ネイキッドブレイブ

沖唄

Naked Heart

「貴方の能力は『裸』です」

「え?」


 僕は眼前が真っ暗になった。

 脳が理解を拒否するとはこの事か。



 ここは魔王軍に対抗するべく勇者を育成する学園。

 その厳しい選別を耐え抜いた僕達候補生には神様からの祝福が与えられ、勇者として前線に旅立つはずだった。


 僕が知っている勇者は属性を強化する『光』だとか『火』の能力を与えられたり、剣技を強化する『剣』だったり、その勇者の代名詞となる能力だった。


 それが……『裸』?


「ギャハハハハ、マジかよお前?裸って、全裸?半裸?どっちだよ!」


 候補生の中でもお調子者の彼が声を上げて笑うと、周りの候補生達も堰を切ったように笑いの渦に巻き込まれる。

 僕は彼のモヒカンを引っこ抜いてやりたい衝動に駆られた。


「穢らわしい」


 僕の目の前の神官長様は、ラタナソカスグレイの交尾を見るような眼で僕を見下ろしていた。

 これまでの人生経験が祝福には現れると言われるが、だったらこの人から見ると僕は猥褻物そのものだろう。


 笑い声が頭に響いて眩暈がする。

 情けなくて、恥ずかしくて、誰もいない場所に逃げ込んでしまいたいと思った。


「あ、ぁ」


 僕は助けを求めるように、候補生の中でも仲の良かったマリアネアに目を向けた。


「キャハハハハハハ!!あ〜〜おっかしい!」



 彼女も周りと同じく、僕を笑っていた。


 笑い過ぎて目尻に涙が浮かぶほど。






 ◆






「おにいちゃん、寝てるの?」

「ンあっ、…ラナちゃんか、おきてだ…起きてたよ」


「そう?涎垂れてるよ」

「っ!」


口元を拭うが、そこで彼女に騙されたことに気づいた。


「あはは、嘘だよ」

「…これは一本取られた。将来ラナちゃんの旦那さんになる人は嘘が吐けないだろうねぇ」


 あの後、僕は王都から逃げ出し、僕の事を誰も知らない辺境の村までやって来た。


 本当は誰も居ない所で一人で生活したかったけど、生まれてからずっと訓練ばかりしていた僕では一人で生きる事など出来なかった。

 お腹を空かせて倒れていた僕をラナちゃんが拾ってくれたのだ。

 あれから半年近くが経った。


「おとうさんが呼んでたよ」

「伝言ありがとうね。魔物でも出たのかな?」


 僕は魔物を駆除する代わりに、この村には衣食住でお世話になっている。祝福を使わずとも地獄のような訓練を耐え切った僕なら村に現れる魔物程度なら追い払う事が出来た。


 魔王の影響で活発化した魔物達は好んで人を襲う。それらは強靭な体や特殊な力を持っていて、簡単に人を殺せる。

 訓練した人であれば逆に魔物を殺すこともできるが、中には人が束になっても叶わない魔人と言われる段階まで進化した魔物もいる。


 そうした強力な魔物を殺すのが、勇者。



 またあの時の光景を思い出して胸が痛くなる。


「……」


 そんな僕を心配そうに見つめるラナちゃんに僕が気づく事は無かった。




 ◆




