オアシス

 マグ=オーバットは緑豊かな国、オーバットの王族である。妹のノリア=オーバットとは仲睦まじく、こっそり王宮を抜け出して近傍の森を探索していた。


「お兄さま、今日はどこに行くのですかー?」

「この森って王宮のすぐ側だろう? どこまで森が広がっているのか気にはならないか?」


 不安気なノリアに対し、自慢気に話すマグ。


「今日はお勉強の時間もないからな! 少し冒険してみようと思う」

「もー、お兄さま」


 王宮に背を向け、忽然と歩き出すマグ。ノリアはぷくっと頬を膨らませたが、やはりマグの後を追いかけてしまった。


「待ってよ、お兄さま!」


 その夜、執務室で叱責の音が響く。


「何度言ったらわかるんだ。あの森はパープレア大樹海へと繋がっているんだぞ!」

「……すみません、父上」


 赤く腫れた頬の上を涙がなぞる。涙の跡はヒリヒリと痛むようで、マグはきゅっと口を結んだ。


「いいか、良く理解するんだ。パープレア大樹海は華の精なんて噂もあるが、それ以上に危険が付きまとう。だからむやみに出入りしてはいけない」


 くしゃっと前髪を撫でてマグを諭す、現オーバット国王。マグは父親の双眸を見つめると頷く。傍で話を聞いていたノリアも、ゆっくりと顔を頷かせていた。

 数日後、悲劇は起こる。

 勉強の成果を話したいためにマグは執務室を訪れていた。


「父上!? 父上ッ!!」


 号哭。窓ガラスが砕け散る音とともに国王ちちおやは倒れた。病に伏していた訳でもなく、マグを叱りつけるくらいに体調は良好だったのだ。

 倒れた父親の背中には暗器のようなものが光っている。暗器の正体は妙に装飾の凝ったナイフだった。

 顔を布で隔てた女が割れた窓ガラスの向こうで嗤っている。顔を覆う布には何らかの紋様、刺繍が施されていた。


「ぅッ……!?」


 鼻を刺すような臭いに目が霞む。毒の類だとマグの頭は理解するも時は既に遅かった。

 マグの意識はそこで途絶えることとなる。




「マグ様、ご無事ですか?」


 身体を揺さぶられる感覚に目を覚ますマグ。眼前に映る従者の心配げな表情に、どこか安堵を覚える。上体を起こして周囲を見渡すと溜め息を零した。

 意識を失う寸前の記憶に頭を押さえる。


「父上と母上は、ノリアは……どうなったんだ?」


 従者たちは揃って顔を俯かせていた。


「父上は助かったんじゃないのか?」

「大変申し上げにくいのですが――」


 その前触れでマグの表情は曇る。


「両陛下とも、お亡くなりになられました。それから隣国ファルカトより宣戦布告の書面が届きました」


 従者は震えながらも状況を伝えていく。幼いマグでも分かる。これから哀しい出来事が続くと。


「マグ様。ノリア様を連れて今すぐにでもお逃げください」

「嫌だ。皆を見捨てて逃げるなんてできない!」

「まず御身が優先にございます! さあ、お逃げになってください!!」


 行動に移すことのできないマグだったが、従者に肩を押されるとノリアを連れて裏手のドアを飛び出した。火の気が遠目から見えるが、まだ森は焼けていない。


「ノリア、行くぞ」

「うん、お兄さま」


 パープレア大樹海を越えようとマグは足を一歩踏み出した。




 スラム街での生活は不自由な事が多く、水を得るだけでも盗みや争いに発展する。食糧なら尚更、その比ではない。

 出自を隠すためにもノリアは言葉遣いを改め、マグも藁にしがみつく思いでノリアを守っていた。

 雨の日も風の日も二人分の食事と水を得るために東奔西走。衣服に使えるボロ布をどこからか見つけ出し、ノリアがそれを加工する。

 二人協力しながらスラムでの生活を送っていた。


「ノリア、風邪か? 待ってろ、お兄ちゃんがすぐに水を取ってきてやるからな」


 寝込むノリアの額に手を当て、街の外へ出る。それからまもなく、パープレア大樹海の『魔王』と遭遇するのであった。


 ***


「以上が俺とノリアの出自だ、びっくりしただろ?」

「えぇ。それは、もう……」


 今までの不可解な点がストンと落ちるとともに、シーナの様子はどこか不安定。真実を知ってショックだったのか、マグに同情しているのか、それともまた別の理由なのかは定かでない。

 マグから見てもシーナの様子は『不安定』という言葉が当てはまる。マグは申し訳なさそうに指で頬をかく。


「シーナ、ずっと黙ってて悪かった。本当にごめん」


 数瞬俯いていたシーナだったが、すぐに表情を一変させた。はっきりとした物言いで受け答える。


「私は……貴方たちが王族だからといって、態度を改めるつもりはないからね! これからもよろしく!!」


 これが今できる精一杯の受け答え。

 この先も「二人との距離感は変わらない」とシーナは示した。


 咄嗟にマグは顔を下へ向ける。その理由は推して知るべし。

 前髪の奥から頬にかけて、川が流れていた。

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