孤高の魔王-5
老婆は家にジンを招き入れた。
閑散とした部屋には椅子とテーブル、暖炉がある。ボロ布で作られた日除けのカーテンは風に煽られ、吹き込む風は冷たい。
「爺さんも死んでしまったからかのぅ、人を入れるのは久々だわい」
暖炉に火をつけて、老婆は笑う。
「そうかーぁ。でも、本当にボクを招き入れて良かったのかぁーな? こう見えてボクは魔王なんだ」
「この歳になるとねぇ、一言話すだけでもその人となりが分かるものなんだよ。それならきっと、お前さんは悪い魔王じゃないと思うんじゃ」
その言葉にジンは首を傾げた。いとも簡単に他者を信じてしまって良いのか、とジンは心配する。感情が表に出ていたのか定かではないが、老婆はジンを見てカラカラ笑う。
実際のところ老婆にとっては、目の前にいる者が誰であろうと関係の無い話だ。
「どうしてそう思うんだい?」
「お前さんが一番分かっていると思うんじゃ。それなのに理由を聞くのかい?」
ケラケラと笑いながら、老婆はジンの奥底を見抜く。
「人間ってすごいんだぁーね」
老婆の言葉に感嘆しつつも、部屋の奥にある木箱へ視線を移した。
「ああ、つい話に夢中になってしまったわい。そうだね、イネの種を売るという話だったね。どれくらい必要なんだい?」
我に返った老婆は両手を軽く叩き、商人の目つきへと変わる。
「とりあえず、一人分の薬が作れるくらいは欲しいかぁーな」
「コレが薬になるとは、初めて聞いたわい。どんな薬になるのか知らないかい?」
商人としての勘が働いたのだろうか、老婆は心做しか鋭くなった目付きでジンを見つめた。
「確か、セキドメ? の材料のひとつ、なんだってーさぁ」
「ほぅ、他にどんな材料が必要かについてはどうだい?」
「知らない」
ジンが即答すると、老婆は残念そうに口を閉じる。
「でもー。薬が完成したら、材料を聞いてみるよーぉ」
「ありがとねぇ。それじゃあこれがイネの穀果だよ。お代は……そうだね、年寄りの話を聞いてもらったから結構だよ」
「本当に、いいのかぁーい?」
「いいんだよ。外が暗くなっているから気をつけて帰りな」
「ありがとーうね」
ジンは小さく手を振って魔法を唱えた。本来の姿へと戻るための魔法を。ジンは巨大な白鯨へ変貌し、プカプカ空を泳いでいく。
「は、白鯨……!? ありゃ、あの子がまさか孤高の魔王とはねぇー!!」
老婆は手をバチリと叩き、大袈裟に笑っていた。
***
すっかり日は落ち、冷感と静寂が支配する夜。
「ゲホゲホッ! コホッ」
マグは布団の上で横たえながら、喉にきゅっと力を入れる。水を飲むにしても喉は痛く、腫れ物が喉の裏側にこびりついているような感覚。コップに残った水がマグの容態を顕にしていた。
誰かの足音が聞こえたところで上体を起こす。
「ねぇマグ。大丈夫? もう少しで薬が完成するから。大丈夫だから、待っててね」
優しい言葉にマグは身体を楽にした。冷水に濡らしたタオルを取り替えて、額に乗せるシーナ。
献身的な看病をしているが、焼けるような喉奥の痛みは取れない。喩えるならば水の抜けた砂漠と言えよう。
どうにもならない痛みに首筋を上下に動かすが、
ぼんやりとした視界の中、シーナへと視線を向ける。
「し、シーナ」
「ん、何か欲しいものでもある?」
「そうじゃなくて。シーナはここにいて風邪、移ったりしないのか?」
「その時はその時よ」
「ありがとな」
ふんす、と胸を張るシーナ。その強気な姿にマグは礼を伝える。
「……別に大丈夫よ」
シーナはそっぽを向く。口から飛び出した言葉はあまりにも小さく、マグの耳は声を拾えなかった。
「……ん、何だって?」
「な、何でもないわよ。いいから寝てなさい」
人差し指をまっすぐに立ててシーナは指示を出す。指先で額をつつくと、途端にマグは顔を顰めた。
「待ってて、もうすぐだから」
そしてシーナは部屋を後にする。
日は昇って翌日。澄んだ空気と温かな陽射しが意識を覚醒させる。
「ふわぁ」
「よーし、続きをやるのよ!
声高に己を鼓舞する。
衣服を着替え靴紐を結ぶと、シーナは粉末にしておいたジンセの根の保管場所へ。小さな木箱の中に袋ごと詰められた粉末を確認すると、その場を離れた。
──要するに、ランシア待ちである。
「はぁ、本当に大丈夫かしら。ランシア」
頭の片隅でランシアのおっちょこちょいな一面を回想するシーナ。何故だか溜め息が出てくる。
「はぁ、頭痛い……」
この時既に、シーナの頭からジンのことは完全に抜け落ちていた。
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