二人善哉

蒼河颯人

第1話 雨と桜

「あ〜あ、せっかくの日なのに雨かぁ……」

 

 私はつい窓から睨みつけるように空を見てしまった。

 今日はレイジさんと一緒にお花見に行こうと思ったのに。

 出かけようとした途端、雨が降ってきた。

 何だか風も強そうだし。

 この雨では、桜の花も散ってしまうだろうなぁ。

 早朝はいいお天気だったのに。

 私、雨女だったっけ?

 春の天気は本当に気まぐれだなぁ。


 この前の休日に見かけたのだが、近所の公園で咲き乱れる桜がとっても綺麗だった。

 枝が折れそうな位、たわわに実るように薄紅色の蕾をつけている。

 朝日に照り映えて力強く咲き誇る、美しい花。

 散り際も潔い、儚く美しい花。

 ああ、何て綺麗なんだろう。


 レイジさんと一緒に桜を見たい――そう思った途端、深く考えもせず、私はすぐに連絡をとっていた。

 彼は「特に予定はないですよ」と、即快諾してくれた。


 (それなのに……)


 私はふと、テーブルの上にぽつんと置かれているお弁当箱に視線をおろした。

 

 (あ〜あ……せっかくお弁当も朝五時から起きて気合いを入れて作ったのにな……)


 炊きたてご飯のおむすび。

 レモン色に焼き上げたふわふわの卵焼き。

 ジューシーな小ぶりのハンバーグ。

 からりと揚げた唐揚げ。

 真っ赤なプチトマト。

 フリルのようなリーフレタスで飾って、ブロッコリーとツナとポテトをマヨネーズで和えたサラダ。


 レイジさんは卵焼きが大好きだから、いつもよりたくさん作ったのにな。


(コーヒーでも淹れようかな……)


 私はコーヒーメーカーに挽いておいた豆と水をセットした。スイッチをぱちんと押すと、しばらく静けさが漂う。やがて、それはこぽこぽと音を立てて動き始めた。


 ため息を一つついたその時、ピンポーンと、壁にはりついているインターフォンが妙に明るい音をたてた。


 (誰? ひょっとして宅急便かなぁ? )


 通話ボタンを押すと、画像に写っていたのは端正な顔立ちで目元の涼しげな青年だった。それを見た私は心臓が口から飛び出るかと思った。

 だって、だってまさかうちにレイジさんが来るなんて、思わないから!

 私は頬が緩みそうになるのを何とか我慢して抑え込んだ。


「は〜い! ちょっと待って。今開けるから」


 昨晩掃除したばかりだし特に散らかっていない部屋だけど、ぱっと見回して、机の上に置いていた読みかけの雑誌を急いで本棚に押し入れた。鏡を見て、ドライヤーでセットしたセミロングのダークブラウンの髪が崩れてないか急いで確認する。慌ててロックを外してドアを開けたら、そこには太陽のように眩しい笑顔が見えた。――黒髪の毛先から雫を滴らせているけど。


「レイジさん……!」

「やあマリアさん。連絡もせず急に来てしまってすみません」


 見上げていた視線を下に移すと、彼の右手にはやや大きめの水色の保冷バッグが一つぶら下げられていた。

 私は驚いて一瞬立ち止まる。


「あれ? それは……」

「俺が作りました。本当は今日のお花見用でしたが、こんな天気になってしまったので。きっと君のことだからがっかりしているだろうなと。それなら持って行こうかなって」

「こんな天気なのに、来てくれてありがとう……」

「料理なんて久し振りだから、上手く出来ているか分かりませんけど……」


 後頭部をかきながら、はにかむように微笑むレイジさんは、こちらが照れてしまうくらい、良い表情をしている。水も滴るなんとやらとは良く言ったものだ。

 でも、それよりも……。


「早く上がって……て、先にシャワー浴びた方が良い?」

「……すみません。家を出たとき雨はそうでもなかったのですが、このマンションのエントランスに入る前に運悪く降られてしまって……頭と上着が少し濡れただけですから、大丈夫ですよ」

