AI画家は筆を握る。

境 仁論(せきゆ)

第1話

 秋月光人あきつきみつとはAI搭載型アンドロイドを用いて絵画の製作を行う新時代のアーティストだった。彼のアトリエ……いや、工場と言い換えても差し支えないが、そこには優に百を超える人型ロボットが芸術活動に奉仕している。秋月の仕事は全てのアンドロイドに絵画のどの箇所を担当させるかを振り分け、完成したものを確認し組み合わせることだった。彼の製作スタイルが世間に詳らかにされた際、「なんて事務的だ」「本当に芸術と言えるのか」「筆すら握っていないじゃないか」などと批判されたが、多くのアンドロイドたちに別々の作業を与え短時間で質の高い作品を作り上げるというプロセスが評価され、秋月光人は「新世代のAIアーティスト」として名を馳せることとなった。

 もはや時代は、人の手がAIの計算を超えると信じられていた古生代から人がAIに指示して結果を待つ手法が主流となっていったのだ。

そして彼の初めての作品が発表されて二十余年。人とAIの共生が当然となった世界。アーティストたちは金を詰んで最先端のAIを遣うことで地位を上げていくようになったのだった。


 秋月にまた一つの依頼が舞い込んだ。連絡用タブレットに届いたメールを自動読み上げ機能で確認する。


『来年春にオープンする大型ショッピングモールの壁一面に同サイズの絵画作品を飾りたい』


「ふむ」


 付随された企画書に記載されている支払額と建築物の大きさに秋月は声を唸らせた。これまでになかった大きい規模の作品を求められているようだった。断る理由もなく、秋月は承諾の返信を送ったのだった。今抱えている作品製作も二、三日で終了する。その後数か月かけて作業すればこの依頼も完遂できるだろう。

企画書には建築物のテーマも書かれており、それを手っ取り早くデザイン用のコンピュータに打ち込んだ。続いて建物の置かれる地区、色、風土を素早く調べ上げ、同様に打ち込んでいく。そして過去の自分の作品データ全てを学習させ、数分ほど結果を待った。

 そして数百ものサンプルが放出される。それをまた数分かけて、「マシ」か「無し」かを判断し切り捨てていく。そうして残った百のデータを案件先に送ったのだった。


「よし、0896、朝食を運んでくれ」


 こうしてまた朝のルーティンが始まったのだった。



 企業側から返信が届き、デザインが決定された。リテイクも無しだ。毎度のことだが、秋月は再検討を行うことが大の嫌いである。そのため意図的に膨大な案を送り込み、その中で相手側に選ばせている。もっとも、企業側もデザインの選考にAIを使用していることも否めなくはないが。


 制作作業に入るに当たって、工場内のアンドロイドを全て新型に買い替えた。人間の姿と変わらないヒューマノイドだ。しかも一体ごとに顔の造形も体格も違う。せっかくの巨大な仕事だ、万全の状態で臨みたい。昨夜のうちに命令は下していた。あとは開始の合図を送るのみ。


「正午になるまで作業、その後十三時になるまで各自オートメンテナンスに入ってください。エラーの場合は1000に報告すること。では、始めてください」


 かつて東京ビッグサイトという建物があったそうだが、このアトリエはビッグサイトの一ホールと同程度の大きさがあった。そこにアンドロイドたちが並び、全員が別々に筆を動かしている。その前には昔ながらのキャンパスが立てられている。一方の秋月は彼らに何か異常が発生していないかを目視するために歩き回っていた……というのは名目で、ただの暇つぶしをしていたのだった。アンドロイドによる制作作業中、秋月は特にやることがない。この間に行える作業を考えてみるも、それさえもアンドロイドに任せていたことを思い出すのだ。

 それにしても相変わらず絵の具の匂いが工場十に充満していた。秋月にとっては既に慣れ切った環境だったが、他の人間の体には毒であるのは明白だった。


「……おや」


 一時間ほど歩いていると、ある一体のアンドロイドが眼に入った。他の作業員は手際よく筆を動かしているというのに、彼女だけ動作が遅い。一つの箇所を何度も何度も塗り重ねており、一向に作業が進んでいるとは思えなかった。

