電脳ネットオークション

唯六兎

電脳ネットオークション

 電脳ネットオークションは、毎週日曜日の午前十時から行われます。退屈な学校生活を送る僕の、唯一の楽しみです。この日のために一週間を楽しんで過ごし、前日までに宿題を終わらせ、一ヶ月ぶんのお小遣いでクッキーやカルピスを買いだめます。身辺の準備が整い次第、重々しいブラウン管テレビと向かい合い、政府が運営する電脳世界にログインして、開催地である「電脳ハルカス」に向かいます。

 「電脳ハルカス」の貸会議場がオークションの開催場所です。現実世界のハルカスにも行ったことがありますが、それとは比べ物にならないほどの壮観な眺めです。エレベーターを登っていると、パステルカラーの車が縦横無尽に空を走り回り、集団行動さながらの精緻さで交差するのが見えます。その奥に赤々と見えるのは「電脳タワー」です。大方「東京タワー」を模したものなのでしょうが、永遠に色褪せることのないタワーは現実のものよりも眩しく見えました。

 部屋にはすでにたくさんの人がいました。「人」と言っても電脳世界では自身の分身であるアバターを使うことがほとんどなので、有象無象が跋扈してる状態です。当然僕もアバターを使っています。白い球体に手足を生やしたシンプルでかわいいアバターです。

 僕はその小さな体を動かして、お母さんに予約してもらっていた席に着きました。そして手元にデジタル端末を出現させて、今回出品される予定の作品が空間投影されるのを順繰りに眺めていました。

有名な作家の絵画や彫刻もさることながら、誰もが知らないような素人の作品もありました。白いキャンパスに黒い墨で丸を書いたものや、人の顔だけをデカデカと描いたものから、カラフルなキャンディを画面いっぱいに描いたもの、デジタル作品も多くあります。これらは、権威を伴わない素人にも発表の機会を与えるべき、という思想がこのオークションの理念にあることによるのですが、どれも僕にはよくわかりません。「かっこいい」「不気味」「かわいい」「すごい」と言った簡単な感想しか出てきませんでした。ですが、それでもいいのだとお父さんは言います。「その感情を大切にしろ」と言っていましたが、「細かいことは俺もよくわからんが」とも言っていました。僕を慰めるために適当を言ったんだと思います。

 出品予定作品を眺めていると、「間も無くオークションを開始いたします」と館内アナウンスが流れました。これはオークション開始五分前を告げるアナウンスです。いつもならみんなが雁首を揃える頃なのですが、僕の左側には一つ空席がありました。何か急用があって出席できなくなったのか、それともパソコンの立ち上げが間に合わなかったのでしょうか。僕にもあったことなので、その悲しさがよくわかるのです。

僕の右側には肌の白い大きなマダムが座りました。犬歯が獣のように鋭く唇からはみ出ているので、ヴァンパイアのアバターなのでしょう。前方には高価なヘビ柄の衣装を身にまとったツチノコが座りました。僕はヘビが嫌いなので少しゲンナリしたのですが、はてさて、ツチノコはヘビでしょうか。ヘビの見間違いがツチノコであったと考える人もいるくらいですから、同じようなものなのかもしれません。とにかく、視線に必ず入るのは勘弁してもらいたいものでした。


 空間投影された時刻をふと見てみると、開始の二分前になっていました。僕の左側には相変わらず空席があります。もう来ないのかなといよいよ高を括っていたその時、会場の後ろの扉がわずかな音を立てて開き、誰か入ってくるのがわかりました。

 人々の間を申し訳なさそうに抜けて「すいません、すいませんね」とこちらへ向かってくるのは、一見すると「良いお兄さん」といったふうなアバターでした。全身黒ずくめで少し怪しい雰囲気を漂わせてはいましたが、ヘビに比べればどうってことはありません。

 そのお兄さんは僕の隣に座るなり、デジタル端末を出現させて作品一覧を眺めていましたが、半ば諦めたようにして端末を収納し、僕に話しかけてきました。

「ねえキミ、このオークションは初めて?」

「いえ、十回目くらいです。多分ですけど」

正確な数字はわかりませんでしたが、大体そのくらいでしょうか。若干の申し訳なさを覚えながらお兄さんの顔を渋々みると、彼は満面の笑みを湛えてこちらを見ていました。どうやら満足のいく回答ができたようです。

