ギャンブル×USB

吟野慶隆

第01/23話 楽勝

 阿田あた識在のりあきは、両目に渾身の力を込め、女性ディーラーの手元を凝視していた。テーブルの上には、円筒形をしたカップが、伏せた状態で置かれている。彼女は、右手で、それを押さえつけていた。

(クソ、とんでもなく気分が悪い……ま、それも当然か)思わず、自嘲の笑みが浮かんだ。(なにせ、今は、文字どおり、「生きるか死ぬか」という修羅場の真っ最中なんだから……)

 今、識在は、あるクラブにて、「ファイヴ・ダイス・サム」をプレイしていた。店が独自に考案したギャンブルだ。

 プレイヤーは、彼と、龍東りゅうとうという男性の二人。最終的には、どちらが勝ち、どちらかが負けるようになっていた。勝ったほうは、負けたほうの賭け金、全額を得られるのだ。

 最初に、ディーラーが、テーブルの上に伏せているカップを動かして、その中に入っているダイス五個を振る。次に、プレイヤーたちが、それらの出目の合計値を予想する。最後に、ディーラーが、カップを持ち上げて、ダイスを開示する。

 実際の出目の合計値が、予想値に近いプレイヤーの勝ち。そのプレイヤーは、そのラウンドにて相手プレイヤーがベットしたチップを獲得できる。そして、ラウンド10が完了した時点で、所持チップ数の多いプレイヤーが、最終勝者となる。そういうルールだった。

(最終敗者となってしまうことだけは、絶対に回避しなければならない。もう、ボーン・ウィッシュから、かなりの額の金を借りてしまっている……)「ボーン・ウィッシュ」というのは、このクラブの名前だ。(それも、「今回のギャンブルの最終敗者となったなら、即座に身柄を差し出す」という条件付きだ。その場合、いったい、どんな目に遭わされるか、わかったものじゃない……)

 今、識在は、十畳ほどの広さの部屋にいた。その中央には、凝った意匠のテーブルが置かれている。彼は、それの南辺に、龍東は、北辺についていた。

 識在は、四十代であり、みすぼらしい顔をしていて、シンプルなデザインの服を着ていた。龍東は、おそらくは十代であり、軽薄そうな顔をしていて、カジュアルなデザインの服を着ていた。

(今は、ラウンド10……最後のラウンドだ。もし、おれの宣言した予想値が、龍東の宣言した予想値より、結果値に近ければ、おれの勝ち……ひいては、おれの所持チップ数が、龍東の所持チップ数を上回り、おれが最終勝者となる)

 ディーラーは、テーブルの東辺の前に立っていた。彼女は、おそらくは二十代であり、凛とした顔をしていて、黒いスーツを着ていた。

 部屋の出入り口は、南壁の中央に設けられている。それの脇には、男性スタッフが立っていた。彼は、おそらくは三十代であり、厳つい顔をしていて、黒いスーツを着ていた。

(だが、もし、おれの宣言した予想値が、龍東の宣言した予想値より、結果値から遠ければ、おれの負け……ひいては、おれの所持チップ数は、龍東の所持チップ数を上回らず、おれが最終敗者となる。このラウンド10、絶対に、負けるわけにはいかない……!)

 ディーラーは、すでに、ダイスを振り終えていた。彼女は、「それでは、予想値を宣言してください」と、華麗な調子の声で言った。「先攻は阿田さまです」

(いろいろ考えたが……やっぱり、ここは、定跡どおりに、出現する確率が最も高い合計値を宣言しておこう。先攻で、助かったぜ……先攻プレイヤーの宣言した予想値は、後攻プレイヤーは予想値として宣言できない、というルールだからな)

 そう心中で呟いてから、識在は、「【17】」と宣言した。

「それでは、龍東さま、予想値を宣言してください」

 そうディーラーが言ってから、一秒も経たないうちに、龍東は、「【8】」と宣言した。

(はあ……?! 【8】だと……?!)識在は思わず口を半開きにした。(なんで、そんなに低い予想値を宣言したんだ……? これじゃあ、やつが勝つには、結果値が【12】以下でなければならない……確率としては、十パーセントにも満たないぞ……!)

 そう胸内で呟いてから、数秒後、識在は、自分が間抜け面を晒していることに気がつき、慌てて口を閉じた。すう、はあ、と軽く深呼吸をする。

(……まあ、なんにせよ、助かったじゃないか……)彼は、にや、と小さく笑った。(このラウンド10、結果値が【13】以上なら、おれの勝ち……確率としては、九十パーセントを超えている。めちゃくちゃ有利だ……!)

「それでは、ダイスを開示します」

 そう言うと、ディーラーは、カップを、さっ、と持ち上げた。

 それぞれのダイスの目は、【1】【2】【4】【1】【2】だった。合計値は【10】だ。

「な……?!」識在は思わず口を全開きにした。

「結果値は【10】です。よって、ラウンド10は、龍東さまの勝利です」ディーラーが言う。「龍東さまには、阿田さまのベットされたチップ、56CPが進呈されます。

 これにて、全ラウンドが終了しました。最終的な所持チップ数は、阿田さまが71CP、龍東さまが229CPです。よって、最終勝者は、龍東さま──」

 ディーラーが台詞を終えるより前に、識在は、がたんっ、と立ち上がった。間髪入れずに、ぐるんっ、と、その場で体を半回転させる。部屋の出入り口に向かって、全力疾走し始めた。

 それは三歩で終了した。スタッフの撃った電極弾が、腹部に命中したのだ。

 ばちばちばちばちっ、という音とともに、強烈な電流が、識在の体に流れ込んできて、全身を駆け巡った。彼は、半ば跳び込むようにして、どしゃあっ、と俯せに倒れた。それからは、逃げるどころか、手足を動かすことすら、ろくにできなかった。

