16、毒

 気が付けば、紺青と茜色が地平の先で交わり、暗闇で隠れていた雲の輪郭を浮き彫りにしていく。

 そんな風景を見ている余裕など、彼らにはない。


「随分……高い買い物やったなぁ」


 ボロボロのサフィールの姿を、ソルは眺め、そう言葉を漏らす。


「……ソル」


 サフィールは苦悶の表情を浮かべ地面に転がったラヴィの首を眺め、何かを必死に堪えるような声で、目の前の彼女の名前を呼ぶ。


「五十はおったのに手傷の一つも負わせられん、大赤字やなぁ」


 何事も無かったかのような、のんびりとした口調でソルはこの巫山戯た計画を企てた男を嘲る。サフィールを盗聴しているのなら、この会話もきっとギュスタヴに届いているだろう。


「最初っからお前が出とったら、こうはならんかったやろ。何しとったん?」


 今のサフィールにそれを聞くのは野暮だろう。

 ルクスリアと皇帝を救うべく、別れたサフィールが負傷しながら戻ってきた。フェスタを使いに出したにも関わらず、傍に黒猫の姿もない。

 彼にとって、彼女にとって最優先にすべきものを優先した。

 だから、こうなった。


「関係ないだろ、アンタには」


 今のサフィールの姿を見て野暮な質問をしたのはソルのほうだが、それにしても、余裕の無い返答にソルは少し訝しむように顔をしかめた。

 当然、こんな状況で心穏やかでいれるわけもないが。部下を殺した相手とはいえ、複雑な胸中を堪えソルと共にこのまま帝都を離れる。それが、一番理想的。

 だが、ことはそうも単純じゃないらしい。


「柄にもなく、気が立っとるなぁ」


 顔を上げたサフィールの表情は、苦虫を噛み潰したような、心底気乗りしないといった様子だった。


「お喋りしに来たわけじゃない」

 

○●○●○●○●○●○●


「そう、それでいいんだよ、サフィーちゃん……」


 広場の二人を高みの見物しているのは、騒動の主犯、ギュスタヴ・カルキノス。

 お立ち台で、両脇に部下を従えながら、その両の瞳に二人を映している。


「大切な人を守るための選択ってのは、実に尊いモンだよねぇ」


 その口元には不敵な笑みが浮かんでいる。


○●○●○●○●○●○●


 ことは、サフィールがルクスリアとフェスタを逃がした後の話に戻る。


「いくらなんでも、しぶとすぎでしょ……若いってだけでここまで頑張れるもんかね、今時の若者は」


 ギュタヴが連れていた騎士たちを半分、大雑把に二、三十人ほどなぎ倒したあと、ようやく目に見えてサフィールの動きが精彩を欠き始めた。

 そのあと更に十人ほど殺し、ようやく、力尽き、残りの騎士達が総出でサフィールを取り押さえ、翠嵐を再び手放させることが出来た。


「まだ……まだァ……!」


 フーッ、フーッっと、荒い呼吸を漏らし、取り押さえている騎士の腕に噛み付く姿は、空腹で気の立った獣そのものだった。


「参謀ッ! 今のウチに殺しましょうッ!」 


 完全に取り押さえているというのに、ほんの些細なミスで、この場の全員が殺されてしまうかもしれない。そんな現実味を帯びた予感が、サフィールが敵に与えた恐怖を物語る。

 周囲には急所もそれ以外も、見境無く八つ裂かれた死体が大量に転がっている。


「そんなに、慌てるこたぁないよ。さっきみたいなうっかりはもうしないから」


 動けないサフィールに怯える騎士達に反して、ギュスタヴはやけに落ち着いている。


「しかし……!」

「まだ、サフィーちゃんにはやってもらうことが残ってるんだ、それとも……キミも、一番隊みたいになりたいのかい?」


 一番隊の名が出た瞬間、気力だけで保っていたサフィールの目が開かれ、噛み付く力が一段と増す。


「い、いいえ……」

「はっはっは、そう。ならよかった、これ以上、犠牲者は増やしたくないしね。物分りがいい部下を持てておじさん嬉しいよ」

「おい!」


 聞き捨てなら無い言葉を受けたサフィールは騎士の腕の肉を噛み千切る。


「『一番隊みたいに』ってどういうことだッ! 答えろ、俺の隊に何をしやがった!?」

「それを、今キミが知ったところでもう、手遅れなんだけどね……」


 やかましいサフィールに一切怖気づくことなく、サフィールは懐から角笛を取り出し、彼の目の前に置く。


「丁度いいところだ、サフィーちゃんも聞いとくといいよ、生中継」


 その角笛は、サフィールも見覚えのあるラヴィの能力で出現するスピーカーだ。


『死にたくも、ないです……けど……隊長を救うにはこれしかないんです!』


 そこから聞こえるのは、涙で声を震わせているラヴィの声、そして、聞き覚えのある一番隊の隊士たちの声が続き、次々とそれが断末魔に変わっていく。


「ラヴィ……! 一体、誰と戦って……」

『三十二』


 爆発音で音声にノイズが走った後、その声が角笛から聞こえる。


「まさか……!?」

 

