第35話 大野からの電話

 剣持家での事件の後、まだ滞在予定の残っていた軽井沢からその予定を取り辞めて自宅に戻って来ていた姫子。


 巌の死が与えた悲しい事件の真相に、姫子は誰にも会いたくも話したくもない、鬱々とした気分のまま数日を過ごしていた。

 


「ジリリリリーン!」

 昔ながらの黒電話の着信音。


 姫子は、どの電話の着信音も必ずこれに設定している。


 どうして?その理由は、明確である。

 この着信音には、不思議とどんな気分の時でも、必ず電話に出なければという気が起きるのである。


 

 そのおかげで、今の姫子の落ち込んだ心理状態でもこの電話の音を止めたい衝動に負けて、姫子は電話に出る事にしたのだった。

 






「はい。」

姫子は、小さな声で応対した。


見慣れない着信番号・・・しかし、固定電話の番号で末尾の番号が0110であった事から、その連絡先が何処から掛かってきた電話なのかは、想像が出来ていた。




「もしもし、姫子さんですか。


 長野県警の大野です。先日は、どうもありがとうございました。」


 電話の相手は、姫子の予想した通り長野県警から電話をしてきた大野だった。



「大野さん、どうもお疲れ様です。」






「お疲れ様です。


 昨夜、依頼していた成分分析と司法解剖の結果が出揃いましたので、その報告の電話を掛けました。結果は、姫子さんが仰っていた通りのものでした。



 ティーカップと巌の体内の双方から、スズランの毒の成分である『コンバラトキシン』が大量に検出されました。


 そして、それが起因したと思われる心不全で巌が死亡したことも判明しました。




 胸のペーパーナイフの傷跡からは、生体反応は検出されませんでした。

 これにより、颯斗の証言通り、巌は死亡後に刺されたことが証明されました。


 現場の遺体周辺や浴室の血液量が少なかったのは、既に死亡していた巌からは、出血量が多くなかった為だったのですね。






 そう言えば検死官から、この毒に対する反応は、非常に個人差があると説明を受けました。



 それでもやはり、スズランの毒で本当に人が死亡してしまう事があるのだと、正直私は驚きましたよ。」


 大野は、事件結果をほぼ一方的に一人で話し続けて姫子に報告していた。



 なぜなら、姫子が大野の会話のかなり間の空いた時にだけ、言葉少なに小さな声で返事をしていただけだったからである。



 そしてその姫子の声は、先日推理をしていた時の明朗な声とは全く違う、他人を拒絶しているような、とてもよそよそしい口調であった。




 今の姫子は、瑠璃が父親を結果的には殺してしまっていたという事実に、言いようのない悲しみを感じていた。


 その結果として、姫子は強い虚無感に襲われていたのだった。

 姫子は、その気分に抗おうとはせずに、そのままこの数日間を過ごしていたのだった。








「ところで、姫子さん。


 すみません、一つどうしてもお伺いしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」


 姫子のとても重苦しい雰囲気を電話口で感じながらも、事件の報告を終えたが、まだ疑問が残っていた大野が遠慮がちに聞いてきた。



「ええ、なんでしょうか?」

 

(良かった。姫子さんは、まだ会話を続けてくれるようだ。よしっ、一気に聞いてしまえ。)大野は、そのまま質問をすることにした。 



「先日の事件の時に、姫子さんは『巌さんの部屋に駆け付けてきた子供たちの順番』を聞いていましたよね。あれには、何か意味があったのでしょうか?」






「そのお話ですか。


 それには、私にとっては重要な確認ポイントが含まれていました。



 事件現場にやって来る順番には、その方の心理が深く影響しているのです。


 


 やはり巌さんの死亡を知っていた颯斗さんは、最後に来ていました。


 自分が行ってしまった行動で起きた姿を見たくないと思っていたので、来るのが無意識のうちに遅くなってしまっていたのです。






 そして、瑠璃さんは一番に駆け付けて来ていました。


 ここから考えられる行動の心理は、こうなります。

 瑠璃さんは、自分のお茶のせいで調のです。


 母の呼ぶ声を聞き、思ったよりも強く影響がでて、父の体調がかなり悪いのかと・・・

 父の身体を心配する気持ちだけで、母から呼ばれると真っ先に駆け付けてきたのだと思います。



 つまりその行動には、巌さんの死という予想は、彼女の中には全く考えられていなかったのだと思います・・・。」






「そんな意味があったのですか・・・。


 それでは今のお話も、捜査記録に記載しておくようにします。どうもありがとうございました。




 やはり姫子さんの考察力は、本当に素晴らしいですね。

 私が犯人だったら、姫子さんが担当する事件にだけは、絶対になりたくないですよ。



 それではまた別な事件でご一緒する機会があれば、どうぞよろしくお願い致します。」


 大野は、姫子との通話中に努めて明るく話しかけ、姫子との会話が続くようにしていた。しかし、用件が終わった今、早々に電話を終えなければいけない雰囲気を強く感じていた。


「・・・はい。」


姫子から、やはり短い返事が返って来た。


「姫子さん本当にありがとうございました。

 失礼します。」


大野は、なんとか礼の言葉を伝えて電話を切った。








 こうしてこの事件は解決したのであった。


 捜査記録ならば、ここで記述が終わる。だが姫子の事件簿は、捜査記録ではない。




 そう簿のだ。



 この事件には、まだ姫子が本当に伝えたかった事が残っていたのである。

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