聖女という力

 幼い頃はもっと黄色みを帯びた目をしていた。琥珀石と聞いて真っ先に浮かべるような。アイクラントにいても、さほど珍しくはないような。

 その目を赤く染めたのは、魔獣の血だとクウィルは思っている。


 十二歳になった祝いの日。クウィルはラングバート家の遠縁とおえんの男に罵倒ばとうされた。

 ベツィラフトの穢れた血を持ちながら、伯爵家に引き取られたことに感謝しろ。魔獣を従え、恩に報いろと。


 ベツィラフトの民は呪術という古い魔術を持ち、魔獣を使役した。その血がアイクラントで忌み嫌われる理由は、遥か昔、建国記の始まりにまで遡る。


 アイクラント王国がまだアイクレーゼンという名だった頃。今は亡きリングデル王国との長い戦があった。

 リングデルの王もまた、呪術を使った。王はたったひとりで百にも及ぶ魔獣を従えた。


 ベツィラフトはこの戦より前にアイクレーゼンに下り忠誠を誓っていた。だが、長引く戦の中、リングデル王への助力を疑われた。民族は迫害はくがいされ、ほとんどが命を落としたという。


 この歴史が、今でもアイクラント人に、ベツィラフトを穢れた血と呼ばせる。


 そんな歴史など知ったことではない。十二歳のクウィルは男の罵倒に頭を沸騰させた。

 呪術どころか魔術すら使ったこともないのに、小型の魔獣相手に自分の血を試した。考えなしのおこないで傷を負い、さらには血に飢えた大型魔獣を呼び寄せる始末。


 その時、両目に魔獣の血を浴びた。

 偶然その場に通りかかったギイスのおかげで、一命をとりとめたものの、ひと月あまりも視力が戻らなかった。


 戻った頃には、瞳がベツィラフト特有の暗赤色に変わっていた。これこそベツィラフトの血筋と言いたくなるほど見事な赤い目に。


 だが、変化はそれだけだ。相変わらず魔獣を使役できるわけでなし。不名誉な血筋が見た目に強く主張しただけだ。


 濃くなった瞳の色のせいで、大人たちからは先祖返りではとささやかれ。他の貴族令息からの当たりは日増しに強くなり。

 ラングバートの家にまで非難の声が伸びてきて、ついにクウィルは耐えられなくなった。


 縁ができたギイスを頼り、剣を取り、騎士を目指した。

 剣はすぐに身体に馴染なじんだ。まるで欠けたものがはまったようにのめり込む。周りの冷たい視線もささやき声も、全て風切りの音で掻き消していく。


 幸いにも氷魔術の適正があった。純粋な剣技でも、魔剣使いとしても、クウィルには黒騎士として生きていける充分な素質があった。

 初めこそ苦労したが、剣を振り剣で語れば、仲間は騎士クウィル個人を受け入れてくれた。


 だが、世の中のこの血に対する評価はどうしたって変わらない。騎士団を一歩出れば、視線は痛く息苦しい。

 琥珀色のままであれば。混血だと見た目にもわかれば、もう少し生きやすかったのだろうか。

 赤に染まったこの目が、厭わしくてたまらない。




 ふいに、右手に温かい感触が乗った。

 いつの間にか無意識に両目を手でおおい隠していたらしい。

 クウィルの手を、リネッタが軽く引いた。


 無言の彼女の無表情。何をそこに秘めているのかわからない。


「なぜ、貴女はこの目を――」


 クウィルには過去にリネッタと出会った記憶がない。追及しようとすると、彼女が自分の唇に指を立てた。

 それは秘め事だと言うように。

 そして、一度深呼吸して。小さく首を左右に振り、彼女は霧を払うような強く澄んだ声でもう一度言った。


「琥珀石です」

「おかしなところで意地を張りますね」

「よろしいですか。わたしが……聖女が琥珀石と言えば、アイクラントにおいてその瞳は琥珀石です。婚約者であるクウィル様は、聖女の守護者です。侯爵子息ぐらい、軽くあしらえて当然なのです」


 クウィルは息をのみ、婚約者を見つめた。リネッタはクウィルの視線に首肯して、もう一度右手を上げた。不快だと。


「わたしは確かに、三つ数える間クラッセン卿を不快と感じました」


 ベツィラフトの蛮族クウィルは、騎士である前に貴族として、絶対に侯爵令息マリウス・クラッセンに勝ってはならなかった。一度としてあの色男にひざをつかせたことはない。

 ラングバートの家のために徹底して守ってきた。


 では、聖女に選ばれたクウィル・ラングバートはどうか。


 リネッタは誓約錠を揺らし、クウィルの右手を取った。その手に額をつけ、それから軽い口づけを落とした。


「クウィル様、どうぞご武運を」


 ふは、とこぼれさせそうになった笑いを、空いた手の甲で押さえこむ。


 クウィルは聖女のことを、あわれな運命の人と思っていた。デビュタントの十六歳で星に選ばれ、二年も縛られ、感情を無くした可哀想な人だと。


 強い。

 彼女は運命を従えて、自身の武器とすることを選んだ人だ。


 クウィルはリネッタの手から自分の手を引き抜くと、その場に片膝をついた。今度はこちらからリネッタの左手を取る。

 うやうやしくその手をかかげれば、誓約錠が揺れる。安物の青い石を撫でて、それよりも深い彼女の瞳を見上げる。


「セリエス嬢の激励げきれいこたえると、お約束します」


 いまだ婚約者であるという実感はわかない。

 ただ、今目の前にいるリネッタ・セリエスという人に、クウィルは尊敬の念を抱いた。

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