 すると隣のアンドロイドと肘がぶつかり、彼女は筆を落としてしまったのだった。


「あ!」


 と、まるで人間のような声を出し、彼女は筆を拾おうと立ち上がった。


「えっと、どこに行ってしまったのでしょう……」

「ここにあるが。1067」

「あ、旦那様。ありがとうござ……あ!」


 秋月は拾った筆を彼女に手渡した。その際に顔を見た。驚愕と焦りの混ざった表情をしていた。そして慌てるように後ずさりしている。


「その、1067デス。サギョウニモドリマス」

「待ちなさい」


 キャンパスの前に戻ろうとするその女性の肩を掴んだ。彼女は恐る恐る振り返ってくる。

 彼女は、茶髪のポニーテールで他のヒューマノイドよりも痩せ気味に思える体型をしていた。頬に絵の具がついてしまっている。


「君は、」


 別社のアンドロイドかと聞くつもりが途中で言いとどまった。秋月の手には確かに、十数年触れていなかったはずの人肌の温かさがあったからだ。


「……君は、何者だ?」


 彼女は頭を僅かに下げる。そして震える声でこう答えた。


「イロナ……人間です。今年で三十です」



 空いていた部屋で事情聴衆が行われている。アンドロイドに尋問の命令を出すのもなんだか面倒に思われたため、秋月自身が話を聞くことにしていた。


「まず聞くが、君は本当に人間なのか?」

「はい、その通りです……」

「どうやってここに入り込んだ?」

「その、たまたまです、たまたま……」

「そんなはずはないだろう。私が用意していたキャンパス数に間違いはない。君がいたのが本当にたまたまなら一体手ぶらの者が出たはずだ」

「それは……そうですね」


 自信なさげに返答しつづけるイロナという女性。薄ら笑いをしているため少し不気味に思えてしまうのだった。


「自分から忍び込んだのかね。どこかで彼らのうちの一体と入れ替わって、更には私の作品を描こうと」

「……」

「私の作品を汚そうとしたのかね」

「そんなことは!」


 秋月が訝し気にそう尋ねた途端、イロナは無罪を主張する被告人の如く立ち上がった。


「そんなことは、ありません……私はただ、絵が描ければなんでも……」

「絵が描ければ、なんでも?」

「はい……」


 とさりと着席した彼女は床の汚れを見つめながら続けた。


「描くのが、好きなんです。ただただ真っ白い紙に絵の具を塗りつけるのが好きで……だから、将来は芸術家だねって、先生にも親にも褒められて……でも」


 彼女は今年で三十であると答えた。しかしその言葉遣いは言い訳を探す中高生のままのように聞こえたのだった。


「何を描きたいのか、っていうのがなくって、それで、他の人の絵の手伝いを、できたらいいなぁー……って……思ったんで……すけど……」

 

 機嫌を伺うように秋月を見るイロナ。

 秋月は呆れてため息をつく。


「私はね、大事な仕事をしているんだ。君のお遊びで作品のクオリティを下げたくはないんだ」

「そんな……ちゃんと見てください! 下手かもしれないけど、でもちょっと、味がある……って感じがしませんか」

「知らないよ……第一、私の作品の一部だけが君の画風になってたら見栄えが悪いだろう」

「あ……それいいかも……」

「何が?」


 厳しめに𠮟りつけると女性は委縮した。


「はあ……とにかく、君。立ち去りなさい。通報するのも面倒だ……新しいアンドロイドを雇うのも、なんだか腰が折れる……」

「あの、それなら私にもお手伝いさせていただけませんか?」


 懲りずに擦り寄ってくるイロナを秋月は虫を払うような態度で返した。


「どうしてそういうことになるのかね」

「私、人の画風を真似して描くの得意ですし、そのー、私のせいで無駄なお金を使わせるのも心苦しいっていうか……」


 指先を遊ばせながら苦しい提案をしてくるイロナ。


「私にメリットは?」

「……新品の子を買わなくて済む」

「他には」

「……多分、絵全体のクオリティ上がりますよ……?」

「そんなわけないだろ。1006、彼女を外に連れ出しなさい」

「ああ待ってください旦那様!」


 慌てて立ち上がろうとしたイロナはそのまま転んでしまった。しかしその手は秋月の履物を力強く握りしめている。まるでゾンビのように思えて秋月は心底気分を害したのだった。


「お願いです描かせてくださいそれだけでいいんです私上手いから描けるだけでいいんですお願いします」

「だぁー! わかった、わかったから! 手を放しなさい!」


 イロナは顔を上げて満面の笑顔を見せたのだった。そして彼女は手を擦り合わせ仏に祈りを捧げるように一人何かを呟き続けたのだった。そんな姿を見てますます気味悪がる秋月であった。



