3—4 158人

 都市遺跡サンラッドから空中戦艦に戻ったとき、もう太陽は西の山の向こうにいた。

 僕は夕食が出来上がる前に、休憩がてらお風呂へ向かう。なぜかイーシアさん同伴で。


――まさかイーシアさん、一緒にお風呂に入る気じゃないよね? う~ん、なんとかして一人でお風呂に入らないと。


 なんて考えているときだった。イーシアさんがふとつぶやく。


「あら? シェノちゃんがいるわ」


 イーシアさんの言う通りだ。空中戦艦の休憩室、大きな窓の前で、シェノが一人、外を見つめ立ちすくんでいた。

 お風呂から出たばかりなのか、ゆったりとした服に濡れた長い髪を垂らすシェノは、凛とした瞳を曇らせ、今にも崩れてしまいそうな様子。


「なんだか元気なさそうだよ」

「悩み事って顔してるわね」


 あんなに明るかったシェノが、人が変わったように暗い顔してるなんて、心配だ。

 だからって、ズカズカと人の悩みに入り込むのも良くない。

 どうすればいいんだろうと右往左往していれば、イーシアさんが僕の背中を押した。


「フフ、ここはレンくんの出番よ!」

「はえ?」

「レンくんの優しさで、シェノちゃんを元気にしてあげて!」

「いや、僕には無理だよ。きっとイーシアさんの方が――」

「そんなことないわ、レンくんならできるわよ。それに、人の悩みは人が解決してあげないとね」


 確信めいたイーシアさんに押されて、僕は休憩室に足を踏み込んじゃった。

 踏み込んだところで、やっぱりどうすればいいのか分からない。

 結局、僕はシェノの隣、でも少しだけ離れた場所に立ち、一緒に窓の外を眺める。


 そうして数分間、僕たちは沈黙の中にいた。

 シャンプーの優しい香りに包まれた静かな空間で、目の前に広がる星空と、青く淡く輝く魔力の霧に覆われた大地を眺める僕たち。

 シェノは外に目を向けたまま、おもむろに口を開いた。


「空から見る世界って、キレイなんだね。わたし、知らなかった。空って、見上げるものだとばかり思ってたから」

 続けて、不安いっぱいの表情を僕に向ける。

「今からでも遅くない。『虚無』での探し物まで手伝ってくれなくても、いいから」

「うん?」

「わたしたち、危険な任務の最中なんだ。これ以上レンを巻き込めない」


 再び視線を外に向けると、そのままシェノはうつむく。

 うつむいたまま、小さな声で力なく言った。


「27人」

「……それは、なんの人数?」

「昨日、マモノとマゾクに殺された騎士の数」


 僕は言葉を挟めない。黙り込んでいるうち、シェノは拳を強く握った。


「全員の名前と顔、覚えてる。みんな、明るくて楽しくて、強くて頼りになる、いい人たちだった。みんな、誰かを大切に思い、誰かに大切にされている人たちだった!」


 悲しみとも怒りとも知れぬ叫びが休憩室に響き渡る。

 だが次の瞬間には、シェノは寂しさと悔しさの中に沈んでいく。


「……そんな大切な27人の命を、わたしは守りきれなかった」


 言いながら、シェノは首を横に振った。


「ううん、27人じゃない。今までわたしが参加してきた任務で、158人が犠牲になってる。158人だよ? しかも、わたしが任務を続ける限り、この数は増えていく」


 唇を強く噛んだシェノ。

 彼女の視線は遥かな空の先へ。


「お兄ちゃんを殺したマゾクを倒す。あんな悲しみ、二度と、誰にも、味わわせはしない。そう思って戦ってきたのに、そのせいで犠牲者の数は増えていく」


 言葉を絞り出すシェノは、あまりに辛そう。

 闘う貴人と人々から呼ばれ、マモノも恐れぬ少女の苦しみ。

 思わず僕は言ってしまう。


「……重い、だろうね」

「当たり前でしょ。重すぎて潰れそうなくらい」


 本当だよ。今のシェノ、すぐにでも押し潰されて、崩れてしまいそうだ。

 でもそれって、すごく悲しいことじゃないかな。


「もしだよ? もしシェノが、その重さで潰れちゃったとき、158人のみんなは、どう思うのかな?」

「……え?」

「158人のみんなが、一体どんな人たちだったのか、僕には分からない。でもね、なんとなくだけど、みんなシェノのことが大好きだったとは思うんだ。そうじゃなきゃ、命を張ってまで一緒には戦えないからね」


 きっとシェノに恨みを抱いている人なんていないはず。


「シェノのことが大好きだったみんなが、シェノが潰れちゃう姿なんて見たくはないと思う。だからシェノが、たまにはみんなの思いを降ろして、ゆっくり休んでも、みんなは許してくれるんじゃないかな?」


 僕だってシェノが潰されちゃう姿なんか、見たくないしね。


「あと、明日の任務のことは気にしないで。僕も、みんなを守りたいから」


 ついでに口から飛び出した言葉。

 いろいろ言い切った僕を、シェノはじっと見つめている。

 月の光に照らされた、凛とした美しい瞳に見つめられ、僕は思わず目を逸らしちゃう。

 シェノはゆっくりと僕との距離を縮めた。


「レン……」

「あ、えっと、ごめん! 僕なんかが、おこがましかったよね」

「ううん! ありがと、ちょっと元気出たよ!」


 すぐそこまでやってきたシェノの表情に、もう暗い影はなかった。代わりに、そこにはトレーニング室や食堂、サンラッドで見せてくれた、明るく楽しげな笑顔が浮かんでいた。

 背伸びをしたシェノは、八重歯をのぞかせ言い放つ。


「あ~あ、なんか吹っ切れた! よし! 明日の任務も頑張るぞ~!」


 軽い調子でそう言って、シェノは僕に手を振った。

 そして快活な雰囲気だけを残し、休憩室を去っていく。直後、僕はいきなりイーシアさんに抱きつかれた。


「えい!」

「わわわ!」

「さすがねレンくん! いい子いい子~!」


 柔らかさに包まれ、頭を撫でられ、僕はされるがまま。


 僕、ホントにシェノを元気づけられたのかな?

 結果を知るのは、シェノだけだ。 


 ところで、休憩室の外では、ミードンを頭に乗せたメイティが僕を睨みつけていた。

 彼女は青い髪飾りを大事そうに握りしめ、すぐにプイッとどこかへ。

 なんでだろう。僕、メイティに嫌われるようなこと、したかな?

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