「分かった。じゃあ今からタオルを持ってくるから、ちょっとそこで待ってて。ちょうどお昼時だしせっかくだから一緒に食べよう」

「……はい。分かりました。待っています」


 私は急いで彼にタオルを渡し、保冷バッグを受け取った。

 少し重い。

 テーブルの上に乗せて開けてみると、中には小分けにされたタッパーがいくつか入っていた。透明なので中に色々詰め込まれているのが透けて見える。

 レイジさんのお手製料理……中身が気になって何だかうずうずしてきた。


「ねぇ、これ開けてもいい?」

「良いですよ」


 空間越しで訪問客の許可を得たところで、私はタッパーをいそいそ開けてみた。タッパーに直接ではなく、ラップをひいた上から中身を入れてあるようだ。

 

 卵とハムとレタスのサンドイッチと、ミックスフルーツとホイップクリームのサンドイッチの詰め合わせ。

 豚肉とズッキーニとレタス、トマトとセロリとブロッコリー、アスパラガスに紫玉ねぎとオレンジがたっぷりと入ったシーザーサラダ。

 ローズマリーがほのかに香るチキンのソテー。


 どれも私が好きなものばかりだった。タッパーがはち切れんばかりに中身がたくさん詰め込まれている。どう見ても二人分以上はある量だ。


 (レイジさんたらお花見用って言ってたけど……絶対違う気がする……)


 部屋の中に彼の足音が響いてきたと同時に、カチリと音がした。コーヒーメーカーが出来上がりを知らせてくれた音だった。


 (彼もコーヒー好きだから、多めに準備しておいて正解だったわね)


 ハンガーに上着をかけていたレイジさんを席に座らせて、受け取った使用済みタオルを洗濯かごの中に入れ込む。マグカップについだコーヒーをレイジさんに渡して、私は自分用のマグカップを片手に自分の席に座った。


 ◇◆◇◆◇

 

 雨はざあざあと音を立てて、まだ降り続いている。

 部屋中にコーヒーの香ばしい香りが漂う中、

 テーブルの上には、私のおかずとレイジさんのおかずが入った箱で賑やかになっている。まるで、持ち寄り状態だ。

 それらを各自小皿に取り分けつつ、二人で箸を動かしている。


「マリアさんの卵焼き、優しい味がしますね。ハンバーグもからあげも、とっても美味しいです」


 彼の嬉しそうな声を聞いていると何だか少し、くすぐったい。


「それは良かった! レイジさんのも、とっても美味しいよ! 久し振りに食べた気がするけど、味も全然ブレてないし」

「それは良かったです。マリアさんが喜んでくれるのなら、俺、頑張って作った甲斐がありました」


 ああ何て良い笑顔なんだろう。レイジさんのこぼれる笑顔が見られるだけで、お世辞じゃなくてもうれしい。


 窓の方へと顔を向けると、雨と風に誘われた桜の花びらがあちらこちらへと舞い降りているのが見える。明日にはもうほとんど散って葉だらけになってしまうだろう。

 

「……桜を外で見るのは、また来年にしましょう。春はまた来ますから」

「うん。そうする」

「天気はあいにくでしたが、俺はマリアさんに会えたから、とても嬉しいです」


 ああ、彼はいつもこうだ。

 息を吸うように自然な感じに気持ちを伝えてくる。

 私はいつも先手を打たれてしまってばかりだ。

 

「……私もレイジさんに会えてとても嬉しいよ」


 コーヒーを喉の奥に流し込むと、私も負けじと伝える。真正面の顔をちらりと盗み見ると、頬に少し赤味がさしているのが目の中に入ってきた。


 まだまだ雨は降り止みそうにない。

 彼にうちでもう少し雨宿りしていくように伝えよう。

 雨のせいで、部屋中の空気がどことなく寒くて重い。

 一人でいるよりも二人でいると少し、暖かい気がする。 


 こういうお花見も、たまには良いかな。

 

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