 ディーラーの、スタッフに言っているらしい台詞が、聞こえてきた。

「そいつを拘束してちょうだい。怪我は負わせないでね、そいつは、もう、大事な売り物なんだから。あ、それと、主任に伝えてちょうだい。そいつの身柄は、例の彫刻家グループに売るように、って。ほら、人間シュールレアリスム像がどうとか言っていたやつらよ」


 臼場うすば虎義とらよしは、スーパーの文房具コーナーに入ってから、五分も経たないうちに、目当ての陳列棚を見つけることができた。そこには、いろいろな種類のシールが配置されていた。彼は、それらを見比べ、どれを買うべきか、考えを巡らせた。ただし、大して真剣ではなかった。高校の美術の授業で使う物だ。教師に提示された、最低限の要件さえ満たしていれば、何でもいい。

「……うん、これでいいか」

 そう呟くと、虎義は、ある商品を陳列棚から取り出した。それは、「シンプル円形シール 大」という名前だった。長方形をした剥離紙に、五百円玉くらいのサイズのシールが、たくさん貼られている。色は、赤、青、黄、白、黒、金、銀、透明の八種類だ。

 彼は、それを、右手の籠に放り込んだ。その中には、他にも、鋏やピンセット、ガムテープ、黒サインペンが入れられていた。

 虎義は、レジに行くと、購入の手続きを済ませた。サッカー台にて、鞄の中に、買った物を収納する。その後は、売り場から離れて、休憩コーナーに向かった。

 到着した後、虎義は、適当なベンチに腰かけ、スマートフォンをズボンのポケットから取り出した。ケースの蓋を、ぱかっ、と開けると、スリープ状態を解除し、ディスプレイを明るくする。現在時刻は、午前十時二十一分、と表示されていた。

 彼は、短い黒髪を、無造作に整えていた。瞳は黒く、目つきからは、ニヒルな印象を受ける。身長は、同年代の平均と同じくらいだった。薄い灰色の半袖シャツを着て、濃い灰色の長ズボンを穿いていた。体の右横には、黒いショルダーバッグを置いている。

 虎義は、スマートフォンを操作し、インターネットブラウザーアプリを起動した。ネットサーフィンを行うことで、時間を潰し始める。

「虎義さん。すみません、お待たせしました」

 数分後、そんな声が、前のほうから聞こえてきた。顔を上げ、そちらに視線を遣る。貞暮さだくれ瑠子るこが、近づいてくるところだった。

 瑠子は、鳩尾に届くくらいの長さの黒髪を、蝶々結びにした桃色のリボンを使い、ツインテールに纏めていた。瞳は黒く、目つきからは、おっとりとした印象を受ける。身長は、同年代の平均より、一頭身ほど低く、胸は、同年代の平均より、一回り大きかった。

「いや、別に、大して待っていないよ」虎義は、スマートフォンのケースの蓋を、ぱたん、と閉じると、それをズボンのポケットにしまって、立ち上がった。「むしろ、想定より早かったくらいだ。どうだ、いい布地は見つかったか? おれも、去年──一年生の頃、家庭科の、お前が言っているのと同じ授業を受けたことがあるが……布地を調達するのに、なかなか苦労した記憶がある」

「はい。さいわい、素晴らしい物を見つけることができました」

 瑠子は、にこっ、と微笑んだ。彼女は、薄い桃色の半袖ブラウスを着て、濃い桃色の膝上丈スカートを穿いていた。両手で、赤いトートバッグの取っ手を掴んでいる。

 その後、二人は、スーパーの出口に向かった。虎義は、しばらくの間、話題を探した後、「……そう言えば、さ」と言った。「この前、飯佐田いいさた先生から、チラシを貰ったじゃないか」飯佐田とは、虎義たちが所属している部活、ロボット研究会の顧問を務めている教師である。「八月二日──来週の日曜日か。その日に、東京で、なんとかいう技術展が開催される、って。ええと、テーマは、何だったかな……」

「たしか、テーマは『画像処理』でした。チラシには、出展団体の一覧とか、展示物の紹介とか、いろいろ載っていましたね。

 ……わたしとしては、それらの中でも、特に、大手の医療機器メーカーが展示するという義眼が、印象に残っていますね。なんでも、外科手術の類いを受けなくても、眼窩に嵌め込むだけで、人工視覚を得られるようになるんだとか。後は……そうですね、大手の保安機器メーカーが展示するという荷物検査装置が、少し気になっていますね。なんでも、特殊な電磁波を利用して、対象の物体の透過画像を撮影するんだとか。レントゲンみたいな感じで」

「ああ……そんな内容だったな。……それで、瑠子、お前は、どうだ? その技術展、行ってみる気はあるのか?」

「いえ、わたしは、行かないつもりです」瑠子は、ふるふる、と首を横に振った。「最近は、『ロボット・バーリトゥード』の準備で、大忙しですから。多少の気分転換には、なるのかもしれませんが……」

 ロボット・バーリトゥードとは、十一月の第一日曜日に、大阪で開催されるイベントだ。いわゆるトーナメント方式の大会で、参加するグループは、自分たちが制作したロボットを、総合格闘技のごとく、相手グループが制作したロボットと戦わせるのだ。

「東京まで行くとなると、各種の費用が、かなりかかるでしょうし。そんなお金があるのなら、レイ・フレックスのメンテナンスに使いたいですね」レイ・フレックスとは、虎義たちが制作しているロボットの名前だ。

「なるほどな……」

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