N、北風と太陽の死  

「せやな」


 事情は知りえないが、サフィールが剣に手を回した時点で、ソルは委細承知した。


「話すより。こっちの方がウチららしいわ」


 言葉では足りない、刃を交えた先でしか、きっと二人は通じ合えない。


「御用改めである! 広域指定暴力系ギルド『北蠍の双爪リアレス』若頭、ソル。皇帝暗殺幇助、並びに、国家反逆の咎でお前を拘束する」


 サフィールは一言喋るたびに、焼け落ちそうなほどに乾いた喉で声を張り上げる。

 必要最低限、下手にソルへなにかのメッセージを送ってしまえば、ルクスリアに危害が及ぶ。


「『拘束』やと……?」


 一突き。

 槍の刃がサフィールの首を紙一重で横切る。

 視線が交差し、ソルは合点がいく。

 頭が回るほうではないサフィールだが、このまま良い様に使われて終わるほど単純な男でもない。


「……五十の兵子へごに首級くらい手向けてやらんけぇ……」


 これは応答。


「だったらッ!」


 サフィールは槍の柄を掴んでソルを眼前まで引き寄せて、鼻柱に額をしたたかに打ち付ける。


「ごちゃごちゃ言ってないで、今ので仕留めろよ……!」


 サフィールはソルが手放した槍を地面に放り捨て、丸腰の彼女に向かって剣を抜き放ち、切っ先を向ける。

 視線は、絶やさず彼女を見つめながら。


「そうやな……フフっ、そう来んと、釣り合いが取れんわな」


 ソルは硬貨を取り出し、左手で宙に弾く。


「一つ払い、一つ得る」


 因果が逆だ。一つ得て、一つ払う。一つ選んで、一つ失う。

 一つ選ばされて、一つ奪われる。


「五十の首とお前の首で、ウチの首一つ。ちっとばかし、そっちの方にかぶいとるが……ええやろ、四捨五入すれば大体同じや」


 世界はそこまで単純ではないのか?


「――二律背反アンビヴァレンツ


 天秤は釣り合わせなければならない。

 硬貨は支払った。ソルの手には槍が握られている。


「帝国騎士団、一番隊 隊長、サフィール・アルフェルグ……令状にお前の首の有無は記されていない」


 もう、騎士団を追放された少年は、それでも騎士を名乗る。


「『北蠍の双爪リアレス』若頭、ソル。……ちゃんとウチを殺してや。サフィー」


 もう、ギルドを破門になった彼女は、あえてその肩書きで名乗る

 これは大捕り物なんかではない――とんだ茶番だ。

 空に灯る明の明星に、目を奪われない二人の戦士は、互いの刃を交差させる。


「片手で十分なんか?」

「片手で十分なんだよ」 


 ソルの刺突を、今度は斬り払い、サフィールは懐に踏み込む。


「アンタこそ、小銭は十分か?」

「お前との喧嘩を買えるくらいにはな!」


 真後ろに投げた硬貨とソルの位置が入れ替わり、一瞬で槍の間合いに離される。

 硬貨は残り一枚。


「今日は、手加減なしだ」


 間合いなど、翠嵐を抜いたサフィールの前では意味をなさない。


「食い破れ――『番風ツガイカゼツバメ


 二筋の烈風の刃が走り、ソルから左右の回避の選択を奪うようにして襲い掛かる。

 そうなった時、ソルが取る選択は真正面。

 足が潰れて満足な足捌きが出来ないサフィールに、距離を詰めるという選択はない。

 とソルは思っていたのだろう。


「『隼舞ハヤトマイ』」


 サフィールは追い風に背を押され、半ば吹き飛ばされるような形で番風で逃げ道を奪ったソルに急接近していた。

 利き手とは逆の右手前の脇構えで、ソルの槍を斬り払う。

 本来なら槍の持ち主が体勢を崩すところだが、ソルはあえて槍を手放し、虎の子の最後の硬貨を迫り来るサフィールに向かって放り投げる。


二律背反アンビヴァレンツ


 硬貨が眼前にありながら、サフィールは怯まない。

 彼の前にある硬貨はまだ裏を向いている。表に向くよりも早く、ソルの首を斬れる。


幽体残脱スピリット


 だが、硬貨は想定より早くその姿を変える。

 槍ではなく、丸腰となったソル自身が目の前に踊り出る。


「何ッ!?」


 刃と持ち手の間、超至近距離。剣では返せない……!