「それは良かった。あっ、どうも、桂です」

お兄さんは僕に握手を求めました。

 話によると桂さんは今回が初めてのオークションだということでした。遅刻したのは、ただ単に道に迷っていたからだそうです。

「だから経験豊富な人が隣にいてくれたらなと思ってたんだ。キミみたいな人がいてくれて助かるよ」

「お力になれるなら、僕も嬉しいです」

「ヘヘヘ……えらく大人びているんだね……」

桂さんがそう独りごち、いよいよオークションの開始を告げるアナウンスが流れました。


 「ロットナンバー〇〇一、『封印』、プラスチック製の円筒容器にて、自然の一部を切り取ったものです」

オークショニアの紹介とともに会場の前に投影されたのは、透明な円柱の中に自然の一部が再現されたものでした。土が幾層か積み重ねられ、その上に枯葉、そして雑草が茂っています。土や枯れ葉の湿り気であったり、雑草の草いきれがひしひしと伝わってくるようです。

「あれ、本物だと思う?」

桂さんが話しかけてきました。円柱の上部に穴が開いていることや、透明な壁に少し水滴が付いていることから、本物であると言っておきました。桂さんはそれを聞くなり、ぶつぶつ言い始めました。

「題名が『封印』ということだから、あの筒の中には力強い何かが無理矢理捩じ込まれているといえかもね。その対象が、無限に広がる豊かな『自然』なのかな。そもそも筒という円柱の中に封印する必要は……。あ、そうだ、生き物は円柱形でできているという文章を読んだことがあるぞ。なら、あの作品は生き物が無限の力を持つものであることを表している? それとも無限の力を放出できない生き物の物質的な限界を……?」

僕には桂さんが言っていることがわかりませんでした。難しい話はまだよく理解できないのです。ただ、僕も一言感想を述べておこうと思いました。考えを共有する授業を学校でしたのを思い出し、再現しようとしたのです。

「僕はテラリウムみたいだなって思いました。お母さんの趣味なんです、テラリウム」

桂さんは「えへっ」という声を上げました。何か問題あったのでしょうか。桂さんの顔を見ると、なんだか神妙な顔をしていましたが、怒っているようには見えません。

「僕、何か変なこと言いましたか?」

「いや、確かになあと思ってね。考えもしなかったものだから」

桂さんはふむふむ言いながら、釣り上がるテラリウムの値段を眺めていました。


 「ロットナンバー〇〇七、『ヒ』、黒々とした球であり、それ以上でも以下でもありません」

「こりゃまた変なものが出てきたな……」

会場の前に投影されたのは、黒々とした球でした。かつて何かの映画で見たような気がしますが、確かその映画の原作は漫画だったでしょうか。なんにせよ、僕にとってはあまり目移りしないものでした。

「ただの黒色の球なのに、何で『ヒ』なんでしょう」

「分からないな。もしかして、中に何かあるのかもしれないね。買って割ってみるかい?」

「僕、未成年ですからまだ買えません。桂さん、お願いします」

僕は冗談半分で桂さんに頭を下げるふりをしました。桂さんは少しおどけた表情を見せながら笑って言いました。

「買えたら買ってみるかな。ハハハ」

ハハハと笑う桂さんにつられて僕もヘヘヘと笑ってしまいました。そんなやりとりをしている間にも、『ヒ』の値段はぐんぐんと上がっていき、僕のお小遣いではとても手の届かない額になってしまいました。もしかすると、今回の最高額はとっくに超えたのかもしれません。よく覚えていませんが。

「三五〇! 三五〇より上は!」

オークショニアが最後の確認とばかりに声を張り上げました。すると、隣のヴァンパイアのマダムが手持ちの電磁札を上げ、重々しい声を上げたのです。

「三六〇」

会場が少しざわつきました。今までびくともせずに泰然としていたマダムがここで大手を上げたのですから、僕も流石に驚きました。当然のことです。さて、ここいらで手打ちになるのでしょうか。それとも続くのでしょうか。

 後者でした。どういうわけか「三七〇」という声がどこからともなく聞こえてきたのです。皆の視線はマダムに注がれました。マダムの進退はいかに。

「四〇〇」

マダムはさらに三〇を追加し、電磁札を上げました。対抗するように、「四一〇」の声が上がります。ペースは徐々に早まっていきます。会場は大きく揺れました。

 長いこと、マダムとあと一人が激しく競り合っています。もはや終わる気配を見せません。延々と続きます。何がよくてあんなものにそこまでの値をつけられるのでしょう。僕には全く理解できませんでした。桂さんにも聞きましたが、これには桂さんも困ったようでした。

「最近では有名アーティストの作品でも四〇〇から五〇〇の間で手打ちって聞いてたんだけど、これはどういうことだろう。あの『ヒ』という作品がそれほど素晴らしいものだとは思わないし、作者も誰かわからないし……。金持ちの享楽なのかな」

