空が晴れるなら、きっと私は楽しんでいる
枝葉末節
始まりで終わり
私の涙は世界に広がる。不条理なことに。
「あなたは泣いてはいけません」
病死した母の代わりに、世話役の女性が来た。彼女は自己紹介を済ませると、無感情にそう告げた。
なんで、という質問は出来なかった。世界中で未曾有の大豪雨が発生していて、程なく原因はお前だと言われたから。母の遺影を前に泣き続けた私を指して。
強制的に薬で眠らされて、目が覚めたのは三日後。遅れて知ったけど、あちこちで洪水や津波のニュースが流れていた。それがどうして私と関係があるのかは当然聞いた。
「あなたは
私が、神様の力を持っている?
十歳にも満たない当時の私からすれば、なにを言っているか理解しがたい話。神の存在さえ曖昧な認識だというのに、それが自らの性質を現しているとはどういうワケか。
納得も出来ないままに、自宅に軟禁された。学校や公園みたいな、楽しい思い出がない場所はどうでもいい。ただお小遣いでたまに食べていたコンビニの新作アイスを、自らの手で選べなくなったのだけが少し物悲しかった。
世話役の女性は業務的で親しく接してこない。残った父はと言えば、どこか恐れを抱いた目で私を見る。血の繋がりがあってもなくとも、私たちはもう家族なんかじゃないんだと悟って静かに泣いた。翌朝、隣町で川が氾濫した。幸い、私のせいだとは気づかれなかった。
「どうして私を殺さないの」
生の苦しみと、現人神なんて仰々しい肩書に押しつぶされていく十四の春。私は折れかけた心が、希死念慮を抱いていると気づいた。桜の花びらを赤く染めて、風と共に散ってしまいたい。そんな薄ら暗い望みを空想する。それをそのまま世話役の女性に伝えた。
「殺せていればとっくに殺しています。ですが、あなたの死がなにを引き起こすか分からない以上、一日も長く現状維持をするしかないのです」
子供の死を当たり前のように検討する。そんなのが国か。そんなのが大人か。そんなのが人間か。
私は年を経て積もりに積もっていた怒りを、包丁という身近な道具で発散させた。料理中で鍋に意識を向けていた彼女を、背後から突き刺す。刃が肉を貫く感触より、骨に擦れた手触りが気持ち悪かった。それでも一度爆発した感情を止めるには至らない。息が止まるまで、あるいは息が止まっても幾度となく刃物を振るった。外で響く雷の音も耳を通り抜ける。私の怒りに呼応しているのかもしれないけど、どうでもいい。
大きく息を吐く。血まみれだが、気分は良かった。元々あんたが嫌いだったんだ、なんて言おうかと思う。けれど口から出なかったのは、嫌いなものが世界だったから。彼女だけが特別なワケじゃない。私は等しく全てを嫌っていた。
シャワーを浴びて、着替えをする。今から外へ出るのだと思うと、陰鬱な気持ちが軽くなった。この場に誰も私を止めようとする者はいない。サイズの合わないパーカー姿で家を出る。
外は薄暗かった。雷雲が去っていく途中のようだ。空を見上げると、濁った雲が青空を汚している。これも私の力、なんだろうな。一人
さて、どうしよう。
目的もなく外を徘徊する。それは構わない。コンビニでまたお菓子やアイスを選んでもいいな。裏路地を抜けて近道しよう。
ビルの狭間を通ろうとしたとき、人影を見る。なんだろう。好奇心に従うまま、それを追いかける。そこに居たのは、いかにもガラの悪い男の人だった。
「あ? なんや嬢ちゃん、どうかしたか?」
今までの私だったら、とっくに逃げていただろう。けれど殺人の余韻と、外へ出れた開放感で今までになく高揚していた私は、興味本位に口を開いた。
「ねえ、なにか売ってるの? それとも買うの?」
彼は財布を確かめていた。だからそんなことを問いかけてみる。
「ませた嬢ちゃんやなあ。売りも買いもやっとるで。なにが欲しい?」
きっと彼は良からぬモノを取り扱っているのだろう。学校に通っていた頃に聞きかじった、麻薬や覚醒剤みたいなの。使ったら頭がダメになるとか、感情が暴走するとかいうヤツ。
「気分が明るくなるようなモノってある?」
「おー、あるであるで。お試しサンプルは初回無料にしといたる」
客と分かってか、エセ関西弁で親しげな声音に変わった。そんな彼に財布を突き出す。殺したついでに奪ってきたモノだ。万札が何枚も入っている。
「追加で買えるかな」
「なんや、親の財布でもパクってきたんか? 悪い嬢ちゃんやなー」
「お互い様だと思うよ」
「カカッ、確かにそうだわ。そら、持っていきな」
財布の中身と代わりに、袋に入った錠剤を渡される。結構な数だった。
ひとまず一つ袋を破って、そのまま飲み込む。「おいおい、ここで使うんかい」と茶々を入れられたが、どうでも良かった。
変化は大して時間をかけずに現れる。世界がクリアになった、と言えばいいのか。とにかく気分が上がって、邪魔な考えがなにも出なくて、あれだけ憎んでいた世界全部を受け入れられそうだった。
目を閉じて味わう。気持ちいい。最高だ。ハイになっている。身体が火照った。快感に声を上げそうだ。
「ねえ、これもっと欲し――あれ?」
目を開けると、知らない場所に立っていた。やけに暑くて、地面がカラカラだ。アスファルトの舗装はどこに行ったのだろう。どうして私はこんなところに立っているのだろう。
薬はズボンのポケットに残っていた。さっき渡された分より少ない気がする。どうだったっけ。喉が乾いて、暑くて仕方ない。邪魔な思考が混ざる。せっかく楽しい気分だったのに。ああ、鬱陶しい。消えてしまえ。
薬を飲む。飲む。もっと飲む。更に飲む。
「あはっ、あはははははは!」
かすれた笑い声が砂地に響いた。ああ、楽しくてどうしようもない。これでもう、雨のことを不安に思ったりしなくていいんだ。私自身の感情を発露させていいんだ。
不意に、立てなくなって地面に倒れる。打ち付けた頭部が熱い。視界にじわりと赤色が
血液が伝っていく先を目で追うと、わずかに黒い地面が見えた。なんだ、舗装されてるじゃん。どうしてこんな乾いた土砂に隠れているのだろう。疑問がふと頭を横切った。
……薬の効き目が切れてきたらしく、だんだん身体が重たくなってきた。もう起き上がれそうにない。それでも楽しくて、私はずっと笑った。呼応するように太陽は強く輝いた。
そっか、私のせいか。
納得だけして、私は目を閉じた。
空が晴れるなら、きっと私は楽しんでいる 枝葉末節 @Edahasiyou
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