夕暮れにお嬢様とご歓談を

有澤いつき

第1話

 少女はとある邸宅の門前で深呼吸した。白塗りの外壁はしみひとつなく、太陽の光を浴びてまばゆくさえ見える。尖塔アーチのある屋敷なんてまさに豪邸と言っていいだろう。ここは高級住宅街……の中でも少し離れたところにある、まさしく城下町の先に聳え立つ姫君の居城。一介の女子高生には本来縁がなかった土地であった。


 それでも彼女が学校帰りにここを訪れたのには、目的があるし理由がある。

 この屋敷では少し変わった「道楽」があるのだ。そして少女はその「道楽」のために来た。


「ふぅ……」


 委縮する己を叱咤し、震える指でインターホンを押す。リンゴン、と鳴ったチャイムすら気品を感じてしまうのは少女の感覚がおかしくなっているからだろうか。


『はい』

「あ、あの!」


 応答したのは渋さのある男性の声だった。自分よりもはるかに年上だろう男の声に上ずった返事をしてしまったが、少女はかろうじて用件を告げる。


「今日の十七時から約束してました、沢村といいますが!」

『……はい。お待ちしておりました。只今お迎えに参りますので少々お待ちください』


 インターホンが切れて、男性が門扉を開けるまで一分とかからなかった。


「沢村様ですね、お迎えにあがりました」


 執事服に身を包んだ男はインターホン越しに会話した男と同一人物だろう。響くような渋い声は少女にとって印象的だった。声を聴いた印象の通り、大柄で非常に背が高い。年齢も三十代から四十代くらいに見える。だがしゃんと伸びた背筋と流麗な身のこなしのせいか、ほとんど年齢を感じさせない。


「お嬢様がお待ちです。どうぞこちらへ」


 執事が先導し、屋敷の中へと案内する。石畳の上を歩いている間も少女は緊張で記憶が曖昧だった。本来ならば手入れされた美しい庭や季節ごとに咲く花の数々を鑑賞し愛でるのかもしれないが、敷居が高すぎて見ている余裕がなかった。


 少女が案内されたのは屋敷のロビーだ。ソファは白と黒の二種類があり、少女は白の方に座らされる。今回の依頼主である「お嬢様」が来るまでの間に、執事は慣れた手つきで紅茶を出し、お茶請けを並べ、要望があれば何なりと申し付けるようにと言ってくれた。至れり尽くせりの対応に少女は別世界に来てしまった感覚に陥っていた。


 そして、奥から一人の少女が現れる。

 まず抱いた印象は、綺麗だということ。整った顔立ちは精巧な人形のような完全無欠の美しさがある。浮世離れした印象を与えるのはここが日本で、けれど彼女が日本人離れしているせいかもしれない。ブロンドの髪と透き通ったグレーの瞳を持つ彼女は、レースをふんだんにあしらったドレスを纏っているのもあり、物語から飛び出してきたお姫様そのものなのだ。


「ごきげんよう」


 加えて第一声がそれなのだから、少女は自分がいるここが果たして現実か空想か、よくわからなくなってしまう。噂には聞いていたが、まさかここまで徹底しているとは。


「わたくしがイレーヌ・西條サイジョウですわ。日本語に不慣れな部分があるかもしれませんが、お許しくださいましね」

「えと、沢村さわむらあやです。よろしくお願いします」


 お嬢様――イレーヌ・西條はイギリス人の父親と日本人の母親を持つらしい。今は両親とも世界中を飛び回っており、イレーヌ本人は執事たちとともにこの城みたいな屋敷に暮らしているのだとか。今回の「道楽」に申し込むにあたり、少女がネットなどを駆使して調べた情報だ。

 イレーヌは不慣れとは思えないほど流暢な日本語で話していた。言葉遣いはだいぶ独特だが。


「では早速、本題に入らせていただきます」


 イレーヌの傍に控える執事の男性が静かに話し出した。


「沢村様にはお嬢様の知的好奇心を満たすための、をご提供ください。謝礼は事前に広告でご案内している通り五万円。お嬢様が満足された場合は更に五万円をお渡しさせていただきます」

「は、はい……!」


 これだ。この現実離れした空間で行われているお姫様の道楽……少女も高額で割のいいアルバイトだと思って応募してみた。ネットでも話題になっている高倍率の「求人広告」で、アポイントのメールが来たときは少女も目を疑ったほどだ。

 本当に話をするだけで五万円ももらえるのだろうか? 五万円は女子高生にとって大金だ。でも変な詐欺だったらどうしよう。そんな疑問もよぎったが、口コミや友人に聞いてみたところらしい。半信半疑の状態でここまで来てしまったが、執事からの説明を受けてようやく実感がわいてきた。


「では早速、聴かせて頂戴な。わたくしに愛を教えて?」

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