 追風で正面へのスピードが乗っている中、顔面で彼女の膝を食らう。


「お返しや」


 ヘッドバッドへの返礼と言わんばかりの顔面への強打。

 サフィールの視界が揺れるが、毒で強制的に脳が排出するアドレナリンで意識を無理矢理たたき起こす。


「そんなんじゃ、まだ足りねぇぞ!」


 足りている。とっくに残りの体力を削られてもおかしくない一撃だった。

 だが、毒の痛みと興奮作用で、すっからかんの体力でも戦闘を継続させる。


「そっちこそ、そんなしょうもない攻撃で、ウチを殺せるんか?」


 そういうソルも、もう巾着袋に硬貨は残っていない。

 今の一撃で戦闘不能にする心算だった。経験上、サフィールはあまり打たれ強いタイプじゃないことは把握していた。

 外的要因もさることながら、心理的な要因が、ここまでしぶとくなるというのは予想外だった。


「……」


 落ちた槍を拾いながら戦えるだろうか?

 無理。

 そんな特大の隙をサフィールは許さない。

 なら答えは一つ。


「もう素寒貧か?」

「景気が良うないもんでな、それに……」


 素手喧嘩ステゴロ上等。


無手こっちの方が性に合っとる」


 もとより極道の喧嘩の華は真剣勝負に有らず、己が腕っ節のみでの一騎打ちタイマンにこそ有る。


「俺は剣を納める気は無いぞ」

「構へん。それが騎士ってもんなら、その筋張り通せ」 


 サフィールは四捨五入すれば極道みたいな集団の一員ではあるが、列記とした騎士だ。

 騎士が銃を使い剣を振るわずとも帯剣しているのは、そこに誉れがあるから。


「言われるまでもない」


 であれば、もはや死に体同然だとしても最後まで騎士として剣を握り戦わせる他あるまい。


「骸喰い荒し、その背に残るは静寂しじま


 二節、サフィールが唱え、納刀する。


 翠嵐が起こしていたやかましい暴風が止み、周囲一切のそよ風の音すらこの場から消え去る。

 残っているのは二人の呼吸の音のみ。

 鞘を押さえるべき左手はだらんと投げ出されているが、右手はしっかりと柄を握りこんでいる。

 不恰好な居合いの構え。


 ソルに槍の間合いの優位はない、素手ならば必ず剣は届く。

 ならば、剥き身の刃よりも、初速も軌道も読ませない抜刀にて相対する。


 刃渡り91,72cm。

 踏み込めば、両断。

 踏み込まなければ、届かない。


「……」

「…………」


 用意どん。も、はっきよい。もなく、ソルは無言で駆け出す。

 見えている不可避の絶対領域に、ソルは臆することなく力強い一歩とともに立ち入る。


「…………」


 速い。

 だが、サフィールの目には翠嵐から流れ出る無風と変わらない極遅の空気の波紋が視えている。

 『鯉目燕跡リモクエンセキ』それは、目に映らない空気の流れを視認する能力。

 跳ねた鯉が水面に浮かべた波紋が乱れ、張り詰めた糸が断ち斬られる。


「『――纏旋風マトイツムジカゼ鴉雀声無シアジャクコエナシ』」


 反応、反射、それを超越した、カラクリじみた全自動のカウンター。

 ソルの拳が届くより先に、サフィールが彼女の首を断つ。


「あぁ、惜しかったなぁ」


 表情が付いた声。

 その声はサフィールの右腕が止まってから放たれた。

 霞む視界の先にいるのは、金髪の少女。それは彼女が少年に見せた初めての感情の乗った表情だった。

 心の底から、ソルは自らの命の危機を、


「肉を切らせて骨を断つってか」

「今のお前じゃ、骨断てへんからなァ!」


 ソルは右手の甲で剣を受け止め、残る左手で翠嵐の刀身を握り込んでいた。

 体力の落ちたサフィールに骨を断つことは出来ない。或いは、右手をくれてやってでも、翠嵐を掴む。それが、ソルに与えられた反撃の一手。


「『二律背反アンビヴァレンツ輪廻転生メビウスッ!!』」


 高らかに彼女は叫び、翠嵐が霧散する。

 この世界に、翠嵐と釣り合う価値のあるものなんて、どれほどあるだろうか。

 そして、ソルは翠嵐の金銭価値以上の価値を知っている。

 忠誠を誓う皇帝から与えられ、帝国を守る使命の証としてサフィールが肌身離さず持ち続けた。

