災厄の獣飼い――少女はやがて世界を統べる

しずりゆき

プロローグ カナタ・ハテのエピローグ

 ――カナタ。どれだけ心がすれ違っていようと、必ず心は通じるものなのよ。


 いつだったか、母にそんなことを言われたことを、すっかり色の抜けてしまった白髪を潮風にさらした少年――カナタは思い出していた。

 それは確か、こんなに星が綺麗な夜だったと思う。


 何度拒まれ、恐れられようと、語り部として最後まで逃げず警告を続け、命を落とした両親のことを目蓋の裏に浮かべる。

 そして、カナタは意を決してすでに人間ではなくなった。銀髪の少女――ハテの前に立つ。

 彼女の腰からは、七色に輝く白毛並みの尾が九本しっかりっと生え揃い、真昼の太陽すら彷彿とさせる神々しさだった。


『いくら私の力の一端を貸し与えているとは言っても、それ以上前に出れば死ぬぞ、お前――』


 ドクンと心臓が鋭い痛みを伝えてくると同時に、頭の中に声が響く。

 それは、この世とあの世。

 二つの世界の間に存在するとされる〈奈落月ならくづき〉と呼ばれる概念が、カナタに向かって語りかけているのだ。


「命なんてくれてやる。彼女を――ハテをこの手に取り戻すことができるのなら、この宇宙さえ敵に回そう。俺はもう、これ以上大切な人を失いたくないんだ」

『よかろう、気に入った。対価はいらん。私の全てを持っていけ。もっとも、それにどこまで人の身で耐えられるかは知らんがな』


 奈落月は、愉快そうに笑う。永劫の時を生きてきた彼女にとって、世界の命運など、単なる娯楽に過ぎない。

 自分は退屈しのぎに利用されているだけなのだと悟りながらも、カナタはその手をとった。


「よこせ、奈落月。この一瞬だけでいい……ハテの隣に並び立つ力を!」


 カナタは、自分の心臓に埋め込んだ、奈落月の一部に生命力を通し、限界まで活性化される。

 血が沸騰し、末端の血管が破裂する。しかし、その程度の痛みで怯むようであれば、ハテの前に立ったりなどしない。


「ぐ……ガッ!」


 カナタがうめき声を上げると、白い髪が宇宙の色に染まっていく。すると、腰から衣服を突き破るようにして、濃紺の尾が九本。きっちりと揃って生えてくる。

 男子としては細かった体つきも、ワイルドさを感じさせるガッチリとしたものに変わり、綺麗に並んでいた歯は、ナイフのような鋭さを持つ。

 カナタは、ハテの力を完全にコピーしたのだ。


『タイムリミットは百六十秒といったところか。せいぜい、当初の目的を忘れぬようにな』


 奈落月が何を言っているのか、理解するだけの余裕はもうカナタには残っていない。

 今の彼を突き動かしているのは、ハテを救いたい。

 その一心だけだった。

 