「何か秘密があるんですかね。やっぱり買って割ってみましょう、桂さん」

「是非割ってみたいね。うん、割ってみたい。でも、これじゃもう手出しできないよ」

桂さんと僕、そして有象無象はこぞって目を充血させ、ことの推移を見守ります。

「五〇〇」「五三〇」「五四〇」「六〇〇」

「六〇〇出ました! 六〇〇うう!」

ついに六〇〇の大台に乗り、すっかり熱に浮かされてしまったオークショニアが鬼気迫る表情で唾を飛ばしました。上体を机から乗り出し、顔を真っ赤にしながら手を大きく振り上げます。まさに迫真でした。歓声がどっと上がり、拍手をする者が現れるのも当然のことのように思われました。

その時でした。突如パチンと音をたて、画面が暗転したのです。僕は一瞬思考をやめ、それから絶望の淵に叩き込まれました。電脳世界との接続が途切れたのです。

「えっ、何で……なんでえ! なんで消えちゃったの!? なんで今なのさ、もう!」

「お兄ちゃんうるさい!」

隣の部屋で弟が喚きます。その声で僕はふと、不動の二つ名を持っていることを思い出しました。少なくとも学校ではそう呼ばれています。はて、一体誰が言い出しっぺだったでしょうか。おそらく土山くん辺りだったろうと思うのですが。とにかく、その名に相応しい自分であろうと心に明鏡止水を想像し、落ちつきました。そして、暗転した理由を探しにテレビのケーブルを見たり、スマホの電波状況を確かめたり、テレビを叩いたりしました。

画面は突如戻りました。ブラウン管特有のジジジという音とともにです。

しかし、『ヒ』もマダムも、すでに跡形もなく消えていました。


 珍事が起きた後、オークションは一時休憩となりました。おそらく運営が原因を調査するためにも、ゆったりとした時間が必要だったのでしょう。幸いオークション会場からの退出は必要ないとのことでしたので、僕は桂さんと話をしていました。

「一体、何が起きたんだろ。出品情報そのものが跡形もなく消えるだなんて……。ウイルス対策も万全なのにね」

「僕、ウイルス対策ワクチンは打ってますから、多分大丈夫……ですよね……?」

「あはは! 大丈夫、大丈夫、万が一にもそんなことはないよ」

現実世界での影響もあって、ウイルス対策ソフトは「ワクチン」と呼ばれています。そして現実世界と同じく、電脳世界上にも変異するウイルスがあるとされていて、ワクチンの接種は義務化されているのです。とはいうものの、ウイルス自体、今ではあまり見かけません。

かつての電脳世界は、個人的な動画配信などが行われる小規模な舞台でした。その頃にはまだウイルスが蔓延していて、それはそれは大変だったそうです。しかし、電脳世界に大手の企業が進出し利益を産むようになると、政府は国力をあげて電脳世界でのウイルス撲滅を目指すようになりました。当時はさまざまな紆余曲折があったようですが、結果的に現在の平和な電脳世界が実現しているというわけなので、本当にありがたいことです。

「『ヒ』はあの女の人と競り合ってた人が三五〇万円で買ったそうです。作品がないので、なにかの紙を買ったらしいですけど」

「そりゃ権利書だね。まあ、権利書が実質作品と言えるんじゃないかな。今回に関しては」

さて、そんな話を桂さんとしていると、オークションの再開を告げるアナウンスが流れました。

「お客さまにご迷惑をおかけしましたこと、心よりお詫び申し上げます。お客様に影響を及ぼすようなシステム障害などは確認できませんでしたので、まもなくオークションの方を再開させていただきます。申し訳ございませんが、もうしばらくお待ちください」


「ロットナンバー〇一五、『斑点の半纏の反転』、その名の通り、斑点模様の半纏が裏表反転したさまを描いてあります」

投影されたのは、名実ともに斑点模様の半纏が反転したものでした。色合いも地味なもので、特に見栄えもするわけではありませんが、その名前には遊び心が溢れています。

 どうやらあのユーモラスな名前の作品は巷で有名な作家の作品だそうです。みるみるうちに四〇〇台に突入してしまい、そこから小競り合いが続くようになりました。先ほどの競り合いを思い出すと少し見劣りするものがありましたが、あの競り合いには不気味なものがあったので比較にはならないでしょう。そもそも僕は、このジリジリとした争いが嫌いではなく、なんならこの緊張感を楽しみにここに来ているまでありましたから。