 魔剣であるとか、国外の高度な技術で打たれたとか、そんなものでは代えられない、ソルが知りうる限り最高の価値。

 だからこそ、ソルにとっての無意識に秘められた最高価値と釣り合いが取れる。


「こいつは……ちょっと予想外過ぎるな……」


 現場を眺めていたギュスタヴの余裕が崩れる。


「アンタは初めましてやな」


 彼女に握られているのはおそらく長柄の武器。だが柄の部分がごちゃついており、触り慣れない素材で作られている。


「破壊の杖『雷鳴』……」


 サフィールには見覚えがある。

 それは歴史書に記された、図面上のモノ。


「初代皇帝が振るった、の国宝だって!? そんなもん現存しているわけ……」


 ギュスタヴが続けようとした瞬間、顔の真横を何かが走り、直後、真後ろで霹靂へきれきつんざく。


「外したか……」


 ソルは見覚えのないその武器を、ためしに高みの見物をかますギュスタヴに向けてを引いた。

 それは、現在の拳銃ピストルや騎銃、マスケットなどの祖とされる神秘の技術で作られたとされている。

 故に銃ではなく、杖と称されているが、光沢のある砲身の先には銃口があり、その下部には刃が備えられている。


「いや、杖やのうて、銃やろ」

『生体認証完了……ログイン番号037、機動完了、機能制限レベル3』

「あん?」


 ソルには聞き取れない言語で、突然、雷鳴とやらが鳴き始める。 

 そんなことよりも、だ。


「ソル…………」

「サフィー!」


 サフィールの身体に限界が訪れる。

 気力で立っていたサフィールはソルの胸に抱かれる。

 そこで盗聴されないように、耳打ちをする。


「翠嵐を託したんだ……殿下と副長を頼む……」


 そう言い残して、サフィールの意識は途絶えた。

 最初からサフィールは、自らの命を捧げて、翠嵐を奪われたように見せかけ、ソルに切り札を託そうとしていた。

 もう遠くへはいけない自分より、五体満足なソルなら、逃げおおせる。


「……悪いな。サフィー。ウチにも欲が出てきた」 


 意識を失ったサフィールを抱きしめ、ソルはこう続ける。


「初めて会った日から予感はあった。それが今日、確信に変わったんや。サフィー……死なんといて……まだ伝えたいことがあるんよ」


 その声は、傷だらけの少年を慈しむ。

 サフィールの身体を地面に寝かした後、雷鳴を普段自身が扱う槍のように振るい、今しがた確認したこの新しい武器をギュスタヴに向ける。 

 それを見た、ギュスタヴは広場の周囲に向けて合図を送る。

 すると、ついに百を越える騎士が、完全武装でソルとサフィールを取り囲むように現れた。


「仕留め損なっただけじゃなくて、翠嵐まで奪われるなんてさぁ。俺をがっかりさせんなよ、サフィーちゃん」

 

 広場に降り立ったギュスタヴは、誰にも聞こえない声でそう呟いた。


「おっさん、お前が、これを仕組んだんか?」


 雷鳴の切っ先をギュスタヴに向けながら、ソルは問う。


「何の話かな。北蠍の双爪の若頭。キミが副長と企てた、国家転覆劇だろう! そのせいで、多くの同胞が犠牲になった! 団長も、そこのサフィールも!」


「もうええわ」


 どこまでもいけしゃあしゃあと宣う、ギュスタヴの話を打ち切り、ただ無表情に、ソルは雷鳴と共に在る。


「……あくまでもそういう体でやろうって魂胆なんやったら、もう色々手回しもすんどるんやろ? 弁明は無駄なんやったら」


「無駄なんだったら……何をするつもりだ」


 小さくため息をついたあと、ソルはいかずちを携えた修羅となる。


「追加で五十は貰う」


 一方的に奪うだけ奪って、それで済ませたりはしない。地獄の底からでも対価を毟り取る。


「……総員、掛かれッ!!」

「頼んだで……『雷鳴』!」


 後に、『レグルスの大火』と呼ばれるこの事件は一夜びして百を越える騎士と多数の市民を犠牲にした凄惨で凶悪なテロ犯罪として後世に刻まれる。

 主犯、不逞浪士『ソル』の名を残して。

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