「ダルドさん、ラナちゃんに呼ばれて来ました」

「わざわざ済まんね、どうやら魔物の死骸を見つけた者がいてね」

「死骸を?」


 僕は魔物を殺した後は、大抵焼いて灰にした後埋めることにしている。その匂いで他の魔物を呼んでしまうからだ。


 大方、冒険者が後処理を面倒臭がったのだろう。外様の冒険者は良くそう言う手抜きをするのだ。


 僕が言われた場所に向かうと、確かに魔物の死骸と、それに群がる別の魔物が居た。


「ゲセシトウルフか……」

「ヴォヴゥゥゥ」


 人の頭を丸呑みできそうな程に肥大化した狼だ。頑丈な牙を持っていて村人が戦えば武器ごと噛み砕かれてしまうだろう。


「〈光刃〉」


 僕は魔法によって右手に光の剣を呼び出すと、狼が口を開ける暇も無くその首を落とした。

 剣を手放すと、空気に溶けて消えた。


 その瞬間、草むらがガサリと音を立てる。

 そこにいるのが誰か分かっていた僕は咎めるような視線を向けた。


「か、カッコいい!!」


 草むらから飛び跳ねるように出て来たラナちゃんは興奮した様子で僕に走り寄ると、足元に抱きついてくる。キラキラとした憧れが僕に注がれているのが分かった。


「おにいちゃんが何か言ったら、ピカピカの剣がふわーって出て来て、それでシャキンてして…カッコよかった!!まるで勇し……」

「ラナちゃん!」

「……ゃさま。な、なに?おにいちゃん」


「村の外には出るなってダルドさんとの約束、また破ったの?」

「だ、だって」


「万が一魔物に遭ったら、死んじゃうかも知れないんだよ」


 さっきのゲセシトウルフだって彼女が僕よりも先に見つかっていたら数秒で頭を食われていただろう。

 僕が先に辿り着いて本当に良かった。

 ラナちゃんに真剣な表情で語り掛けると、彼女も事の深刻さを知ったようで、コクリと頷いた。


「ごめんなさい」

「どうしても外に行きたいなら僕を呼んで。そしたら少しだけなら連れて行ってあげるからね?」

「!うんっ」


 どうやら僕も甘いみたいだ。




 ◆




「それでね、アイリちゃんたらおかしいんだよ?『フィクタくんもジークくんも私のはーれむだー』なんて言ってて…」

「そ、そうなんだ」


 あれから少し経って僕がラナちゃんと村を歩いていると、村人達が話し合っていた。


「そういえば、知ってるかお前。『杖』の勇者、マリアネア様が魔王の手下の一人を仕留めたらしい」

「『岩』の勇者だって凄えぞ。千の魔物を堰き止める砦を一息に作ったらしい」



 僕は思わず、足が止まった。


「?……おにいちゃん」

「何でも無いよ」

「……そうかなぁ」


 僕は笑えているだろうか。




——『岩』の勇者は何をした。

——『杖』の勇者は——

——『雷』の勇者は——

—の勇者は

勇者は勇者は勇者は勇者は勇者は勇者は勇者は勇者は勇者は勇者は勇者は勇者は勇者は勇者は勇者は勇者は勇者は勇者はゆうしゃはゆうしゃはゆうしゃはゆうしゃゆうしゃゆうしゃゆうしゃゆうしゃゆうしゃゆうしゃゆうしゃゆうしゃ


