エピローグ

新たな肩書き

 セリエス伯爵はひどく落ち着かぬ心地で、目の前に座るクラッセン侯爵と向き合った。

 侯爵は冷えた緑の瞳を伯爵に向け、にっこりと笑った。


「さて、セリエス伯。貴公、少々若者の色恋に横やりを入れすぎたのではないか」

「閣下。私は娘の幸せを思えばこそ。いずれリネッタが苦労するのは誰が見てもおわかりでしょう。比べてマリウス殿はどうです。二年もの間我が娘をお守りくださった騎士様に預けたいと思うのが当然ではありませんか」

「いや、いやいや。息子の話はいいのだ」


 侯爵はテーブルの上に、ざっと紙の束を撒き散らした。


 『聖女はベツィラフトに汚された』


 王都の各所に貼り付けられた、例の紙である。


「これは、先日より見かけたものですな。王都のみならず、各領地にも撒かれていたとか」

「そうだ。貴公が熱心に手配しただけあって、実に速やかな流布るふだった」

「は」


 侯爵は撒いた紙から幾つかを抜き出し、束の上に乗せていく。


「これだけの量を用意するのにずいぶんと金を渋られた、と。使うなら酒に強く口の堅い者にすべきだった。貴公ははかりごとに向かない人柄のようだ」


 だらだらと汗を流す。

 瞳を右往左往させ、足をカタカタと踏み鳴らす。


「こ、侯爵様の許可なくマリウス殿に打診したことに関しましては誠に」

「息子の話はいい、と言った。二度言わされるのは好かない」


 駄目だ、と察する。このままでは中央復権どころか領地まで危うい。

 伯爵は思考する。どちらの札を差し出すべきか。

 親の手に噛みついた娘か。あの忌まわしい蛮族の男か。


「……娘は、騙されたのです」

「ほう」

「あの男がリネッタを救った日から、これは仕組まれた筋書きだったのです! 私は娘の目を覚まさせるために仕方なく!」

「そうか。目を覚まさせるために、貴公は娘に石を投げるのだな」


 一瞬、喉笛を掴まれたかと思った。瞬時に緊張を飲み干す。あれだけの騒ぎの中で気づかれるはずがない。

 だが目の前の侯爵は、優雅にティーカップに口づけて笑った。


「始まりの一投を見ていた少年がいてな。貴公はその少年を突き飛ばしたそうじゃないか」

「閣下!」


 たまらず立ち上がる。全てが偶然で、あまりにも我が身に対して運命が顔を背ける。ならばもう、感情で押し通すより他ない。


「閣下も人の親ならば! 爵位の保証ある、優れた血統に嫁がせてやりたい私の親心がお分かりになるはずだ!」


 ぜっぜと肩で息をする。汗にぐっしょりと襟を濡らし、目を見開いて訴える。

 侯爵はいかにも貴族然とした笑みでうなずいた。


「親心ならばわかるとも。ただ、伯爵。養女が受け取るはずの遺産全てを、おのれの贅沢に使い潰した者を、果たして親と呼ぶべきか。私はそういう根底のところでつまずいている」


 ぜひ、意見を聞かせて欲しい。調査報告書を机上に置きながら発せられる、宰相という力を持つ者の言葉に、ついに伯爵は両膝を突いた。

 侯爵は傍らに控えていた侍従に片手を上げて指示する。

 うなずいた侍従が扉を開くと、侯爵令息マリウスと白騎士三名が待機していた。


「連れていけ」


 侯爵の言葉に、マリウスがうなずく。

 伯爵は両脇から騎士に抱えられ、のろのろと立ち上がった。

 歩き出した伯爵の背中を、ああ、そうだと声が追いかけてくる。


「爵位の保証、と言ったか」


 振り向いた先で、侯爵が愉し気に紙束を掻き集めていた。


「卿がもう少しおとなしくしていれば、爵位どころかアイクラントの中枢と縁を結べただろうに」


 何の話だと聞き返す間もなく、扉が閉まった。


 * * *


 王太子レオナルトは、式典にあるまじき珍妙な顔で今日の主役を眺めていた。

 レオナルトだけではない、王太子妃ユリアーナも、王妃も、厳格と名高い王ですら。

 列席の貴族、文官、護衛騎士含め、この場に居合わせたありとあらゆる立場の者が、心をひとつにしていた。


 なぜ、本人が来たのかと。


 王がレオナルトに耳打ちする。


「代理で良いと、伝えなかったのか」

「伝えましたとも。当たり前ではないですか。あの男、肩に風穴を空けたばかりなのですから」


 肩に風穴を空けた男、クウィル・ラングバートは、非常に緩い足取りで王の前へ進む。一歩進むたびに顔を歪める様に、さすがにレオナルトは立ち上がった。

 王の前に片膝を突く。


「陛下。私に、授与の任をお与え願いたく」

「許可しよう。おまえの配下だ」

「ありがとう存じます」


 壇上から下り、レオナルトは壁際のラルスに視線を飛ばす。はらはらした様子だったラルスは足早に寄ってきて、レオナルトの後ろについた。

 謁見の間のちょうど中ほどで、レオナルトはクウィルに突き当たった。


「ここでいい」

「……上がってはならないということでしょうか」

「違う! 誰がどう見ても、おまえは今すぐ寝台に縛り付けられるべきだろうが!」


 晴れの式典で、なぜこんな風に声を張らねばならないのか。レオナルトはかくりと肩を落とし、ため息をつく。

 クウィルの耳に顔を寄せ、小声で尋ねた。


「代理でと、あれほど言ったのに」

「自分の手で受け取りたかったものですから」

「だったら、俺の言う通り日を改めれば良かったじゃないか」


 すると、クウィルは目を伏せた。


「一日でも早く、皆が納得するような肩書きが欲しく……」


 生涯一介の騎士で良いと言っていた男の言葉とは思えない。

 ならばさっさと渡してやるかとレオナルトは苦笑し、右手でラルスを呼び寄せた。

 ラルスが任命書を開いて読み上げる。


「クウィル・ラングバートを王太子近衛、特務部隊に任ずる」


 クウィルがよろよろと膝を突こうとするのを、レオナルトは押しとどめた。


「このままでいい。全快したら存分に俺の下で働け」

「拝命します」


 この男らしい短い返事に笑い、任命の儀を略してクウィルの肩を軽く叩く。それが負傷中の右肩だと気づいたときには、クウィルのうめきが謁見の間に響いていた。


 列席の貴族も壇上の王家も、完全に拍手の出しどころを逃す。後ろで出番を待っていたザシャが、仕方ないといった顔でクウィルを回収しにやってきた。


 これから自分が率いることになる新しい組織の主軸。そのなんとも締まらない姿に、先が思いやられるなとレオナルトは天井を見上げた。

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