兄妹喧嘩

 精霊術を学ぶ時間。シーナは板書と手元を交互に見つめていた。ゲオルグは全体へ向けて精霊との意思疎通について論じている。シーナも一言一句聴き逃すことなく、ノートにメモをとっていた。

 シーナの隣。メモを取りつつ、ゲオルグの話した要点を丸で囲っていくマグ。既にマグのノートには『意思疎通』に一重の丸。『姿勢』には二重の丸がついていた。普段、猫背になりがちなマグだが、今日に限っては背筋を伸ばしている。

 ノリアも講義の中身を順序立ててノートにまとめていた。

 やがて授業が終わり、教室を移動する。


「シーナ。お前やっぱり無理してないか?」

「っ!?」


 シーナを鋭く指摘する。さらにマグは明らかに不自然な点を指摘してみせた。

 すなわち、普段のシーナなら一言一句まるごとノートに記載することはしない。そんな要領の悪い行動は普段のシーナならしないはずだ、と。


「やっぱり、それ。悩んでるのか?」

「……ええ」


 シーナは小さく頷く。左手の薬指に気の大半をとられているせいか、シーナの表情は豊かでない。


「もっとドライに考えようぜ」


 頭の後ろに両手を抱えながらマグは言ってのける。


「目標が簡単に消えてしまったんだよ? それはもう落ち込んじゃうよ」


 マグの失言を指摘する声。

 声の主は、ノリアだ。マグの言い分も理解はできるが、シーナの悩みを解決することはできない。

 ノリア曰く、楽観視することは悪ではない。しかし、逃げたら解決できない事だと。

 ノリアの考えるところに目を丸くする。同時に先ほどの失言が『失言たる理由』に気づいた。


「シーナ、ごめん!! これじゃあお前の悩みを解決できねぇよな。だから一緒に考えよう」

「あ……ふふっ」


 咄嗟に言葉が飛び出す。感情に突き動かされるまま、マグは頭を下げていた。

 するとシーナの口角はやんわりと持ち上がる。マグの言葉が嬉しかったのか、慌てたマグの様子に気が抜けたのか、はたまた両方なのか定かではない。

 ただ一つ言えるのは、失言を悪いように捉えてはいないようである。


「ありがとう、マグ」


 その証拠にシーナは柔らかい笑顔なのであった。


 ***


 マグ=オーバットは先を見据えて行動できる人物である。どこか抜けた部分はあるにしても、ノリアはそんな兄を尊敬していた。

 だからこそ、昨日の失言は許せなかった。いくら察しが悪いとはいえ、シーナの悩みから逃げる答えを示したマグにノリアは評価を下げた。


「こんなの、悩みから逃げて解決できる訳がないじゃん」


 ノリアはひとり自室でぼやく。愚痴に付き合ってくれる者は誰一人としてこの部屋にいない。

 箪笥の上に置かれた植木鉢。土の中から顔を覗かせる小さな芽。

 ――話しかけるとすれば、そのくらいだろうか。


 ノリアはひょこんと顔を出している芽に日頃の疲れを吐き出す。外はまだ陽も昇っておらず、カーテンの隙間から僅かな光が植木鉢に差し込んでいた。


 マグの姿勢がだらしない、察しが悪くてモヤモヤする。自分の口から飛び出す愚痴は不思議とマグのことばかり。

 気に入らない点が沢山あったことに思わず目を丸くするノリア。


「ねぇ、どうしたらこのモヤモヤを取り除けるかな」


 そっと声に出してみる。

 すると芽は声に応えるかのように子葉ふたばを広げた。気づけば太陽も昇り始めている。

 どうにか答えを得られたような気がして、ノリアは失笑してしまう。それから顔を頷かせると、部屋を飛び出していった。

 マグに対する思いの丈を一度吐き出してみよう。

 そう、ノリアは思うのだ。



 コップ一杯のスープを飲み干し、こんがりと焼いたトーストを頬張る。食事を終えると、各自身支度を整えていく。制服に袖を通し、ブレザーを羽織る。

 そして向かうのは大烏の魔王が治める学び舎。講義棟までの道を歩く最中、マグのとなり。ノリアはついに実兄マグを呼び止めた。


「お兄ちゃん」

「なんだノリア?」


 息を大きく吸って、一思いに吐き出す。



「私、お兄ちゃんのことが大っ嫌い!!」



「なっ、え? 急にどうしたんだノリア」


 突然のカミングアウトに呆然とするマグ。勢い保ったまま、ノリアはさらに言葉を被せる。


「本当は分かってるのに、どうしてあの時!」


 ――シーナさんを突き放すような言動をしたのか。

 ノリアは兄に問う。

 慌てて取り繕ってはいたが、マグは何か考えを持っていたのかもしれない。一度鎌をかけてみる。


「お兄ちゃんはシーナさんの悩みをちっとも理解してない! シーナさんは今、過去の私たちみたいな状況なんだよ!?」


 目指す道を失った感覚。マグとともに泥水を啜った時期。シーナの心境は過去の自分達であるとノリアは言う。


「……言いそびれちまったけど、正直な話。時には目を逸らすことも大事だと思うんだ。だから俺はシーナに逃げろと助言をしたつもりだ」


 マグの心の内。ノリアはあまり理解出来なかった。ますます目は吊り上がり言葉も強くなる。


「お兄ちゃんは間違ってる!」

「ノリア。落ち着いて聞いてくれ」


 両肩を掴みノリアを静止しつつ、マグは話す。


「結果的に言い回しが悪かったのは事実だけど、俺が本当に言いたかったのは新しい目で考えろってことだ」

「…………新しい、目?」


 困惑するノリアとは対照的に瞳孔が開くシーナ。ガツンと衝撃が走る様子にニヤリと笑うと、ノリアへ改めて視線を戻した。


「いいか? 俺たちは亡命してからどんなことを経験した? 何でもいいから答えてみてくれ」

「ええと、貧しい生活に不味い水、あとは……病気になって、シニカさんに命を救われたことかな」

「そう、パープレア大樹海は危険な場所とされてきた。実際に危険も付きまとうけど、全てが敵じゃない。常識が覆ることもある」


 マグは話を続ける。


「あんなに危険だ危険だって言われてたのに、実際に居たのは温厚な魔王様だぜ? こんなの新しい目以外の何でもないだろ」

「ぁ、ああ……!」

「俺はシーナに柔軟に考えて欲しかった。でも今すぐできることじゃないから『まず逃げろ』って伝えたんだ」


 ノリアは目を見開く。同時に自分自身の至らなさを痛感した。ぎゅっと瞑った目尻から涙が零れている。

 申し訳ない、悔しい、恥ずかしい。様々な感情が入り交じる。数瞬回ってノリアはマグに頭を下げた。


「お兄ちゃん。変なこと言って、ごめんなさい!!」


 ノリアの頭をぽんぽんと触れる。思わず顔を上げると優しげなマグの顔があった。

 マグは一言。


「大丈夫。でも突然の兄妹喧嘩にはびっくりしたな」


 今度から喧嘩する時は予め宣戦布告でもしておくか、などと軽口を叩くマグ。兄の優しさに思わず口元が緩んでしまう自分ノリアがいた。

 今までになく陽気な様子のノリア。

 するとマグへ一言告げる。


「ありがとうお兄ちゃん、大好き!!」


 気がつけばマグの肩を抱きしめているノリア。そんなノリアの様子にシーナはあんぐりと口を開けていた。

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