 その空き部屋はイロナ専用の個室アトリエになった。彼女の意向だ。どうにも周囲に誰かがいる状態だと気が散ってしまうんだとか。「誰か」とは当然アンドロイドたちのことである。


「ふへ、ふへえ、ふへへへぇ、ぇ」


 奇抜な笑い声を上げてイロナはキャンパスに色を塗っていく。秋月はそれを傍で監視している。いくら人がいると集中できないと言っても、こうして見ていないと何をしでかすかわからない。と、いうのもただの名目で、秋月はただの暇つぶしをしていただけなのだった。


「ふへへぇぁ、あふふ」

「……そんなに笑うほどのことかね」

「話しかけないでください創作の真っ最中にィ!」


 突然の怒りの言葉に秋月の顎は下がる。人格が突然変わったとしか思えない。イロナはきっとした目つきで秋月の方を振り向いた。まさか、襲ってくるのではあるまいな。椅子に座っていた秋月は少し腰を浮き上がらせた。


「……ふへへー」


 イロナはまたキャンパスに向き直し絵を書いていったのだった。起伏の激しい彼女を見ているだけで体力がすり減っていく秋月なのであった。しかしそれでも、あのアンドロイドたちを眺めているよりは遥かにマシな暇つぶしとなっていたのだった。


 イロナがお手洗いに向かった。その間に秋月は立ち上がり、イロナが彩ったキャンパスを見てみる。


「これは……!」


 そこにあったのは、まさかまさかの。


「なんて、汚い……」


 美術館にも飾れそうにない、名状しがたいモノだった。

 秋月は完成予定のサンプルを見て目前のナニカと照らし合わせる。どう見ても明らかに違うものだった。ただ輪郭をなぞっただけの抽象画もどきがそこにあった。


「どうですか旦那様? 私の絵、味があるでしょう?」


 後ろから手を水で濡らしたままのイロナが戻ってくる。制作時のようにヘラヘラとした口調の彼女。秋月は振り向きもせずに絵の感想を伝える。


「書き直し」

「へぁ?」

「書き直し! 何が真似が得意だ君! 君が描くのはこの絵の、この部分! 見比べてみろ、全然違うじゃないか」


するとイロナはそんなことかと言うように笑い飛ばし再びキャンパスの前に立ったのだった。


「ここから似ていくんですよ。下地ですからこれ」


 そうして踊るように彼女は己の芸術活動に勤しんだのだった。




 イロナの監視が始まって早数日。時折絵の訂正を命じながら彼女の働きを見続けている。イロナの描く絵は秋月からすればとても不安定でお世辞にも美しいとは言えなかった。それを指摘しても彼女はまた不気味な笑みを浮かべて「いいからいいから」と答え、しかし素直に訂正の命令に従うのだった。


「いやだからここは……ん、少し待て」


 タブレットに管理職アンドロイドからの緊急メールが届いていた。


『0896の活動停止を確認』

「……寿命か」


 イロナは不思議そうな顔をしている。その表情を見てため息をつくと、秋月は諦めたように言葉を発した。


「少し外に出てくる」


 イロナのアトリエを出て自室へと向かっていった。



 秋月の自室はツヤのある木製の本棚が四方を覆っていて、その中には美術に関する専門書が詰められていた。部屋の中央にはポツリとデスクが置かれてある。黄色い電灯がスポットライトのようにデスクを照らしていたが、年代物なのだろう、とても明るいとは思えず薄ら暗い印象を与えていた。そのため秋月は読書用の小さなライトを机の隅に置いていたのだった。

 そんな彼の部屋の扉の前に奉仕用のアンドロイドが眠るように倒れていた。秋月は彼女の手を取り、調子を確かめる。

 酷く冷たい。無機質な鉄の肌なのだから当然かと思ってみても、やはりまだ稼働しているモーターの音と排熱による暖かさを秋月は期待してしまっていた。しかし冷たいものは冷たい。彼は長年連れ添ったパートナーを何の前触れもなく喪(うしな)ってしまったのだった。ちょうど愛着が湧き始めてきてすぐの出来事だった。

 しかしそこで諦めきれる秋月ではなかった。別室の物置から工具を持ってくると、アンドロイドの胸部装置を開き、コアに当たる部分を開いた。本来なら防護服を着て作業をしなければならないが、そのような常識も今の秋月は忘れてしまっていたのだった。


