため、実際にどこまでやってくれるかについては計り知れないが、少なくとも良い印象は抱いてくれたようだった。
「あ、ありがとうございます!」
葵は再度地面に正座し、頭を深々と下げた。紫音たちも一瞬驚いていたが、すぐさま彼に追従して土下座をしてみせた。信長はまたも「うむ」とつぶやいて大きく頷くと、護衛とと共にその場を後にした。
横目で信長たちがある程度離れたのを確認すると、頭を上げて椅子に座り直した。同時に、葵の肩にどっと疲れがのしかかった。大きく息を吐き、おでこの冷や汗を袖で拭った。
「なんとかなったね。いや~ヒヤヒヤした。お疲れ様、葵」
「あはは、なんとかなって、良かったです」
約束を忘れて敬語で葵は言葉を返した。ひとつの山場を乗り越えたのだから、致し方ないのかもしれない。
「しっかし、信長さまって思ったより人情深い人なんだな。もっと冷たくて恐ろしい人かと思っていたが」
「まあ、文献には残ってない一面だからね。もしかしたら、『屈強で強かな武将』という印象を植え付けるために、その手の文献は検閲で規制していた可能性もあるかもしれないな」
堀田と小声で話しながら、紫音は疲れ切った後輩の様子を逐一確認した。こうした事例は今回が初めてではなかったが、数分話すだけでも相当気を遣うため、想像以上に疲労がたまるらしい。時折、金田が心配そうに声をかけながら、調査を再開できるタイミングを伺っていた。
そのとき、四人の間にコトッとお茶が置かれた。その方を見ると、この店の女将らしき人がいつの間にか後ろに立っていた。
「信長さまに声をかけられるなんて、あんたたちついてますな〜。さぞ気を遣われたことでしょう。はい、これは私からのお気持ちです」
なまりの入った品のある声でそう告げると、彼女は店の奥へと戻ろうとした。突然のことで一瞬、頭が真っ白になったが、すぐに申し訳なさを感じた葵は慌てて彼女を呼び止め、財布を懐から取りだそうとした。しかし、そこで再び冷や汗が背筋を伝うこととなった。
「……ない」
「えっ?」
「お金が、ない」
葵の顔がみるみる青ざめていくのが分かった。紫音たちは彼がこれ以上憔悴して倒れたりしないよう、ひとまずお茶を飲んで心を落ち着けるよう勧めた。葵はその助言に従ってお茶を飲み、なんとか呼吸を整える。そして、どこで落としたのか、記憶を懸命に探った。
「もしかしたら、スリに遭うたのかもしれませんな。実は、ここのところ銭を盗まれる人が増えちょるみたいで」
「そ、そうなんですか?」
「商売相手に嘘はつきまへんよ。せやから、私たちも困っとるんです」
そう言うと女将は手を頬にあて、戸惑いの表情を見せた。その仕草にうつむき気味の目線、トーンを落としたその声色からおそらく、これは本心だというのを紫音は瞬時に理解した。それと同時に、少し気になることを思いついたので、ダメ元で聞いてみることにした。
「そのスリというのは、夜でも起こるものなのか?」
「ええ。むしろ夜に遭うてしもうたという話の方をよく耳にします。特に、奥の方に構えておられる店の前で遭う方が多いようで」
やはり、と紫音は思った。暗い時の方が断然やりやすいのではと考えたが、どうやら当たっていたようだ。しかも、被害の多いという店の情報まで掴んだ。思わぬ収穫からひとつの戦略を思いついた紫音はいたずらっぽく微笑んだ。
「紫音、どうしたの?」
「ふふっ、良いこと思いついちゃった♪行動心理学者の頭脳なめんなよ?」
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