1-4 サチの場合 4
お兄ちゃんが働き過ぎで、この世を去ってから2年が経過していた。
朝、6時。
洗面台の前に立つ私はため息を付いた。
「はぁ……やだ、もうこんなに目の下にクマが……」
国立の大学を卒業した私はIT企業に就職した。
この会社は他の企業に比べて、圧倒的に給料が良かったけれども職場環境は最悪だった。
新人だろうが何だろうが自分のキャパを超えるほどの仕事を与えられる。
こんなに沢山の仕事量をこなせるはずなどないのに、先輩や上司たちは口を揃えて言うのだ。
「皆、経験してきていることだから」
と。
残業なんて当たり前、時には終電を逃したことだってあるほどだ。休みの日だってリモートワークをさせられることもある。
これではいくら破格の給料を貰ったって、割に合わない。
「本当に酷いクマだわ。でも連日帰宅が深夜近いし、寝るのはいつも午前1時を回っているから無理もないかな……。コンシーラーでも塗ればクマを隠せるかな?」
そして私はやつれきった顔を隠す為に化粧を始めた――。
「あぁ……なんて青い空」
駅に向かって歩きながら私は空を見上げた。空は雲ひとつ無く、晴れ渡っている。
「こんなに良いお天気なのに……社畜として働く私って一体……」
お兄ちゃんは一体どんな気持ちで働いていたのだろう?仕事を辞めたいと思ったことはないのだろうか?
いや、きっと辞めたいと思っていたに違いない。だけど私がいるから……私を養わなければいけないから仕事を辞められなかったんだ。
「ダメダメ!お兄ちゃんだって頑張って働いていたんだから……弱音をはいたら!」
だけど、今日は何だか気分が悪い。
朝から疲れが抜けないし、何だか頭もふわふわする。
「でも、今日を乗り越えれば明日は土曜日だから……うん、頑張ろう!」
そして私は気力を振り絞って、仕事へ向かった。
****
「ウ〜……」
私は必死でキーボードを叩きながらPC画面に向き直っていた。本日午後4時までの納期の仕事がまだ終わっていなかったからだ。
一度上司に確認してもらって、OKを貰ったのに追加しなければならないデータが増えてしまったからだ。
「急がなくちゃ……」
時計の針を見ると、時刻は15時になろうとしている。上司のチェックが入るから15時10分までには仕上げるようにと言われているだけに気ばかり焦る。
「大丈夫、氷室さん。顔色が悪いけど」
隣の席の先輩女性が話しかけてきた。
「はい、大丈夫です!何とか……間に合わせますから!」
私は画面だけ見ながら返事をした。
「いえ、そうじゃなくて……貴女の身体が心配なんだけど……でも、今は話しかけないほうがいいわね」
先輩がため息をつくのが聞こえたけれど、私には返事をする余裕も無かった。
「出来た!後はこの資料を係長に送信すれば……!」
出来上がったデータを係長に送信した席を立つと、先輩が声を掛けてきた。
「氷室さん、どうしたの?」
「はい、ちょっと缶コーヒーでも買って来ようかと思って」
「そうね。少し休憩してくるといいわ」
「はい、行ってきます」
そして私は自販機に向かって歩き始めた時……。
「え?」
突然激しい目眩に襲われ、目の前が真っ暗になってしまった。
嘘?一体何が起きているの?
ドサッ!!
激痛と共に、気付けば床の上に倒れている自分がいた。だんだん目の前の光景がかすれていく中、社員の人たちが慌てた様子で私に向かって駆け寄ってくる姿が目に入った。
けれども、何を叫んでいるのか全く私に声が届かない。
ああ……もしかして、私はこのまま死ぬのかもしれない……。死んだら……家族にまた会えるかな……?
そして、私は完全に意識を無くした――。
****
「……ねぇ!……たら!どうしちゃったのよ!」
誰かが直ぐ側で私に話しかけている。
「え?あ、あの……」
慌てて目を開けると、何とそこには見たことのない外国人女性が私を見つめている。しかも驚いたことにメイド服を着た女性が!
「ねぇ?どうしちゃたの?アリス。突然声を掛けても無反応だったから驚いちゃったわよ!」
「え……?アリス?誰が?」
「ええっ?!本当にどうしちゃったのよ!貴女はアリスで、ここは王宮の中庭でしょ?」
「えっ?!」
何と気付けば私はほうきを持って、メイド服を着ている。
その時、私は瞬時に思った。
きっと、これは……私はあの時死んでしまい、彷徨った魂がこの身体に憑依したに違いない――と。
<終>
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