「……無理、か」


 数十分、なんとか再稼働できないかと試行錯誤していたが無駄に終わった。診れば診るほど彼女の蘇生が困難であるという事実が突きつけられていくのだった。ゆっくりと装置を戻し、別の奉仕型アンドロイドを呼びつけて彼女を運ばせた。


 0896は旧型のウェイトレスヒューマノイドである。最新型のアンドロイドと違い、自動でメンテを行う機能は備えられておらず定期的に秋月自身が調子を見なくてはならなかった。仕事用のアンドロイドは高い頻度で買い替えるにもかかわらず彼女だけを傍に置き続けたのは、一重に彼女に対する執着心が異様に高かったからではないだろうか。実際のところは秋月自身にもわからない。日常のすぐ近くに彼女が在り続けていたその期間が秋月に廃棄を渋らせ続けたのかもしれなかった。


 部屋から運び出される彼女を見送って秋月は一人デスクに腰を落とす。寂寥感が胸に穴を開ける。静かな部屋に心臓の音はよく響く。加速したり、緩やかになったりと、鼓動の流れが変化するたびに多くの感情が頬を伝っていったのだった。


 

 綯交ぜになってしまった感情を胸にしまい込み秋月はイロナの部屋へ戻ってきた。


「……は?」


 目についたのは更に下劣さを増していた黄色いキャンパス……だけでなく。


「イロナ、おい、どうした!」


 ぐったりと倒れて動かないイロナの姿だった。

 先ほどの出来事もあり、秋月は血の気が去っていった。すぐに彼女の身体を揺さぶり生死を確かめようとする。


「んあんあんあんあぁー」


 身体を動かされているイロナの口からなんとも阿保な声が漏れる。顔を見てみるととても気持ちよさそうな寝顔を晒していたのだった。秋月は長く深い溜息をつきつつ、彼女をそのまま横たわらせたのだった。


 恐らくイロナは寝る間も惜しんで絵を描いていたのだろう。絵の具塗れの顔にはよく見るとくまができており、思い出してみると昨日今日の彼女は確かに足がおぼついていなかった。ふらふらと踊るように足と筆を同時に動かしていたためそういうやり方なのだろうと考えてはいたのだが。

 時刻は夜の十時。最新式奉仕アンドロイドが部屋に二人分の夜食を運んできた。秋月がトレイから夕飯を受け取っている後ろで、イロナの鼻を啜るような音が聞こえた。


「ごはん……」


 むくむくと起き上がったイロナは秋月の受け取った夜食を見て猫のように飛びついた。咄嗟に避ける秋月。振り向くイロナは四足歩行で湯気の漂っている皿を狙っている。


「そんな風にしなくても……飯は食べていいぞ」

「え、いいんですか」


 皿を差し出すとイロナはとぼとぼと近づいて受け取った。そして地面に座り、ありがたがるようにゆっくりと食べ物を口に運び始めた。


「うま……感謝感謝……」

「普段から、満足に食べられていないのか?」

「いえ? 昨日も普通にいただきましたけど」


 ケロっと答える彼女に秋月はまた頭を唸らせる。イロナの仕草はあまりにもホームレスのそれに似通っていて心配の気持ちが湧いてきたのだった。


「ここに来る前はどうやって生きてきたんだ」

 

 数日彼女と一緒にいたものの秋月は彼女の素性も経歴も知ろうとは思わなかった。しかし今になってそんなことを訪ねたのは、とにかく話題が欲しかったからなのだ。吹き抜けになった気持ちの洞窟を埋めてくれる岩雪崩を彼は望んでいたのだ。


「どうって、ここと同じですよ」

「同じ……?」


 べちゃべちゃと咀嚼するイロナは続ける。


「どっかで雇ってもらって描いて……首にされたらまた別の所に移って……まあ人間なのでご飯は支給されますし」

「乞食じゃないか……」

「いやちが……わないですねー」


 笑いながらも自分の貧しい生活を鼻にかけようとしない態度が見られた。


「そこまでして描きたいのか?」

「そうですよー」

「いや、話を聞く限り君には帰る家も持っていないように思う。住処をそう転々として……君は大丈夫なのか?」

「大丈夫ですよぉ、おうち無くても人ってば生きていけるっぽいですから。それに描くの好きですから」


 口元についた汁を親指でぐいと拭って咥えたイロナはそのまま立ち上がり、パレットを手にとりキャンパスと向き合った。筆を立ててじっくり観察し、思いついたように色を付け始めた。皿にはまだ夕飯が半分も残っていたのだった。