 サフィールの脳裏に過るのは、金髪の修羅。


「一番隊には北蠍の双爪リアレスを襲撃するよう命令を出したんだ。『あの』若頭は今後邪魔になるだろうからね」

「馬鹿が……平隊士をいくら積んだってソルを殺せやしねぇぞ!」

「そんなのは百も承知だよ。なんせ、『千刃』と同格って話だ」

「なら、何でこんな無駄な真似を!?」


 ソルに何人ぶつけようと、精々が硬貨を消費させる程度、それでも、彼女は百は殺す。


「無駄? いやいや、これには大きな価値があるわけよ。ソルちゃんを殺すだけなら、隊長格一人を払って同士討ち、下手すりゃ二人目も払わなきゃいけないじゃない。それじゃあさ、たかが極道組織潰すのにこっちは駒損なわけじゃん?」


 ギュスタヴはサフィールの前にしゃがみ込み、飲みの席で昔馴染みと話すように砕けた口調でべらべらと喋る。


「平隊士ならどれだけ使っても損じゃないってっかァ? ド畜生が」


 まるで、将棋の話のように語る、ギュスタヴをサフィールは目だけで殺そうとしている。


「いや、忠実な騎士はすべからく大切な命さ。けど……一番隊は別。尽忠報国第一の隊長が率いる隊が、俺の謀反に乗るはずないでしょ? だったらさ、どうせ捨てる駒なんだから、有効に使わないと、ね?」

「俺の隊が、テメェみたいなクソ野郎の命令、脅されたって従うわけないだろ! 一体何をした!」


 吠えるサフィールに、ギュスタヴはまるで怯む様子を見せない。


「ホント! それが一番難儀したのよ、『従わないなら全員命は無いぞ!』って捕らえた不逞浪士を脅しで殺したりとか、柄にも無いことしたのに、どいつもこいつも、命は惜しくないってさ。馬鹿にしてるわけじゃなんだよ、いや俺は感心したねぇ、忠誠心の強い隊長の色が良く出てるなぁ、ってさ」


 わざとらしく大仰に感心した素振りを見せるギュスタヴを殴り飛ばしたい衝動に駆られるが、サフィールは身動き一つ取れない。


「じゃあ逆に、『隊長の色』を利用できないかって、思ったわけ」

「どういうことだ!?」

「キミの命を人質に取ったのさ」


 その言葉を合図に、サフィールにが全身に回り始める。


「いッ……いつの間に……!?」

「さあ? いつだったっけなぁ?」

「とぼけやがって……!」

「まさか、最強の隊長が人質に取られるなんて夢にも思わなかっただろうけどさ、北蠍の双爪まとめてひっ捕らえたら、隊長だけは生かしておいてやるっていったら、目の色変えて俺に従ってくれたよ。いやぁ忠義ってのも、大変だねぇ」

「て……めぇ……」

「しんどいでしょ、これで拷問した不逞浪士どもは、大体楽になりたいっつってなんでも吐いちまうんだよ。ま、あんまりにも簡単に拷問が終わるってんで監察から苦情が来たんだけどさ」


 指の先から身体が破壊されていくことを自覚しながら、サフィールは血反吐を撒き散らす。

 ラヴィに食らわせた毒よりも調整が施されているのか、毒の回り自体はゆっくりで、まだ感覚は生きている。

 裏を返せば、より苦しむようにいたぶられている。


「俺も、サフィーちゃんをこんな毒なんかで殺したくないんだよ。せめて最後くらいは騎士らしく、それが騎士団の仲間としての礼儀だって思ってたんだ。俺だって悲しいんだよ、今すぐ助けてやりたいんだ」


 天下に並ぶ者なしと言われた剣士が、毒に苦しみ悶える姿を、ギュスタヴは心のそこから憐れむような声でそう呟き、サフィールの耳元に顔を寄せる。


「もし、同じ毒を殿下にも仕込んでるって言ったら……ソルちゃん殺してくれる?」


 ギュスタヴはサフィールの目の前に棘だらけの蜘蛛の糸を垂らす。

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