本 編

第1話 剣持家の別荘

 旧軽井沢の街並みを見下ろせる少し小高い場所に、一軒の大きな別荘が建っている。そこは、剣持けんもち いわおが所有する別荘であった。




 この別荘は、高級ホテルを幾つも経営している巌が、場所や建築方法を吟味して建てたものであった。



 お気に入りの別荘に、休みが取れる毎に訪れることは、彼の一番の癒しの時となっていた。



 中でも初春に別荘を訪れることは、巌に特別な喜びを与えていた。

 それは、前妻が選んで作ってくれた庭園で、彼女が一番好きだった花が咲く季節だからだ。



 そう、元々この別荘は、体が弱く病弱だった前妻の為に作ったようなものだった。そして実際この別荘で、前妻は療養を兼ねて過ごす事が多い女性だった。


 そんな彼女は、綺麗な花を見ると元気が出てくると言っていた。

 だから別荘の庭園には、彼女の為にいつの時期にでもちゃんと花が咲いているようにと選ばれた様々な花が植えられている。


 そしてその庭の中心では、前妻が大好きだったスズランが、毎年春のおとずれを告げるように可愛らしい花を咲かせる。




 可憐なスズランの花が咲き誇る庭園を見るのは、その花を見て喜んでいた前妻の事も思い出せるので、特に巌も好きだったのだ。





 以前は、療養している前妻に会いに、別荘に行っていた。

 妻の笑顔が見たくて、その笑顔と庭の花を眺めに訪れていたのである。



 そして近年では、普段家事を頑張ってくれている妻の慰労も兼ねて、二人でゆっくりと過ごすために、一緒に行くことが多くなった別荘だった。


 昼間は、庭の散策をしたりとゆったりとした時間を二人で過ごす。

 そして夜は、妻が家事を休める為にと準備した、近くのホテルのお取り寄せグルメを堪能しながら、お酒をたしなみ楽しく過ごす。


 以前とは違った別荘のこの過ごし方に、巌もまた仕事の疲れから解放されて、癒しの時間を満喫していたのだった。






 しかし巌は、今回はいつもとは少し違う計画を立てていた。


 数年前に再婚をした彼は、お互いの連れ子である子供達の様子が、いつまでも距離があることを心配していたのだ。




 そこで少しでも仲良くなって欲しいと考えた夫婦は、二人の子供である四人全員を誘い、家族全員で別荘へ行くことにしたのである。



 剣持家の子供たちは、巌のホテルに勤務している長男と次男。そして、大学生の長女と次女の4人だった。


 これまで、専業主婦をしている妻以外は、仕事や大学で、それぞれが忙しく過ごしていて、同じ家で一緒に生活をしているとは言っても、生活時間の違いから、すれ違いが多い毎日になっていた。


 本来ならば自然に家族の団欒の時間となるはずの食事の時間でさえ、全員が揃って食べるような事が、ほとんどないのである。


 そんな家族だから、当然のようにリビングで一緒にくつろぐ時間を過ごす事もほとんど無く、たまに揃った時があったとしても、ちぐはぐな空気が漂ってきて、早々に席を立つ者が多かった。





 そんな家族の時間の過ごし方に原因があるのではないかと考えた夫婦が、六人全員が日常生活から離れて、ゆっくりと別荘で一緒に過ごせば、何か変化が生まれるのではないかと企画した、初めての家族旅行であった。


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