マグとノリア

「先生はまさか、あの国の出身……だったんですか」


 目を丸くしてシノメを見つめるマグ。胸に手を当ててシノメは背中を丸めた。肩の力が抜けた様子だが、姿勢を正すとシノメは口を開く。


「ええ。今はこうして教師になってますが、昔は王宮に仕えておりました。生きておられて大変嬉しく思います、マグ様……」


 シノメの目元から雫が落ちる。どのように仕えていたのかは記憶にないが、マグにとってかなり近しい人物だったのだろう。

 彼女の頬には鋭利なもので斬られたような傷跡がある。もしかすればシノメは国を守るために戦っていたのかもしれない。

 マグはそのように思った。


「やっぱり俺のことはマグでいいよ。先生、改めてよろしくお願いします」

「……そうですか。それではよろしくお願いしますね、マグさん」


 挨拶を交わし、マグは職員室を出る。

 扉越しに背を預けて溜め息をつく。


「絶対に俺は、あの人に会った事があるはずなのに。思い出すことができない」


 シノメの反応と現在の教師という立場からして、彼女は教育係だったのかもしれない。しかしながら、答え合わせをしてくれる者はここにいなかった。




「マグ、大丈夫だった? やっぱり怒られたの?」


 教室に戻って早々、シーナはマグに声をかける。シーナの顔には心配というよりも、好奇心が浮かんでいた。完全に野次馬根性であると、マグはこめかみを押さえる。


「……ああ、それが違ったんだ。先生はどうやら俺の知り合いの知り合い……みたいで。をしてくれたんだ」

「昔話って、どこか意味ありげな言い方をするわね?」


 耳聡いシーナの聞き返しに、背筋が強ばるのを感じた。

 表情に出てしまっていないだろうかとマグは心配する。自分の過去が公になるのはマグにとって避けたい事柄であった。


「どうしたの、さっきから本当に? 体調でも悪い?」

「わ、体調は悪くないから。ちょっと顔が近いって」

「え、わっ!? ご、ごめんなさい」


 眼を覗き込むシーナにマグは目を驚かせるも、いつにも増して顔の距離が近い。遂にマグは両手を上げる。するとシーナは赤面して拳一つ分の距離を空けた。


「それとノリア、後でちょっと話がある」

「うん。わかった、お兄ちゃん」


 スラム生活に至る契機となった出来事──侵略戦争。忘れていた感情が突然に引き戻されマグは逡巡していた。


「さて、先生はどうして俺に話してくれたんだろうな」


 ──しかし、答えは返って来ない。


 ***


 午後の講義を終えて帰宅する。煉瓦造りの壁の中央、木製のドアを開けた。上着を壁に掛け着替えを済ませると、夕食の準備を進める。キッチンでシーナが料理を作る間、マグとノリアは話し合いをしていた。


「ノリア」

「うん、分かってる。シノメ先生のことだよね?」

「ああ、先生はオーバット国の出身だった。しかも王宮に仕えていたんだそうだ」


 マグの話を実際に耳にして、ノリアは溜め息を吐き出す。すると薄らと感じていたことを口にする。


「……やっぱりそうだったんだ。一番最初に会った時、私たちを見て母親みたいな顔をしていたから。もしかしてそうなんじゃないかと思って」

「ノリアは最初から気がついてたのか」

「うん、何となくだけどね」


 マグは誇らしげにノリアの頭を撫でた。

 どちらにしてもシノメに確認しなければならないことが幾つかある。


 シノメはかつてどのような役職に就いていたのか。

 戦争の後、国民はどうなったのか。

 父親は殺されてしまったのか。


 考える度に聞きたいことが増えていく。ノリアも考えることは同じのようで、マグの双眸を覗き込んでいた。


「今度、先生に確認してみようか」

「そうだね、お兄ちゃん」


 話が終わったところで丁度、鶏肉の焼けた匂いが鼻腔を擽る。窓から空を見上げれば、既に空は紫色。夕食を食べたくなる頃合いであった。


「二人とも、完成したわよ! 一緒に食べましょ〜」


 階段の下からシーナの一声。マグとノリアは顔を見合わせると、互いに笑みが浮かぶ。


「ご飯の時間だ。下へ行こうか」

「うん!」

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