 逃げたつもりだったのにその言葉は呪いのように僕にのし掛かる。


 勇者の話を聞くたびに幻聴が聞こえる。



『お前は?』



 僕は……。言葉に出来ない何かを口に出そうとするが喉はそれ以上音を発することは無い。


 『裸』の勇者。それが恥ずかしくて仕方が無い。


 僕はいつまでこの秘密を覆い隠して生きれば良いのだろう。




 ◆




 ラナちゃんが森を冒険したいと言って僕を連れ出した。


「私ね、いつか、冒険者になりたい」

「冒険者かぁ、きっとなれるよ」


 冒険者になることはそんなに難しくない。冒険者ギルドに行って署名をすれば直ぐだ。でも彼女が言いたいのはそういうことでは無いんだろう。

 冒険者として生きること、好奇心旺盛で元気あふれる彼女ならそれもできると僕は思った。


「おにいちゃんもなりたいもの、あるの?」

「ん〜、今はここで暮らせれば、十分かな」


 胸がチクリと痛む。


「そういえば、おにいちゃんは昔は王都に居たんでしょ。何でこの村に来たの?」

「何となく、かなぁ」


 核心を突くその言葉に、僕ははぐらかすように苦笑いをした。


「おにいちゃんなら、どんなに強い魔物も倒せるでしょ?きっと英雄さまにもなれると思うんだけどなぁ」

「そんなことないよ」



「そんなことあるよ」


 ラナちゃんは僕を真っ直ぐに見つめていた。



 僕はパクパクと口を動かしたけれど、望んだ言葉は出なかった。

 やっと出たのはイジけた子供のような、情けない言葉。


「……ラナちゃんには僕の気持ちは分からないだろうね」

「っ!………おにいちゃんのバカ!!」


 突き放すようなその言葉に、彼女は傷付いたような顔を浮かべる。


 しまったと思った時にはもう遅く、ラナちゃんは怒って村に戻ってしまった。



「僕だって怖いんだ」


 言い訳のようにそう呟いた僕は、誰よりもカッコ悪いと自分でも思った。




 ◆




「ラナが帰っていない」

「え」


 時間を潰して村へと戻った僕を迎えたのは、ダルドさんのその言葉だった。

 ダルドさんは奥さんを病気で亡くして以来、彼女を一人で育てて来た。

 娘を溺愛する彼の顔は誰が見ても分かるほど真っ青になっていた。


「どこに行ったか知らないか?」


 彼が僕の肩を両手で掴む。

 手が白くなるほど強く握られていた。まるで彼が娘を思う気持ちのように強く、強く。


「森を探してきます。村の人は火を灯して、森からでも見えるくらいに」

「わ、分かった」


 ダルドさんはこれまで見たことないほど機敏に村の中を駆けていく。


「〈力〉」


 強化魔法を施し、僕は森の中を走る。


「〈光〉」


 光の球を自身の周囲に浮かべて、視界を広げる。


「〈光〉〈光〉〈光〉〈光〉〈光〉〈光〉〈光〉」


 光球を散らして森をさらに照らす。



 遠くで、何かが崩れ落ちる音がした。


「〈力〉」


 空を飛ぶ鳥よりも速く、その場所へ急いだ。




「!?ラナちゃん」


 その場所には捲れ上がった地面と、折れた木剣。

 そしてラナちゃんが倒れていた。


「お、にいちゃん」


 幸いなことに外傷はほとんど無かった。衝撃で体を打っただけのようだ。

 僕は光の剣を呼び出すと、に向き直った。



「オヤオヤ、こんな所にニンゲンがいるとは何と不幸ナ」


 言葉とは裏腹にその表情は堪えきれないほど嗤っていた。

 甲虫のような外骨格に触覚と角を持ち、人間のようなシルエット、そして言語を解するほどの知性。


「魔人っ……」


 踏み込んで光の剣を振る。魔人は避けることも無くそれを受け入れるが、外骨格に傷一つ付く事なく弾かれる。反撃を恐れた僕は素早く元の位置まで下がる。


 硬い、〈光刃〉を受けても無傷ならば僕の取れる攻撃手段はほとんど無い。


「ニンゲンはそのようにワタシを呼びますネ」


 魔人がそう言って腕を振るうとそれだけで地面が捲れ上がり、衝撃がここまで届いた。


「な!?」



 吹き飛ばされないようにラナちゃんを覆い隠すように体を丸めて、飛んでくる瓦礫を受け止めるので精一杯だった。


「あ、ぁ」


 気づけば周囲は更地になっていた。

 鬱蒼と茂っていた木々は根こそぎ消え失せ、周囲で立っているのは僕と魔人だけとなった。



 これまで見た事無いほどの力に体が震える。

 こちらの攻撃は通じない。あちらの攻撃は直撃すれば間違いなく死ぬ。

 何も出来ない。


 勇者では無い僕には何も出来ないんだ。


 怖い。


「ヌフフフフフ、体が震えてますヨ?少し寒かったですかネ」


 怖い。


「た〜クサン、痛ぶってあげますからネ」


 魔人が腕を振り上げる。


