黄昏の魔王-1

 一日を生きる上で、食事には必要量というものがある。小麦だけ食べていれば大丈夫という訳でもない。ましてや、肉を食べていれば健康という訳でもない。

 食事を摂らずに生活できるとすれば、それはごく一部の者たちに限局されるだろう。

 ふと思い立ったように、軽く伸びをした。瞳の奥で魔法陣が光り輝く。


「……ふむ。これは、かなり危ないですね」


 遠くを覗くのは『不殺の魔王』こと、エフェドラ=シニカ。視界に映り込むのは衰弱しているマグの様子であった。出される食事に手をつけるも、完食までたどり着けない。

 マグの衰弱の度合いも推して知るべし。


 冷静沈着な彼女であったが、この時だけは不安や驚きがあらわになっている。「二百年前までなら何も思わなかっただろう」とシニカは思った。

 昔ならば下手に人間と関わってしまったが故の結果だと一蹴出来たかもしれない。しかしシニカは、人と人の近くで関わりすぎてしまった。


「はぁ、干渉できないというのがどうにももどかしいですね。樹海の外へ出られたら良かったのですが」


 シニカはどうにかしてマグを救えないか思考を巡らす。

 正直、紫色の樹海が鬱陶しくてたまらない。紫の木々に魔法をぶつけることはおろか、樹海を抜け出すこともシニカは禁止されているのだから。


 シニカ曰く、パープレアの樹海は魔王を閉じ込めておくための檻である。


「どうにかして、あそこに駆けつけることが出来れば」


 ──マグを救えるのに、と思うシニカ。

 地面に張ったあしさきを見下ろして独りごつ。言伝でやり取りを行おうにも、運び役がいなければ話にならない。

 気づけば目尻から自然と涙が零れていた。


「ようやく、ようやく手に入れたつながりの輪。それなのにどうして私を阻むの……!?」


 母親のような存在が間近にいれば、きっと頭を撫でてくれたに違いないだろう。しかしながら樹海で暮らすのはシニカ、ただ一人。樹海全体が西陽を浴びて、大木の紫が際立つ。

 零れ落ちた涙の粒が突然の風に舞う。


「なんや、えらい泣きじゃくっとるな。どないした? ちょっくらあてに言うてみ?」


 黒い翼。羽根の一枚一枚が漆の如く光沢を持ち、鈍い輝きを放つ。女性的な声だが見た目は大烏おおがらす。人の姿には収まらない巨大な鴉だ。赤いマフラーを襟に巻き、大翼を広げる。


「め、珍しいお客さんですね。黄昏の魔王がいらっしゃるなんて」

「取り繕わなくてよいよい。何かあったんやろ?」

「ええ、まあ」


 シニカはシーナ達の経緯いきさつ──遠目で観察した出来事を話した。


「それにしてもまあ、えらい丸くなったのぅ。昔は国を滅ぼすことを遊戯ゲームだとか、そんなことを言ってたはずなんやが」

「その話はやめてください。さもないと貴女とて撃ちますよ、黄昏の魔王リンフィア=アンカー」

「それは勘弁願いたいねぇ」


 両翼を軽く竦める黄昏の魔王。

 リンフィアは赤いマフラーをふわりと脱ぎ捨てた。くるりと踊るマフラーの中から姿を現したのは艶やかな黒髪の女。

 十二単を羽織り、細長い腕を軽く持ち上げた。手の平を覗き込んでふと呟く。


「この姿になるのも久々やの。ほれシニカ、この衣装……似合うと思わんか?」

「ええ、馬子にも衣装だと思いますよ」

「これ! そこは褒めるところであろう!? でも、これでいつもの調子に戻ったんやないかシニカ?」


 リンフィアに指摘されて気づく。先程までの湿っぽい気分は大分薄れていた。


「ほなその話、あても協力させてもらうで? 儲け話の匂いがプンプンするんや」

「ふっ、そういえば貴女は守銭奴でしたね。ありがとうございます」

「任してくんな。ただし、倍の値段で売らせてもらうわ」

「……後ほど払いましょう、リンフィア」


 シニカの口が緩む。が、すぐに凍りつく。

 ニッ、と大袈裟な笑みを浮かべて片手を差し出すリンフィア。彼女に不満気な視線を向けつつもシニカは手を握った。

 ──交渉成立だ。


「さっそく向かわしてもらうわ。どこに向かえばいいんや?」

「あの方角です。結界が貼られているのですぐに分かるはずですよ」


 リンフィアは何処からともなく赤いマフラーを取り出した。それを首に巻くとたちまち大烏へと戻る。リンフィアは東の空へ飛び去っていった。


 ***


 パープレア大樹海から東側、エルフの里。結界でカモフラージュされているため、里の内部を直接見ることはできない。そこでリンフィアは目に魔法陣を描いた。


「シニカのように上手くいきはせんが、ひとつ探してみようやないか」


 深紅の瞳に多角形が浮かび上がる。リンフィアの視界が複数の熱源を察知すると目的地へ急降下。

 黒い翼を翻し、上手いこと着地する。

 首のマフラーを振りほどき人の姿へ変化すると里の内部へ入り、息をゆっくり吐き出した。


「確か、名はシーナ……だったな。一向に見つからないんやが」


 言伝とともに秘薬を渡す先の名前。シニカ曰く「とても賢い子」らしいが、リンフィアにとっては人間、エルフ、種族問わず見分けがつかない。

 つまるところ、すべての顔がのっぺらぼうに見えてしまうのだ。「せめてシニカに髪の色でも確認しておくべきだった」とリンフィアは自省する。


「さて、どこにいるんかいな。シーナとやらは」


 リンフィアは里の中へ一歩踏み出した。

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