第51話
「ただいまー」
着替え、と言っても下着と寝巻くらいだ。
Tシャツは買ってきたが、下は明日も同じものでいいだろう。
歯ブラシやらも買っていたからそれなりに時間はかかったはずなんだが……。
「ま、待ってアキくん!? 今ちょっと大変だから待って!」
理世が叫ぶ声がなぜかリビングから聞こえてくる。
脱衣所ならわかるんだけど……。
「なんかあったのか? とりあえず洗面所に入って良いなら手洗っておくけど」
「そうして! むしろそのままお風呂入って! その間にどうするか考えるから!」
鬼気迫る声だった。
なんなんだ……。
「まあ、そういうなら入るけど……」
「ごめんね! お願い!」
ちょっと気になる気持ちもあったが無理に暴くこともないだろう。
ひとまず買った服を脱衣所に広げて、そのまま風呂に入ることにした。
「……湯船に入るの、謎の罪悪感があるな」
風呂場に入ったはいいが何をするにもなんとなく葛藤が生まれていた。
まず湯船。さっきまで理世が浸かっていたと思うと変な気持ちになる。
さらに洗い場の椅子。そして身体を洗うタオル……。
気にしすぎと言えばそれまでなんだが、どれもどこか触れないようにしてしまう自分がいた。
「シャンプーも……なんかよさそうなやつだし……」
理世からするいい匂いの一端を担っていると考えると変な緊張感があった。
とにかく終始落ち着かない。
「まあ、さっさと上がるか」
最低限、とはいえ丁寧に全身を洗って、ちょっとだけ湯船にも浸かっておいた。
シャワーだけで済ませても良かったんだが、理世の慌てようを考えての時間稼ぎだ。
風呂からあがって、おそらく俺のために用意してくれたたオルとドライヤーを借りて、そこそこ時間を使ってから上がったんだが……。
「もういいか?」
リビングの前で一応確認をする。
「うぇ!? もう上がったの?! もっとゆっくりでよかったんだよ?」
「いや……結構ゆっくりさせてもらったんだけど……なんかあったのか?」
「うぅ……」
リビングの向こうからうめき声が漏れる。
「なんかあったわけじゃないというか……何もなくなっちゃったというか……」
「どういうことなんだ……」
「その……泊まってもらうのにウキウキして忘れてたんだけど、私からお風呂にはいっちゃうとですね……その……恥ずかしいものを見られるというか……その対策を考えていなかったというか……心構えがなかったというか……」
要領を得ないがとにかく困っていることだけは伝わってきた。
だが内容が全く見当がつかない。
「うー……アキくん、私の顔見て嫌いにならない?」
「え?」
むしろ好きになる寄りの要素だと思ったんだが……。
「お風呂入っちゃったからすっぴんなの。化粧やり直そうかと思ったんだけど、パジャマと合わなすぎるし……私も一緒にお買い物行けばよかった……」
「ああ……そういうことか」
確かにリヨンとして会ってきたこれまで、全部理世の化粧は濃い……というか作られた特殊なものだった。
アイドルの顔も知っているとはいえ、これもすっぴんではないわけだ。
だと考えると、これで印象は大きく変わるのだとは思うが……。
「理世の顔見て嫌いになることはあり得ないと思う」
「ほんとに? 保証できる?」
もちろん顔もその人を構成する重要な要素ではあるが……。
「俺と理世はそもそも、顔知らないで会うとこまでいったし」
「そういえば……」
すっかりリアルの絡みがメインになりつつあるが、元々は顔も知らないで声だけで、なんならゲームだけで繋がった相手だ。
確かに今さらというのは恥ずかしいのかもしれないが、気にしすぎないでいい要素だと思う。
「なら……」
そう言いながらリビングの扉が少しずつ開いた。
こっそりと顔をのぞかせる理世は恥ずかしそうに顔を隠していたんだが、まず目に入ってくるのは髪型だ。
真っ直ぐ下ろした黒い髪は、艶めいて見えるほど綺麗だった。
思わず息を呑むくらいだ。
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