御都合への道

そうざ

Road to Opportunism

 少年は約束の時間きっかりに編集部へやって来た。まだ中学生だが、とても礼儀正しく、利発そうというのが第一印象だった。

 持ち込み原稿に目を通すのは、編集部員の重要な仕事の一つで、私も数日に一度は漫画家志望者の対応をしている。

 接客ブースのパーテーションに囲まれると、後はもう私と少年だけの世界になった。

「じゃあ、早速拝見させて頂きます」

「宜しくお願いします」

 持ち込みは完成原稿が基本だ。少年は読み切り24ページのストーリー漫画をきちんと仕上げていた。やる気、根気、共に好感が湧く。

 批評は中々難しい。作品内の矛盾点を軽く指摘しただけで忽ち離席する者も居れば、事細かに改善点を挙げても頑なに正当化しようとする人も居る。

 原稿に目を通している間はうちの雑誌を読んでいて貰うのが定番だが、少年はキラキラとした瞳で私を凝視して待っている。忌憚なく意見しなくてはならない立場としては何ともやり辛いが、この対面は飽くまでもビジネスの一環である。手心を加える訳には行かない。

「画は先ず先ずのクオリティーだね」

「ありがとうございます」

 一方で物語の方は弱かった。これは新人一般に言える傾向ではある。

「だけどね……」

「何でも仰って下さい」

 相手は年少者だ。強く欠点を指摘するのは気が引ける。と言って適当にあしらうのは寧ろ失礼であるし、却って成長を妨げる事になる。少年の為にも厳し目に対峙すべきなのだ。

「主人公だけど……一流大学に入って高級官僚から政治家、そして総理大臣までどんどん上り詰めるっていうのはリアリティーに欠けるねぇ。しかも、それが出来たのは地道に努力を重ねたから、っていうのも……」

 少年は穴の開く程に私を凝視している。

「その後の展開に関しても、経済とか外交とかの難題を次々に解決して、最終的に世界平和を実現させるって結末も出来過ぎだなぁ」

 少年の顔色に変化はないが、瞳の焦点は怪しくなっている。

「御都合主義って言葉、知ってる?」

「聞いた事はあります」

「つまりこの物語は主人公に都合が良過ぎるって事だよ」

「……はい」

「そもそもうちは少年誌だし、テーマ自体から考え直した方が良さそうだね」

 気不味い沈黙が訪れた。

 その内にパーテーションの向こうが賑やかになった。ベテランの漫画家が来訪したらしく、編集部員が挙って愛想を振り撒いている。私がそわそわしているのに気付いた少年は、原稿を片付け始めた。

「ありがとうございました」

 深々と頭を下げて立ち去る少年に、沈痛にも似た翳りを見た気がした。

 目の前ではっきりと欠点を指摘され、それ切り姿を見せなくなる漫画家志望者は珍しくない。私は、また一人、挫折に追い込んでしまったか、と感じつつ部員の輪に溶け込んだ。


 その一週間後、不意にあの少年が現れた。

 アポイントもなしに私を名指して面会を求めて来たのには閉口したが、前回にも増して瞳を輝かせている。

「もう描き直したの?」

「はい」

 私は仕事を中断し、少年の最新原稿リテイクに向き合った。

 私は目を見張った。先ず内容ががらりと一新されている。設定から、展開から、何から何までわざとらしい御都合主義がすっかり消え失せていた。

 読む者をすんなりと物語へ引き込み、しっかりと感情移入させ、最後には心地好い読後感を残す、完璧な作品だった。

 本誌うちのコンセプトにも過不足なく合致する。漫画賞に応募せば大賞受賞は間違いない。直ぐにでも連載が決まるだろう。若さゆえの柔軟さと言えば良いのか、担当編集者としてこの上なく嬉しい瞬間だ。

「凄いよっ!」

「アドバイスに従って描いただけです」

「アドバイスって、御都合主義の事?」

「はい、編集部や読者のに合わせました。こういうのも御都合主義って言うんですか?」

 少年の瞳がギラギラと輝いた。

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