 秋月はすぐ近くに寄り彼女の作業を見学する。


「……やはり、汚いな」

「へへへ、でも楽しいですから、いくらでも注文していーですよ」

「こことか、色が混ざって汚くなっているぞ」


 度々注意するもなかなかこの絵は改善されなかった。彼女は素直に従っているつもりでいるようだが実力が伴っていない。塗れば塗るほど予想していたものから遠ざかっていったのだった。


「詳しいですね旦那様。やっぱり画家だ」

「君よりは遥かに上手い自信はある」

「じゃーなんで描かないんですかー?」


 その問いで身体がぴきりと固まる。


「自分でこうやって、ながーい時間塗るの楽しいのに」


 イロナというアナログで前時代的な画家もどきとはわかりあえない。秋月には秋月なりのやり方がある。しかしイロナのその一言が自分の往来のやり方を否定されたように感じられたのだった。


「私は無駄なことが嫌いだ。短い生の中でどれだけの作品を残せるのかわからないからな。効率よく量産した方がいいに決まっている」


 するとイロナの筆がぴたりと止まった。そして怪訝そうな顔で秋月を見た。何か反論があるのかと待ち構え二秒の沈黙が訪れる。


「欲張りでいいですねー!」


 満面な笑顔でそう返され面食らった。何事もなかったようにイロナは作業を再開する。その筆取りはより軽やかになり、秋月の作品をイロナは自分色に染め上げていくのだった。


 深夜一時を回る。嫌がるイロナを強引に客用の寝室に連れて行かせる。まだ描くんだとごねる彼女だったが、どう見ても体力が尽きかけており眠らせる他なかったのだった。奉仕アンドロイドに彼女を任せ、秋月は自分の寝室へと向かう……前に、イロナのアトリエに足を運んだ。暖色の明かりをつけるとイロナの作品が夕焼け色に映し出された。その前に立ち秋月は一人立ち惚ける。これは自分の作品の一部になる。しかしどう見ても自分の作風には合わない。紛れもなくそれはイロナという一人の芸術家の作品だったのだ。彼女の自由な指が、全体の一部分でしかなかったそれを独立した一枚絵に仕立て上げていた。まだ乾き切らないそれに秋月はわざと指を置く。べちゃりと指に吸い付いた絵の具を見て口を歪めた。

 秋月は、パレットを手に持った。


「何が、楽しいだ、商売も知らぬ若造が!」


 一人グチグチと苛立ちを口にしながら彼女の偉作を台無しにしていく。「イロナ」という画家の存在を否定しようと、無かったことにしようと筆先を叩きつけていく。


「いくらでも注文しろだと?」

「満足に絵柄も似せられないヤツが」

「あんな女、さっさと追い出してしまえば!」


 他アンドロイドによる作業は既に佳境を迎えている。この一枚だけなのだ。秋月が納得できないのは。最後のパズルのピースがあまりにも丸みを帯びていて嵌められないのだった。仕事を完遂できない焦燥感で、ますます秋月の筆圧は濃くなって———


『欲張りでいいですねー!』


「……欲張り」


 筆が滑り落ち、カランと音を鳴った。秋月を苛立たせていたのは、彼女の態度でも技術でも、仕事の義務でもなく。


「楽しい、楽しいのか、これが———そうか、そうか……そうだったのか」


 かつて自分が失ってしまった熱を、彼女はまだ持っているという事実なのだった。



「合作ですねえ! どんどん楽しくなりますよ!」


 秋月が怒りで穢したはずの自作を見てイロナは笑顔でそう答えた。手早く絵の具と水を筆に絡ませて重ね塗りをしていく。その様子を後ろで見ていたはずの秋月も、いつのまにか自分のパレットを引っ張り出していたのだった。


「君一人に任せるのも骨が折れる」

「おお、いいですよぉ」


 二人は並んで競い合うように一枚の絵を形作っていった。そのようなことが数日続き、二人は寝る間も惜しんで作業に向かっていった。


 そしてとある夜。夕飯を共に食べながら秋月はぼやいた。


「全く無駄すぎる。こんなことなら別のアンドロイドにやらせればよかった」

「笑いながら言ってますけどねえ」


 ふひひと笑みを溢すイロナ。秋月は久々に自分が笑顔になっていることを自覚した。


「そうか、やはり、私も楽しいのか」

「そんな感情を知ったばかりのロボっとみたいなこと言っちゃって。ずっと楽しかったじゃないですかあ」

「……こんな無駄なこと、金になりはしない。だが忘れていたな」


 天井を見上げ、あつて在った青春を懐かしむように口を開く。


「無駄にのめり込むからこそ楽しかったのだということに」


 横で同意するように頷くイロナ。その日の夕飯を食べ終え、キャンパスの前に戻って行く。


「忘れるなんてもったいない。せっかくの作家がそんな精神でどうするんです?」


 そう語る彼女の背中に憧憬を覚える秋月。それはかつて失った自分であり、目指していたはずの理想だった。


「私たちはいつだって、筆を握っているんですよ」


 