 怖い。


「まズ、いっぱツ」





「おにいちゃんは私が守る!」


 僕の目の前でボロボロの女の子が両手を広げていた。



 自分の前を遮る小さい存在に気分を害された魔人は苛立たしげな表情を浮かべる。


「小さい方は先に殺してしまいましょウ」


 ブクブクと膨らみ力を蓄えた魔人の腕が振り切られる。

 衝撃の津波がこちらへ迫る。直撃すれば彼女は死ぬだろう。




 ……震えは止まった。



「〈光盾〉」


 彼女を背にして魔法を唱えた。

 衝撃が僕たちを包み込む。


「〈光盾〉」


 再び魔法を唱えて暴風が止むのを待つ。


 彼女を抱えて飛び退いた。

 大きな岩の影に彼女を隠した。


「おにいちゃん……ごめんなさい、私おにいちゃんの気持ちが知りたくて」


 彼女が勝手に森に出た理由。


 僕は彼女に言った言葉を思い出した。


 ——『……ラナちゃんには僕の気持ちは分からないだろうね』



 きっと彼女は魔物を倒す事で僕の気持ちを知れると思ったのだ。

 少しでも賢ければそんな事では気持ちを知るなんてできるはずが無いなんて分かる。


 けれど、彼女なりに考えて、死ぬかもしれない森の中に踏み入った。

 勇気を振り絞って。


 その純粋な気持ちが少し恥ずかしくて、でも嬉しくて。

 それだけで胸が一杯で。


「そう、か。……なら今から僕を見てて」

「うん」


 僕は服の胸元を握り締める。




 恐怖も、羞恥も、懊悩も、驕傲も、頭に響く嘲笑も常識さえも、僕を束縛する物全部、全部。




 ——今、脱ぎ捨てる。




 ビリビリと破り捨てた服が風で森の中へと消えて行く。

 身を包む物が失われて、いつも感じていた服の感触が無く酷く頼りない。



「おにい、ちゃん?」


 僕の全身が薄く輝く。ラナちゃんの困惑する声を背に魔人の方へと歩き出した。


「〈力〉」


 身体能力を強化する。もちろん、それだけでは無い。

 神と言われる存在へと僕の魂は接続された。


「粗末なモノを見せつけテ、ナニがしたいのですカ」

「今はただ、思いのままにこの力を振るうだけだよ」



 祝福の力を感じる。

 全ての呪縛から解き放たれた今、何人も僕を縛ることは許されない。


 僕を縛る重力の軛を緩める。

 一歩の踏み込みで魔人との距離はゼロに変わった。


「!?」


 魔人の足元に僕が現れる。


 拳を突き出す。


 魔人は自身の硬さに自信を持っているのか、受け止めようとする。


 拳は魔人の腹を紙のように貫いた。


「ゴバハァ!!」


 今の僕は誰よりも自由だ。どんなに硬い防御も僕の動きを阻む事は許されない。



「はあああああああ!!」

「!?」


 返す拳を、思いっきり魔人の頭へ向かって振り上げる。


 魔人は顔の前で腕をクロスするが、そんな物は僕の前には無意味だった。


 両腕は木片のように砕けてその奥にある頭部を消滅させる。


「ギョベ」


 断末魔というには情けない声で魔人は鳴いて、周囲の音が消えた。

 遅れて、ゴウ、と森の中を強風が吹き荒れた。



 体を覆う光が消える。


 祝福が消えたためか、森に吹く風が僕の裸体を撫でて気持ち良かった。



「ふう」

「おにいちゃん!」


 岩陰から飛び出したラナちゃんが僕の腰に抱きついた。あっ、そこは敏感なんだ。


 僕はしゃがんでラナちゃんと目を合わせる。


「これが僕の力だよ。すごく滑稽で情けないだろう?」

「かっこよかったよ!!おにいちゃん!!勇者さまみたいだった!」

「……っ、そうかな、かっこいい、か」


 僕が裸を晒しても、ラナちゃんはキラキラとした瞳で、、曇り一つなく、僕を見つめていた。

 きっと冷たい目で見られると思っていた。

 それでラナちゃんの命を助けられるのならと、覚悟はできていた。


 それでも、一番欲しくて、一番貰えないと思っていた言葉を当たり前のように与えてくれて……僕は……っ。



「おにいちゃん、泣いてるの?」

「かも、しれない」

「かもしれないって。ふふ、なあに、それ」


 ラナちゃんが小さな手で僕の涙を拭った。


「ラナちゃん」

「なに?」


「僕、なりたいものができたんだ」

「うん…」



僅かに息を吸った。

今まで、口にすることさえ恐ろしかったその言葉は、涙のようにすぅと零れた。



「勇者に……誰かを守る勇者に……なりたいんだ」

「……なれる。なれるよ……おにいちゃんなら」



——その言葉だけで、きっと何だって出来る気がした。





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