 周囲に何もない夜の海。まるで時間が止まってしまったかのように、波紋一つない海面に、空の星々が雫のように映り込む。

 その上に佇んでいた二つの影が、今――激突する。


 腰から生えた虹の尾を、腕にまとわせ、一振りの剣としたハテは、カナタに向かって容赦なくそれを振り下ろす。

 それをカナタは、濃紺の尾を鎧のように結集させて防ぐ。

 ギチギチと嫌な音を立ててせめぎ合う二種類尾は、白い火花を散らした。


「いい加減、観念しなさいカナタ。あなた一人だけで、この世界の全てを統べるに至った私には敵わない」


 カナタのタイムリミットまで時間を引き延ばせれば、それで勝利が確定するハテは、ゆったりとした口調で言う。


「嫌だ! 俺は絶対に認めない。お前一人が犠牲になって、平和になる世界なんてな。そんな残酷な世界、いっそ壊れてしまえばいい」

「まるで子供ね。いつもわがまなな私を嗜めてくれたあなたとは思えない。そんなあなたなんて、見ていたくもない」


 ハテはそう言うと、九つの尾を放射状に伸ばし、カナタを多角的に押しつぶしにかかる。

 それに捕まってしまったカナタは、籠に閉じ込められた小鳥のように、一切の自由を封じられてしまう。


「クソ……もっとよこせ、奈落月!」


 カナタは、奈落月にさらなる力を要求する。しかし、彼女は絶対に首を縦には振らなかった。いいや、振れなかった。


『これ以上は無駄だよ。私の力は、あくまで相手の力をそっくりそのままコピーするもの。どれだけ力を回したところで、君はもう強くなれない。よほどの奇跡でも起きない限り、君一人では彼女に届かないんだよ』


 奈落月の言葉に、カナタの心はポッキリ折れそうになる。

 しかし、こんなところで諦めるわけにはいかなかった。


「他に方法はないのか?」

『ないことはない。だが、それは地獄への片道切符だぞ』

「それでも構わない。この世界を守るために、アイツは自分一人の世界に閉じこもろうとしている。アイツが救った世界にアイツの居場所がないなんて、認められるか」


 その言葉から、カナタの覚悟を感じ取ったのか、奈落月は大きくため息をつく。そして、心底楽しそうに語り始めた。


『タイムリープだよ。ハテの力をコピーした君なら、タイムリープが使える。そして、もう一度初めから全てをやり直すんだ』

「それのどこが地獄への片道切符だって言うんだ? これ以上ない、冴えたやり方じゃないか」

『もう、そこまで区別がつかなくなっているのか。かわいそうに。いいかい、君がタイムリープできると言うことは、彼女もタイムリープを使える』


 奈落月は、どうしてこんな簡単な理屈を説明しなければいけないのか、といった様子で、ため息をつく。


『仮に一度目のタイムリープで君が目的を達成したとしても、その結末をハテは同じくタイムリープを使って書き換えるだろう。その先に待っているのは、際限なく続く地獄だ』


 そこに挑む決意はあるかい? と奈落月は無言で問うてくる。

 言われるまでもなく、それに対する答えは決まっていた。


「やってやるとも。ハテと幸せな未来を掴むことができるのなら、何度だってな。たとえ、この身が擦り切れてしまおうともやり遂げてみせる」

『そうかい。じゃあ、お遊びはやめにした方がいい。彼女、そろそろ本気で君を仕留めにくるつもりだそ』


 奈落月の言葉と共に、カナタを拘束していた九本の尾が解かれる。

 すると次の瞬間、目の前には大粒の涙を浮かべたハテの真っ赤な目があった。


「どうしてわかってくれないの、カナタ。私はただ、あなたや、あなたの両親みたいな人を、この世からなくしたいだけなのに」

「君の気持ちは痛いほどわかる。でもね。それを余計なお世話だって言うんだよ」

「できることなら、カナタとは笑ってお別れをしたかった。でも、私をコピーするまでに至ったあなたの力は、この世界にとっては脅威そのもの。ここで殺させてもらうわ」


 ボロボロとだらしなく涙をこぼしながら、ハテは九本の尾を束ね、一本の剣を作り出す。

 この一撃に、全てをかけるつもりらしい。

 その意図を汲み取ったカナタは、全く同じやり方で九本の尾を束ねて、一振りの剣を用意した。


「カナタ――!」

「ハテ――!」


 お互いの名前を喉が千切れるまで叫び合い、まるで愛撫でもするかのように、何度も空中で衝突しては離れてを繰り返すカナタとハテ。

 永遠にも感じられるような時間。

 やがて決着の時を迎えた。


「……ッ!」


 グサリと、互いの胸に剣が突き刺さる。

 互いの心臓を刺し貫いた二人は、ゆっくりと海に向かって落ちていった。


「次こそは君を――」

「次こそはあなたを――」


 薄れゆく意識の中で、二人は互いを求め合うように、手を伸ばして呟いた。


「――救ってみせる!」

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