 微々たる値段、そう、ほんの数万とちょっとずつでしたが、価格は釣り上がっていきました。会場の至る所では、競り合いを諦めた人のため息が聞こえます。緊張から解き放たれた安堵からか、それとも競り合いに負けた落胆からかは分かりません。しかし、いずれのため息にもこの先どうなるのかという、一種の好奇心や興奮のようなものが見受けられます。それが、またオークショニアの熱を上げ、それにつられて聴衆も固唾を飲み、静かに、すごく静かにではありましたが、会場をぐつぐつと煮詰めていくのでした。

 この小競り合いには桂さんも参加していました。話によると、どうやらこの作品が欲しいがために、慣れない電脳ネットオークションにわざわざ参加したそうなのです。

「四四五でどうだ!」

「四五〇なり!」

「四六〇じゃ」

「ここで十ずつとは……。構わん、四六五……!」

 残ったのはちょんまげ頭のキャラクターと、ちょこんと椅子に座る白いお爺さん、そして粘り腰を見せる桂さんの三人だけになりました。順繰りに回る三人の静かな声に、人々は全神経を集中させ、誰が次に脱落するか、全力の好奇心を以て密かに聞いていました。

「四六七なり!」とちょんまげが二を足しました。するとすかさず「四七〇じゃ」とお爺さんが言います。節目の数を出すのは、勇気がいることです。

私は隣を見ました。桂さんは額に汗を滲ませ、歯を噛み締めています。眼が光っているように見えるのは、涙を浮かべているからでしょうか。

「無理しちゃダメですよ。桂さん」

しかし、桂さんは諦めませんでした。目をカッと見据えると顔を上げ、電磁札を掲げると、大きな声で何かを叫んだのです。

私には何も聞こえませんでした。いや、会場にいる皆も同じだったでしょう。しかし、この声が誰よりも聞こえなかったのは、いや、聞こえて欲しくなかったのは、おそらくちょんまげとお爺さんの二人です。二人とも頭を抱え、髪をかきむしり、獣のような唸りを、静かに、静かに、あげました。

 誰もが動かなくなった会場の中で、僕は桂さんが涙を流すのを見ました。

「やってしまった……」

「桂さん」

桂さんはこちらを見ました。その顔にはなんとも言えない、微妙な表情が浮かんでいます。

僕は笑みを浮かべました。

「おめでとうございます」


 会場は大きな歓声とスタンディングオベーションに満ち満ちました。指笛が至る所から鳴らされ、どこから散らされたのか、部屋中に紙吹雪が舞い始めています。

桂さんは皆の注目と称賛を浴びながら、立ち尽くしていました。もはや我が人生に一片の悔いなしといったふうで、ずいぶんとフラフラしていましたが、死ぬと今買ったばかりの権利が例のちょんまげか、お爺さんかに渡ってしまうことになります。そうあってはならないので、桂さんはせめて椅子にぐたっと体を任せたのでした。

桂さんは泣いているのか笑っているのかわからないような複雑な顔をしながら、グズグズ言っていました。歓喜と後悔が半分ずつ入り混じった鼻水がビヨンと伸びています。

「ううっ……かってしまった、かってしまったよう」

この人は言葉遊びが好きなのかもしれません。だからこの名前にだけ力を入れた、ユーモラスでアンバランスな作品を買うことができたのかもしれません。そんな桂さんのことを考えていると、僕はついつい笑ってしまいました。


 しかし、異変はその時に起こりました。会場前に投影された『斑点の半纏の反転』の背後から、真っ黒な菌糸のようなものが壁を伝ってギチギチと伸びていたのです。すっかり歓声は絶叫に変わり、皆は少しずつ部屋を侵食しつつあるその黒いものから逃げようとします。

みんなは一斉に扉へと駆け寄りました。誰しもが我先にと外へ出ようとします。しかし、部屋はすでにウイルスを封じ込める体制に入り、誰一人としてこの部屋からの脱出は不可能になっているはずでした。ウイルスを外に出すことは、家の中で虫の大群を放つことと同じくらい大きな罪です。

「あれは、ウイルスじゃないか! なんでここに!」

「俺はワクチン打ってねえんだ! 先に部屋から出せ!」

「なんで打ってないのよ! 義務でしょ!」

「マイクロチップが……体が磁石に……」

「寝言は寝て言え! 電脳世界で、んなことあるか!」

僕は電脳世界でのウイルスを、こんな場所で見ることになるろうとは夢にも思ってもいなかったので、びっくり仰天。禍々しいウイルスの核を見た拍子に、うっかり腰を抜かしてしまいました。

 桂さんはきちんと作品の落札がなされるのかと考えでもしていたのでしょう。不安な表情を浮かべているようでしたが、それでも地べたに座り込んだ僕を支え、立たせてくれました。そういえば、自分のことよりも他人の心配をできる人はいい人だとお母さんが言っていました。なので、桂さんはいい人です。

