暗幕は一級遮光

納戸丁字

暗幕は一級遮光

「最近、飲む日焼け止めって聞くようになったけど、紫外線のダメージを抑える明確な根拠は無いらしいね。日に焼けたく無いのなら、結局はマメにサンスクリーン剤を塗布するのに限るようだ」


 大きくて真っ黒い日傘の向こう側から、からかうような調子で先輩が言う。


「先輩の場合、塗る方でも全っ然追いつかないじゃないですか」


「あくまで君たちの場合の話をしてるんだよ」


 先輩は酷い日光過敏症を患っている。

 その他、消化器の機能異常であったり、貧血であったり、やたらと疲れやすかったり、めちゃくちゃ乱杭歯で犬歯が何本か余分に生えていたりと虚弱体質のバーゲンセールが年中開催されているような有り様だった。


 それでも全日制の普通高校に通っているのは、当人曰く「根性だよ」とのことだった。

 夜間コースでも昼と同様のカリキュラムを実施している学校がいくらでも有るというのに、どうしてそんなに根性を出す必要が有るのか。その理由を詳しく聞いた事は、まだ無い。その勇気が、今の自分には無い。


 そして、自分と先輩に横たわるあらゆる関係性を曖昧に暈したまま、今日もこうして夏期講習からの帰り道を連れ立って歩いている。




「これでもね、君のことを思いやって言ってるつもりなんだよ」


「それでどうしていきなり日焼け止めの話が始まるんすか」


「だって君、この炎天下に帽子も被らずほっつき歩いてるのに日焼け止めの一つも塗ってないじゃないか。せっかく綺麗な肌をしているんだから、肌荒れなんてしたら勿体ないよ」


 確かに、今年はこれまで以上に日に焼けているし、そばかすがあちこちに浮いて来た。でも、そんなことは自分にとっては全くの些事なのだ。正直放っておいて欲しい。


「肌にはあまり余計な物を乗せないようにしてるんです」


「……へえ」


 なんなんですか、その妙な間は。


 8月の午後の日差しが二の腕を、首筋を、薄手の半袖シャツ越しに全身を、ジリジリと灼いていく。


 傍らを歩く先輩が纏っているのは冬用の制服だ。私服でも黒色で統一した装いな事が多いのは、それが一番日光を遮るのに効率が良いからなのだと、自分は知っている。


 先輩に病気のことを聞かされて以来、自分なりにあれこれと調べたからだ。


 遺伝性の疾患で、多くは幼少期に発症すること。

 病状が進むと消化器官が酷く退化してしまって恒常的な鉄欠乏にも陥り、そうなると通常の食物は殆ど受け付けなくなってしまうこと。


 食餌療法の概念が発達するまで、彼らの栄養補給には飲血が最も適していて、重傷者にとってはほぼ唯一のカロリー源だったこと。

 けれども研究が進んだ現代では治療薬が存在していて、一生続く服薬を除けば行動の制限はほぼ無いということ。


 かつて吸血鬼と呼ばれていた人々は、今では特殊な症候群の患者たちと見做されていて、人口の数パーセントを担っている。ちょっと珍しいが、町内や学校に1人くらいは居る程度の存在だ。


 けれども、どんな病気でも標準治療が上手くハマらなかった症例の人というのは居るものだ。

 この場合、先輩が該当する。軽くはない症状を押して、それでも今日も暮らしている。


 元々、投薬治療をしても日光アレルギーは程度の軽重はあれど残りやすい症状だ。だからこそ、夜勤や夜間学校の選択肢がここ数十年で広まったのは、保健体育や公民の授業でも触れられる通りのこと。


 先輩ほどの症例ともなると常に長袖の服を纏って、完全遮光仕様の日傘を手放せない。そして、それ以上に厄介なのは。


 ──ぐぅ。と腹が鳴る音がした。


「やあ、失敬」


 先輩が片手を挙げて詫びる。そう、先輩は今、昼食を食べ損ねて滅茶苦茶に腹ペコなのだ。


 日に3度の服薬を怠ると、先輩の胃腸はとたんに本来の役割を忘れてしまう。蠕動運動が極端に鈍り、その結果、固形物をまるきり受け付けなくなる。


 そんな大事な薬の昼の分を、忘れて来たと言う。


 もともと変な所が抜けている人では有ったが、それにしても最近、余計に頻度が上がった気がする。具体的には、学校の売店で山羊乳を取り扱わなくなってから。

 なんと先輩は、乳糖不耐症も患っているせいで牛乳が飲めない。


 そう、吸血病患者の定番の緊急避難食である、牛乳をだ。


「すまない、やっぱり家まで保たなさそうだ」


 だからこれはあくまでも急場凌ぎかつ、致し方ない行いだ。


 カッターシャツのボタンを3つ目まで外す。先輩が日傘をほんの少しだけ傾げてみせる。身を屈めて、導かれるままに傘の下へ。


 遮光率が高くて、大ぶりで、釣り鐘型の先輩の日傘。


 形状も相まって持ち主の肩から上を常にすっぽり覆ってしまう。その下はいつでも薄暗く、ひんやりした空気が充溢していた。


 あるいはこちらが、首筋を露出させるせいかもしれない。


 真夏の明け透けな晴天の下、それでも『ここ』にはいつだって先輩のための夜が広がっていた。

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