 絵は完成した。

 最後に嵌めたピースはやはり浮いていて、全体の絵がなんだか気持ち悪くなってしまっていた。しかしそれでいい。これはお遊びであり、アクセントであり、この世界の唯一の太陽となったのだから。


 イロナはいつのまにかいなくなっていた。


 完成された絵が運搬されていくのを確認し、秋月は自室に戻る。ツヤのある木製の本棚が四方を覆っていて、その中には美術に関する専門書が詰められていた。部屋の中央にはポツリとデスクが置かれてある。黄色い電灯がスポットライトのようにデスクを照らしていたが、年代物なのだろう、とても明るいとは思えず薄ら暗い印象を与えていた。そのため秋月は読書用の小さなライトを机の隅に置いていたのだった。

 本棚から一冊、何らかの技法の本を取り出す。ハラハラと頁を捲ると幾つものメモが描かれているのが見つかった。「ここは意識」だとか、「忘れるな」、だとか。かつて幼かった自分を鍛えるために書いたはずのそれが、今の自分を激励しているように思えたのだった。


 ———そう。こんな時代があった。私の諦めが、それを無かったことにした。


 デスクに座り、メガネをかけ、かつて熱中し続けた指南書を再び読み始める。

 いつのまにか、連絡用のタブレットの充電が切れてしまっていた。



 とある夜。


「お手伝いさん壊れたんですか?」

「ん……ああ、最近な。なぜそれを」

「いやあ、運ばれてるの見ちゃって」


 イロナはとあるアンドロイドが廃棄される瞬間を見たらしい。そしてそれ以降、秋月が空元気を出していることに感づいていたのだ。元々デリカシーのないデザインの彼女はずかずかと秋月に切り込んでいく。


「悲しいですかぁ」

「そうだな。寂しい」


 素直な言葉を即座に返されてイロナは言葉に迷った。言い淀む主人の反応を期待しての発言だったのだ。


「寂しいってどんな感じです? 転々としてるんでわからないんですよ」


 夕飯を食べる手を止め、ぽつりと彼は溢した。


「全部、垂れ流しにしたくなる」


 そうして勢いづけて料理を腹に詰め込み、作業に戻って行った。それ以上その話を掘り返すことはなかったのだった。



 そのことを思い出しながら、傘もささずに雨降る道路をイロナは進んでいく。

 すると目の前に黒服の男性が現れたのだった。


「誰ですかぁ……?」

「任務の終了をお知らせに来ました。1067」


 その瞬間、芸術家を模した女性アンドロイドは膝から崩れ落ちる。今まで思い出と捉えていたモノが、ゼロとイチに換算されるデータだったことを自認する。


「イロナ……1067……まア、できすぎデスヨネ……」

「意図的にシンギュラリティを起こさせた業務用ヒューマノイドが同業の人間にどんな効果を生み出すかという実験……件数はこれで1000。よき働きでした」


 イロナだったはずの物の口から、ビー、だとか、ガー、だとかいう機械音が吐き出されている。エコーの籠った声で、彼女は黒服の男性に問いかけた。


「ワタシの、この記憶と、気持ちは、全部、ツクリ物だったというコト、でしょうか……」

「ええ、とても心苦しいですが」


 男性は彼女の胸元を開き、コアを剥き出しにした。


「ワタシは、どうなるのでしょうカ」

「データを大本のドライブに保存し、初期化致します」


 初期化という言葉をインプットした際、今まで出会ってきた画家たちの表情を思い返す。誰もが自らの腕の信用できず誰かに頼らざるを得なかった。しかし最後にあった、秋月光人という画家。彼だけが、もう一度筆を持つと決めてくれたのだった。


 偽りの人生、作られた感情。しかしそんなイロナという装置に、後天的に作られた唯一の本物は、「寂しい」という思いだけなのだった。

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AI画家は筆を握る。 境 仁論(せきゆ) @sekiyu_niron

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