「ありがとうございます、桂さん」

「ハハハ、いいってもんよ。それにしてもあのウイルス、投影情報に隠れてたのかな。さて、一体どうしたものか。もはや外には出られないし、あれに近づきたくないしねえ……」

 すると突如、目の前に座っていたツチノコが立ち上がりました。いつのまにか両手には「殺菌消毒」と刻まれた銀色のブレードが、アルコール臭を放ちながら伸びています。

 それを見た桂さんは、なぜか僕の頭を撫でます。僕は桂さんを見上げました。その顔には何を理解したのでしょうか、安堵が浮かんでいるようでした。

「安心していいよ。どうやら頼もしい味方がいたみたいだ」

 しかし、僕は安心できませんでした。なぜなら、ツチノコだと思っていたその顔を見ると、ツチノコではなく明らかヘビの一種だったのです。ぼくは膨らみの部分を、ツチノコの膨らみだと勘違いしていたのでしょうか。いや、そう思い込もうと無意識に脳が働いていたのかもしれません。こんな真実、知りたくありませんでした。こんな状況なら尚更です。

 ツチノコみたいなヘビは三段跳びの要領で客席を飛び越えていきます。そして、殺菌消毒の紋が掘られた二本の刀を大きく振りかぶり、投影された例の絵をすり抜けた先にあるウイルスの核を、たすきじるしに切り裂いたのでした。


 ウイルスを撲滅したあのヘビは、どうやらウイルス撲滅課の職員だったようです。あの場に撲滅課の職員がいたのは、たまたまか、それとも彼らの手筈通りだったのかは分かりません。とにかく僕は、ウイルスに毒されることなく部屋を脱出できたことに安堵していました。ウイルスに罹ると色々と大変だと学校の先生が言っていたのです。

 しかし、さすがに大ごとになったためでしょうか。オークションは中断され、当分開催を見送るそうでした。幸いなことに、危ないところで桂さんが落札した例の絵は、きちんと彼の元へ届けられるそうです。その報告が来た時、桂さんは嬉しそうに拳を握っていました。

「ところで、桂さんはなんであの絵を買ったんですか」

「そりゃ、言葉遊びが好きだからだよ」

「やっぱり」

僕と桂さんはすし詰めになったエレベーターを見送り、その最後に乗りました。エレベーターから見える夕焼け空には、朝と異なり飛び交う車も少なく、代わりにカラスの群れが飛んでいます。この光景もいいものでしたが、夕暮れ時は現実世界の方が綺麗なのではないでしょうか。

「言葉遊びが昔からあるのは知ってるかい」

「わからないです」

「僕的には、俳句とか和歌も言葉遊びなんだよ」

「俳句なら知ってますよ。『咳をしても一人』とか」

「なんでよりによってそれなんだ」


エレベーターは止まることなく下降を続けます。それに伴って僕たちの言葉数も少なくなりました。僕は今日あった出来事を思い返していました。色々ありすぎて、それだけで一本話が書けそうなほどでしたが、僕にそんな力はありません。他の誰かに頼もうと思います。

「今日は楽しかったね。散々な目にあったのに、不思議だねえ」

「僕も楽しかったです。桂さんもいい買い物ができてよかったですね」

「へへっ、ありがとさん。さて、もうそろそろ着くかな」

エレベーターは「チーン」と鳴り、扉が開きました。ビルも、車も、道路も、カラスも、夕焼けに照らされているあらゆるものが煌々とした朱色に染まっています。時間はすっかり晩御飯どきでした。さて、今日の晩御飯はなんでしょう。楽しみです。

「僕はあの人の作品を探し回ってるからさ、またどこかで会うかもね」

桂さんは僕にそう言いました。

「僕もオークション巡りが趣味ですから。どこかで会うかもですね」

僕も桂さんにそう言いました。

「それじゃここら辺で。バイバイ、達者でね」

「さようなら、桂さん。おやすみなさい」

僕たちはにこっと笑いながら別れました。


ブラウン管テレビを消すと、一階から誰かの声が聞こえます。

「二人とも、ご飯よ!」

ちょうどいいタイミングでのお母さんの声です。ご飯ができたと言いながら、僕たちにご飯を運ばせるのがお母さんの魂胆に決まっていましたが、今日起きたことを早く言いたかった僕は自室の扉を開けました。


途端に、階段下からいい匂いが漂ってきました。どうやら今日はカレーのようです。

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電脳ネットオークション 唯六兎 @rokuusagi

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