第33話

「あ、いや、すまん。見ちゃいけないもんだったのか?」

「そ、そういうことじゃ……ないですけど……いえ、見られたら気まずくなるというか何というか……」


 段々言葉が尻すぼみになっていったので、少々聞き取れなかった。


「大枝くん、乙女の部屋のものを勝手に触れるのは変態の所業よ?」

「変態……いや、マジですまん」

「それにあなただって見られたくないものくらい、自分の部屋にはあるでしょう?」


 ……! なるほど。もしかしたら好きな奴の写真でも入れているのかもしれないな。


 だとしたら見られたくないってのも頷ける。俺だって逆の立場なら恥ずかしいし。

 好きな女の写真を飾るなんてことはしないが、パソコンの中身だけはおいそれと他人……いや、身内にも見せられないからな。うん、あれは死ぬ前には消去すべきもんだし。


 ここは空気を読んで気にしないでいてやろう。話題を変えてやるんだ。


「そ、そういやここに呼びつけた理由は何だったんだ?」

「え? あ、ああ、そうでしたそうでした! コレです!」


 そう言いながら井ノ海が一枚の紙を差し出した。

 どうやらそれは井ノ海へ両親が宛てた手紙だったようだ。俺が注目した写真立ての下に挟んで置かれていたとのこと。


 内容は非常に簡潔で殴り書きのような文字であることから、相当急いでいた様子なのは明らか。

 簡単に要約すると、両親は二人とも無事だったが、家の中に居続けるのは危険だとして、二人で逃げたのだという。


「行先は――お袋さんの実家?」


 何でそこにと井ノ海に問うと、


「多分……おっきいからじゃないでしょうか?」

「大きい? ……金持ちなの、お前の家って?」

「その……お祖父ちゃんがホテルを経営してまして……」


 そんなこと初めて聞いた。まあプライベートでも親しいわけじゃないので、知らなくても当然といえば当然だが。


「彼女のお爺様は有名な方よ。政財界にも顔が利くし、私も社交パーティで何度もお会いしているもの」

「ああ、そういやお前の実家もセレブだっけな」


 井ノ海が部活に入る前に、すでに雨流とは知り合いだったが、そういう繋がりもあったことが今分かった。


「んじゃ、どうする? お前の爺さん家に行くか?」

「…………そうですね。今はまだいいです。それにお祖父ちゃんの家は遠いので」


 少なくとも歩きで行くのは大変だという。

 それを考えれば、どこかで足を手に入れる必要があると思った。まあ、遠出をするつもりはなかったから、今まで自転車くらいがあればいいと考えていたのだ。


 しかし車で移動した方が良い距離ならば、やはり安全面から見ても自転車よりは車をゲットした方が賢いかもしれない。

 当然運転免許なんてないが、運転しようと思えばできそうだしな。


「じゃあこのまま部室に戻るってことでいいのか?」

「はい! 多分、わたし以上に抜け目のない両親ですから、きっと無事にお祖父ちゃん家に辿り着いてるはずですから。それじゃあセンパイ、わたしは荷造りをするのですこ~しだけ待っててくださいね!」


 俺は「へいへい」と言いながら部屋を出た。……一人で。

 何でも雨流は少し二人っきりで話したいと言っていて、井ノ海と一緒に部屋に残った。


     ※


「……本当に良かったのかしら、雲理さん? 大枝くんなら、あなたのお爺様の家までついてきてくれると思うわよ?」


 部屋に残ったネコ先輩が、わたしに向かって尋ねてきた。


「はい。本当に遠いですし、移動手段が確立してからでも遅くないかと」

「無事……だと信じているのね」

「ネコ先輩は、ご両親の心配はしていないんですか?」

「……わたしが心配しているのは兄についてだけよ。もっとも、あの兄がモンスターになるなどまったく考えていないけれど」

「ネコ先輩のお兄さんって、あのパーフェクト超人みたいな人ですよねぇ」


 小さい頃にだが、何度か社交パーティでも会ったことがある。

 まるで漫画に出てくるような王子様のような風貌で、文武両道、眉目秀麗、才気煥発、人を褒め称えるような言葉をギュッと凝縮し人型にした存在。


 彼を見た女性は、例外なく見惚れてしまい、男性もまた気さくなその性格に友情を抱く。

 非の打ち所のない天才。

 だからなのか、わたしは初めて会った時、少し怖いと思ってしまった。


 まるで作り物のような感じで、どうにも現実感を彼から感じなかったのである。

 笑っていても眼の奥が笑っていないような……。見られているだけで、すべてを見透かされる感覚が、ハッキリいって拒否反応を起こしてしまう。


 彼と恋人同士になれば、誰もが祝福し、女としてのステータスも頂点として誇れるだろう。

 だがわたしは、どうにも好きになれないタイプの男性だった。


「そうね。だからあの兄が、たかが未知のウィルスに負けるとは思えないのよ。断言するわ。きっと兄は『新人種』としてこの世で生きているわ」

「うわぁ、凄い自信ですね」


 まあ、紙に選ばれたようなあの人のことだから納得できるけど。


「それよりも雲理さん、その写真立てのことなのだけれど」


 ギクッと、思わず身体が硬直してしまった。


「さっきチラリと見えてしまったわ。何故……何故大枝くんの寝顔写真がそこに飾られているのかしら?」


 ああもう……見られちゃってたかぁ。


「えっとぉ……何かの見間違いじゃないですかねぇ」


 一応誤魔化してみるが……。


「私、これでも視力は3.0あるのよ」


 何その無駄に優秀過ぎる視力は!?


「しかもどこかの部屋のベッドの上だったわ。……あなたもしかして大枝くんの自宅に忍び込んで夜な夜な……?」

「ち、ちちちち違いますよぉ! これはミク先輩に頼んで、ミク先輩がセンパイの家に泊まった時に撮ってもらったもので……あ」


 しまった。つい勢い余って真実を口にしてしまった。


「……なるほどね」

「うぅ……センパイには黙っててほしいなぁ」

「データはもちろん残っているのよね?」

「そ、それは……」

「残っているのよね?」

「えと……」

「よね?」

「…………お渡しします」


 泣く泣く折れると、ネコ先輩はフフンと勝ち誇ったように胸を張った。くそぅ、ペタン子のくせしてぇ。


「何か不穏なことを考えなかったかしら?」

「い、いいえ?」


 口に出したわけでもないのに、本当に勘の良い先輩である。


「まあいいわ。じゃあ荷造りを手伝って上げるから、さっさと済ませましょう」


 わたしは部室に持って行くものを選別して、ネコ先輩と同じようなキャリーバッグに詰めていった。


 あ、もちろん写真立てもちゃんとキャリーバッグの奥の方に保管しましたよ。


 それから準備を終えると、三人で学校へと向かったのである。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る