渦潮の魔王-1
そこは何も見えない霧の中だった。
水の上でボートを漕いでいたら途端に視界が悪くなったのだ。
理不尽だ、と男は思う。ボートで少し海を見たかっただけなのに、視界は水滴に奪われおまけに天候も悪い。男は帰路がどの方角なのかすら見失っていた。
「────るぞ」
何かが水蒸気中を反響する。水蒸気を通り抜け、聴こえる声は轟音。
「──がいるぞ」
「え?」
男の中に少しの恐怖心が顔を出した。聞き間違いなどではなく、確実に聴こえる野太い声。
「ドラゴンがいるぞぉぉぉぉぉ!!」
瞬間、霧の中に巨大な影が映る。それは紛れもなく
「うわぁぁぁぁぁ!!」
男は怯え急いでボートを漕ぐ。
霧を早く脱出しなければ、待っているのは確実に地獄への片道切符だ。
男は涙目でボートを漕いだ。
すると霧は突然に晴れ、青空が映る。先程まで見えなかったはずの対岸も鮮明に見えていた。
「あ、あの霧はなんだったんだ……?」
男は誰かのイタズラかもしれないと自分を無理やり納得させる。しかし影にしてはあまりにも現実味があり、どうにも納得しきれない不思議な気分だった。
その影は──
***
「今日はさっそく、店を準備しましょうか」
「「ええぇっ!?」」
明朝。シニカは要件を述べる。
いつも通りのニコニコとした笑みで。
しかし店を準備するにも辺り一面何も無い。「準備もなにもないじゃないか!」とマグが突っ込むも、渾身のツッコミは微笑で流されてしまった。
ちなみにノリアは布団の中である。
「店舗を用意するのはそんなに難しいことではありません。魔法陣を使えば良いのです」
「魔法、陣を?」
シーナが質問する。シニカがこれから使うのは、魔法ではなく魔法『陣』なのだから。
「魔法をずっと発動しておくのも大変でしょう? それに、二人に与えた住居も魔法陣から生成されていますからね?」
シニカが言うには、魔法陣は魔石から供給される魔力によって永続的に効果を発揮するものがあるという。
人間の国ではとても高価な品であるが、魔王の眼前でその常識は必要ない。ただ理論を構築し好きなように魔法陣を描くだけであった。
「それじゃあ始めますよ。二人も準備してください。あと魔石も」
と、言いつつシニカは懐から拳ひとつ分くらいの魔石を取り出して、双眸を輝かせた。
「これくらいの大きさの魔石であれば、十年単位で形を維持できますね。それでは二人とも、いつも通りに壁の陣を作って、それを十秒くらい保ってください」
「わかったわ」
「わかった」
シーナとマグはシニカの傍で魔法陣を描き、自分の魔力を注ぐ。すると土壁は四方を囲い、住居の骨格となった。
「はい、これで終了です。ねえ、簡単でしょう?」
シニカが魔石を魔法陣の中央に設置すると、魔力の供給元が変更され、自動的に魔法が維持される。シニカの同意を求める声に、二人はこくこくと頷く。
「シニカさんは何でも持ってるんですね。あんなに大きな魔石、一体どこから──」
マグは素直に気になってしまう。しかし、シニカはじとっとした目でマグを睨んだ。
「……乙女に聞くようなことじゃありませんよ。次から気をつけてくださいね」
「なっ!」
マグは言葉を失う。
突然にいやんいやん、みたいな言い回しをしてくるのだから余計にタチが悪い。シニカは一瞬の隙に元の無愛想な表情へと戻り、話を進める。
「それでは準備する品物諸共、準備してしまいましょうか」
「「はぁ」」
シニカの言動に振り回されっぱなしのマグとシーナであった。がっくりと肩を落とす二人の様子すらも、シニカは楽しそうに見つめていたのである。
「この
横目で放ったシーナの言葉に、首を一生懸命振るマグの姿があった。
***
「ジュジュの実にオバータの樹皮、ジンセの根を集めてきたぞ。必要なものは、これで全部か?」
手を土で汚しながら、マグが採取の成果を持ってきた。成分としては、滋養強壮のためのものが多い。
「あとは、ウラレの葉とラシアの根茎が欲しいですね。ラシアの根茎は利水の他にも、傷から雑菌が入った時などにも使えますから、取っておいて損はないです」
シニカは饒舌に必要なものを述べていく。
準備は着々と進み、必要な薬草も集まってきた。最後の最後になって、シニカは魔法陣の上に魔石を設置。建物の骨格の隙間を埋めるように木で覆う。
「これが魔王の実力……!」
「そりゃあ、魔王ですから」
マグの素直な驚き様にシニカはつい、冗談で返してしまった。
「そこにいるのかァ! シニカッ!!」
叫び声とともに聞こえる轟音。
建物は瓦礫となって、塵となり──魔石諸共砕け散る。
「なっ……! って、貴女は」
「ふっふっふ! 忘れたとは言わせんぞ、三百年前の屈辱、ここで果たさせてもらおう!」
頭に手を当てて、シニカは押し黙っていた。彼女にしては珍しく、面倒臭そうな様子だ。
「突然物を破壊しておいて一体何の用ですか、『渦潮の魔王』ランシア=トラク」
シニカは青髪の女を一瞥した。
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