小沢さんの憂鬱

ハナビシトモエ

第1話 小沢さんの憂鬱 新

「おい、田吾作。俺は昔女を何人も囲って、夜の街を歩いていたんだぜ」

少し暑さは気になるものの紅葉がきれいな公園をゆっくり歩いていたところ。突然、何を言い出すのか、小沢さんは話し出した。


「僕は田吾作じゃないって、小沢さん何回言ったら分かるの?」


「いやぁ、この前の女、絶対俺に気があったぜ。初心な女だったからびっくりして怖くなったんだろ。ダメだ。ああいう女は行き遅れる」

 小沢さんがいくら豪語しても、それは小沢さんの妄想だ。


 小沢さんは六十代の男性だ。下半身不随で車いすに乗っていて、知的障害者で精神障害もある。小沢さん的事情で服はこだわりがあり滅多に変えることはない。爪は長く、髭はぼうぼう、歯は一本しかない。はっきり言えば不潔だ。体は毎日洗っているのに服がそんなだから、変な臭いがする気がする。


 小沢さんは僕がアルバイトとして働いている生活支援事業所の利用者さんだ。 

 何度も言うようだが、僕は田吾作ではない。だが、小沢さんは僕を田吾作としか呼ばない。これは精神障害の妄想に関係あるのかもしれないが、僕の身分ではそこまでの情報は降りてこない。


 ちなみに最近事業所で働いている女性職員が小沢さんにセクハラされて、異動になった。

 今は事業所での労働が終わりグループホームに帰っている最中だ。


「昔はバリバリ働いてよう。帰りには街で数人の女に声かけられたんだ。その時、田吾作がいてよう。二人で女を数人のせて車を飛ばして六甲にも行ったよな」


「小沢さん。どんな車で行ったの?」


「車だよ。車っていやぁ、車だ」


「僕は知らないなぁ」


「バカやろう。お前が運転したんだよぉ」


「そうか、そうなんだな」

 小沢さんの妄想にはあまり追及しない暗黙の了解がある。


 小沢さんは精神的にも脆く、自分自身が追い詰められると大声を上げてバタバタと暴れてしまう。


 腰に車いす固定用のベルトをしているが、絶対安全ということはない。小沢さんが暴れると車いすから落ちてしまうと危険なので、それは避けたいところだ。


「そう言えばよう、前の女。なんで今日いなかったんだ?」


「前の女って?」

 分かっているが、詳しく聞き直す。どうせ後五分は歩かねばならない。時間つぶしにはなるだろう。


「前に俺がケツを触った女だよ」


「小沢さんがお尻触るから、来なくなったんだよ」


「えぇ、そうなのか? そういえば親父が度々言っていた」


「何を」

 小沢さんの父親は小沢さんが生まれた時に既に亡くなっている。大方ドラマで見たのだろう。


「女性には紳士であれ」


「小沢さんそういうけど、前の西川さんにも同じことしたじゃん」


「そうか?」


「そうだよ。小沢さんが紳士だったなら、若い人こんなにいっぱい辞めてないって」

 この事業所、主に小沢さんの努力の成果があって、女性職員の回転率はとても速い。


 努力したらした分だけ、施設長の長澤さんに注意され、その時は神妙な面持ちで反省した様な素振りを見せるのだが、一か月もすればまた実績を築いてしまう。また回転率が速くなる。これは全て皮肉だ


「残るのは行き遅れとババアだけだって田吾作は言いたいんだな?」


「あんまり聞き分けないと長澤さんに言うよ」

 小沢さんの丸い背中がもっと丸くなった。


「田吾作は分からないだろうが、人間歳を取ればそれだけ寂しくなるんだ」


「だからって女性職員のお尻を触るのはダメ」


「分かった。もう止めるごめんなさい」

 そう言えば、それ以上追及して来ないことを小沢さんは分かっている。話が終われば、こちらも深追いをしない。


「そう言えばさ。紅葉狩り行くんでしょ?」


「なんだ。田吾作は行かないのか?」


「僕は研修で居残り。だから小沢さんの車いすは畑さんが押すと思うよ」


「畑さんって誰だ」


「僕は知らない。はい着いたよ」


「男か? 女か?」

 小沢さんは男より女の人に車いすを押してもらいたい。他の利用者さんに自慢出来、なおかつデート気分を味わえるからだ。


「知らない知らない」

 インターフォンを押すと中から、グループホームの男性職員池波さんが出てきた。


「はい小沢さんお帰り。では今日はお疲れ様」


「後お願いします。ありがとうございました」


「田吾作! 男か、女かどっちだ」

 後ろから小沢さんの追及は続いた。

 悩んで一日くらい頭使っても大丈夫だろ。ちなみに畑さんは三十代、恰幅のいい男性だ。


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