歪み
教祖
両親について 1
先日、私の大学の卒業式がありました。去年(2022年)の5月に両親といざこざがあり、私と姉は追い出されるような、逃げ出すような形で家を出て、2人で暮らしています。その後、両親とは半分縁を切ったような状態でいるのですが、その日は式典に参加すると連絡がありました。私はとても怖くなりました。姉が居ないところで会いたくなどありません。私の袴姿を馬鹿にする母の態度が安易に想像でき、その姿がぐるぐると頭の中を巡りました。父もいつものように無神経な言葉を投げかけてきて、私が必死に笑顔を作っていることに気づきもしないのだろうと思いました。当日、姉の助言通り、友達と常に行動し、サークルの予定を盾にして両親からの連絡を無視し続け、式典が終わってから1時間ほどして両親は諦めて帰っていきました。
それから2週間程経った今日の夕飯の時、同居中の姉からこんな話を聞きました。「実はお父さん、卒業式にお祝いの花束持っていったんだって。会ってくれなかったからそのまま持ち帰ったって言ってたよ。」とても複雑な気持ちになりました。素直にとても嬉しく、とても申し訳なく思いました。それと同時に、愛情がある素振りを見せないで欲しいとも思いました。
母と私は以前は友達のように仲が良かったのです。ですが、一度機嫌を損ねると暴れ回ったり、大声で叫んだり、手当り次第に物を投げたりするような人で、私の習い事や進路、友達関係は全て母が決めていました。母が決めた事に私の口からYesと言わなければ、ずっと正座した状態で何時間も責められ続けました。私の口からYesと言わせることで、その責任を私に負わせていたのです。そして母には何かにつけてはマウントを取ったり、嫌味を言ったりするところがありました。「化粧ケバすぎじゃない?」とか、「あんたが書く字ってほんと汚いよね」とか、「まだ彼氏出来ないの?あんた色気とかないもんね」とかひとつひとつは小さな事でしたが、段々と確実に私の心を濁らせていきました。
それでも私は母が好きでした。
父とはほとんど会話をしたことがありません。ちゃんと会話をするようになったのはこの2,3年ほどのことです。ですが、父はとても家族を大事にしてくれる人でした。旅行にも連れていってくれるし、私たち姉妹を父の稼ぎだけで大学まで出してくれたことにはとても感謝していますし、尊敬しています。その反面、気性が荒いところがあることも分かっていました。怒りのコントロールが出来ないタイプで、思い込みのまま言葉や行動で怒りをぶつけてくることもありました。そして何より母が無理やり決めた決定事項を、私が直接父に頼み込まなければなりませんでした。毎回震えながら頼みに行ったのを覚えています。私が決めたことでは無いのに。父は私にとって、とてもとても怖い人でした。
それでも私は父が好きでした。
私は両親をとてもとても愛していました。私を愛してくれているから厳しい言葉を言うんだろうと、私のためを思ってこれをやらせているんだろうと、いつか私を見てくれるだろうと信じていました。でも無理でした。私が上京する時に、母は言いました。「お前は金がかかりすぎる。お前のせいで私は服も買えないし好きなことも出来なかった。やっと解放される。」絶句して何も言えませんでした。それじゃあ私が今までしてきたことはなんだったのか。私に選択肢なんてなかった。全部あんたが決めたことなのに。
私の人生は無駄になりました。
逃げ出したことを後悔などしていません。それでも「嫌いにならなければ幸せになれない」という決断に至った私の心には何処にもぶつけようのない怒りがあるのです。
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