第1話 さくら舞い散る季節で
俺が元々居た地元の田舎から、今住んでいる都会の方にまで引っ越してきたのは、小学校の卒業式が終わって、春休みを迎えてからすぐの頃だ。
親の仕事の都合で引っ越しただけで、子供の身にとっては辛い事だったけど、半年も経てば新しい暮らしにも慣れた。
ただ、俺は、そんな生まれ故郷に一つ心残りがあった。
その心残りというのは、俺が密かに恋心を寄せていた女の子の事だ。
その子の名前は
【
少し控えめな性格、あまり目立つタイプじゃ無かったが、誰よりも優しい心の持ち主で、時々見せるフフッと微笑んだ時の、あの柔らかな笑顔が好きだった。
俺と絵里は幼稚園の頃から仲の良かった、俗に言う幼馴染という関係で、特に一緒にいる時間が多かった。
そのせいか、高学年になる頃には、周りの友達や同級生にからかわれる事も多くなって、幼い頃と比べると遊ぶ時間も話す時間もだんだん少なくなっていった。
でも、特に気にしなかった。
だって、絵里は俺の中で家族のような、そんな当たり前の存在だったからだ。
だからこそ、親から町を出ると言われた時は、真っ先に絵里の顔を思い浮かべた。
目の前に当たり前のように存在する物が、実は一番大事なんだって、その時初めて知った。
そこで、俺は去る前に手紙を書いた。
自らの率直な気持ちを綴った、なんとも恥ずかしい手紙だ。
「絵里へ
俺は、〇〇月〇〇日にこの町を離れます。
改めて、その事ずっと隠しててごめん。
初めてその話を打ち明けた時は、みんなすごいびっくりしてたよな。
終わりの会が終わって、先生が俺に黒板の前に来るように指示してさ。
何日も前から、ずっとみんなに話さなきゃって意気込んでたのに、そこに立った瞬間、体が固まって、動けなくなった。
その時の俺は、本当に辛くて、悲しくて。
俯いたまま涙が溢れそうになった。
慣れ親しんだこの町から、突然遠い知らない土地まで引き離されて、当たり前のようにみんなと会ったり、喋ったり、遊んだりできなくなるんだって。その時、急にそういう実感が湧いてきて、とても怖かったんだ。
でも、このままじゃダメだ!って思って、勇気を出して顔を上げたら、自然と絵里の顔が目に入ってきた。
そしたら俺、なぜか心がフッと軽くなったんだ。
まるで、絵里に背中を押されたみたいにさ。
それで決心がついた。
みんなに、ちゃんとこの事話そうって。
そしてもう一つ。
絵里に、ずっと隠してた俺の思い、伝えたいって。
この手紙を読んで、もし俺の思いに応えたいって思ったら、俺が出発する日の午後○時、〇〇の〇〇横にまで来てください。
【
結局のところ、彼女は現れなかった。
そして、俺は深く後悔した。
なんで、周り茶化されたぐらいで絵里との距離を遠くしてしまったのか。なんで、絵里に直接会おうって言えなかったのか。いくらでもチャンスはあったのに、なんで、タイムリミットが迫った今、絵里に答えを求めたのか。
自責の念は、どんどんと積もっていき、その日の夜は寝ることが出来なかった。
だが、そんな思いも、時間が経つにつれて別の思いがどんどん降り積もってきて、大人になる頃には影を潜めていき、やがて「そんな事もあったな」と笑いながら青春の思い出のように振り返られる日が来る。
そう、その話に続きが生まれ無ければ、そうなっていたはずだった。
「今日からうちの高校に入学してきた生徒だ。自己紹介を頼む」
その生徒は教師にそう促されると、ゆっくりと、まるで柔らかい春風のように言葉を紡ぐ。
「今日から、流ヶ崎高校二年一組に転入してきた、織原絵里です。田舎の方から引っ越して来たばっかりなので、こっちの生活に慣れるには時間がかかるかもですが、みんなと仲良くなれるように頑張ります。」
すると、教室が、少しざわざわと騒がしくなる。
「あの子可愛くない?」
「たしかに、めっちゃ綺麗」
皆、意気揚々と話しているようだったが、俺だけは何もせず彼女を見つめている。
「みんな静かにしろー。とりあえず、織原には岸辺の隣の席に行ってもらう。あ、岸辺という生徒は────」
「大丈夫です。分かってますから」
ドキっとした。
その少女は、軽く先生に会釈すると、そのまま俺と目を合わせた。
そのまま、どれだけ時が経ったのか俺には分からない。
…視線が外れない。
その様子は、他のクラスメイトにも少し得体の知れない違和感を感じさせるほどだった。
すると、やがて少女は歩き出した。
教室全体がシーンと静まり返り、聞こえるのは足音だけ。
その少女がやっと席に着くと、俺に顔を向けたまま一言。
「これからよろしくね」
この中で、俺だけが唯一味わったことのある、人生史上最高の笑顔で絵里は言い放った。
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