影のお仕事
公社
影たちの日常
「リーゼ嬢を監視してほしい」
ある晩、男は部屋で机に座ったまま、誰もいない正面を見据えてそう呟いた。
「何か不穏な動きでも?」
他に誰もいないはずの部屋。しかしその呟きに反応するように、別の男の声がした。
姿こそ見えない。だが、ランプに照らされた影が、部屋の中でゆらめいている。
「彼女ではなく、どちらかと言うとこちら側の問題だ。何やらきな臭い」
「危ない橋を渡られるものだ」
影は男が何をしようとしているか、ある程度事情を把握していた。そして、男が何事かを成すための力を持っていることも。
その彼がわざわざ自分に命を下すということは、明確に動きがあったということだろう。
「内密で処理するということで?」
「左様。公に動くには確証が足りぬ。あくまでも水面下でだ」
「最悪、斬ることになるかもしれませぬが」
内々に処理。そこには単に問題を解決するという意味以上のことが含まれているのは言わずもがなではあるが、影は念のためにと確認を怠らない。
「構わぬ。私欲に溺れ、国の害となるものは不要である」
「それはご自身のお考えですか」
「無論了解は取ってある。これが証拠だ」
男がハラリと開いた一通の手紙。影はそれを恭しく受け取り、中を確かめると「御意」と一言残し、スッと消えるのであった。
◆
ここは城下の旧市街に建つ年季の入った建物。王都で有名なタブロイド紙を刊行するイタリー新聞社の編集部がそこにある。
大衆受けするゴシップ記事を日々発信する新聞として有名なため、メディアとしての信頼度はイマイチだが、たまに他紙が取り上げもしなかった大スクープを発掘することもあり、酒の肴にうってけで、市民のささやかな娯楽の1つとして認知されていた。
「ういっーす」
そして今、チャラい感じの挨拶で編集部に入ってきたのが、社主であり編集長のアンツォである。
「今日は早いっすね編集長。あー、もしかして女の家を追い出されました?」
「バカヤロウ。俺が入り浸っているみたいな言い方すんな」
珍しく時間どおりに出社したことを編集者のサイゾに茶化されたアンツォ。
それもそのはず。彼は市中で「スケコマシのアンツォ」とあだ名されるほどで、一夜で100人の女を抱いたとか、泣かせた女が数知れず過ぎて、恨まれて殺されかけたことも何度かあるなど、嘘か本当か分からない伝説を持つ無類の女好き。
一方仕事熱はそれに反比例しており、昼くらいの出社は当たり前。酒臭いまま来ることもあれば酷い時は出てこないこともあるから、朝一から素面で出てきたということは、そういうことなんだろうと思われても仕方ないのだ。
「行くところが無いから仕方なく出社してきたんでしょ?」
「そんな毎日毎日女遊びしてねえよ」
「でも、ウチの新聞記事の信頼性よりずっと確率高いでしょ」
「笑えねえ自虐ネタは止めろや。今日早く出てきたのは仕事の指令がきたからだ。『影』のな」
その瞬間、それまで軽薄そうにニヤニヤしていたサイゾの表情が、急に鋭いものに変わった。
「へぇ……久しぶりっすね」
「そういうことだから招集をかける。サスークはどこ行った」
「アイツなら、またよく分からない器具を自作してたから、裏庭じゃないっすかね」
「またかよ……」
サイゾが貴族や芸人たちの下半身関係にまつわるゴシップを得意とするのに対し、サスークは裏社会の闇に体当たり取材で切り込んでいくのを得意としている。
そのため、取材は体が資本と言って聞かず、怪しいトレーニング器具を自作しては社屋の裏庭に設置しているのだが、どんどん数が増えてきて、今や難攻不落の要塞ですか? というくらいになっていた。
「アイツは一体何を目指してるんだ……。で、シルヴィアは……また風呂か」
「そうっすね」
イタリー新聞の記者で紅一点のシルヴィア。社歴から考えると結構ベテランのはずなのだが、年齢を感じさせない透き通るような白い肌と、男を魅了するそのスタイルを武器に、色仕掛けにも近いギリギリのラインで取材対象から重要な証言を得たことは数知れずの敏腕記者。その美貌の秘訣は入浴にあるとかで、社屋に設置したお風呂に毎朝浸かっている。
「あの風呂は宿直用なんだけどな……」
「シルヴィアさん専用にカスタマイズされてますからね」
事件はいつ発生するか分からない。だから毎日交代で記者が宿直を担当し、それ用の設備も整っているが、こと風呂に関してはシルヴィアが昔から独占していることもあり、男たちは「まあ一晩くらい風呂入らなくても大丈夫だよな」と、誰も社屋の風呂に入ったことはなかった。
「アイツらはホントに何をしに来ているんだよ」
「ホントですよね。遊びに来ているわけじゃないんです。真面目に仕事してほしいっす」
「お前が言うな」
「酷いなあ。俺はちゃんと取材を重ねて記事を書いてますよ」
「これが、か? 粉粒くらいの小っちゃーい情報を基にした誇大妄想記事がか?」
書かれている原稿をチラ見したアンツォが呆れるように言う。その記事は、ちょっとの真実を基に面白おかしく想像を膨らませた、サイゾお得意のネタ記事であった。
「お前はよくもまあ、ありもしないことを想像だけでここまで書き立てられるよな」
「根っこは事実の情報ですよ」
「そこの分量が少なすぎんだよ!」
記事には関係者の証言としてコメントが記載されているが、この関係者っていうのがほぼ眉唾もの。一方的に相手のことを知っている奴とか、ちょっとだけその組織に所属していた経験があるくらいのほぼ無関係の他人。もしくはサイゾが持論を展開するために生み出した想像の産物であることも少なくない。
「そこはほら、イタリー新聞の常套手段でしょ」
「あのさ、たしかにウチはゴシップネタが多いけどさ、世間で何て言われてるか知ってるか?」
「なおソースはイタリー。略して”なソイ”っすね」
なソイ。それは面白そうな話があっても、それがイタリー新聞の記事だと知るや、怪しい、信憑性がないといった理由で信じてもらえないことから、胡散臭い話の代名詞として王都界隈で揶揄されるスラングである。
「信頼されないマスメディアの情報ってなんだよ……」
「ああでも、風俗とギャンブル情報はガチだって評判ですよ」
「嬉しくねえわ! オマエらに矜持ってもんは無いのか」
「どっかの破落戸みたいな格好の人が編集長の時点でねえ……」
この時点で社主としての威厳もクソも無いのだが、アンツォの服装を見れば、まともな勤め人とは思えぬ風体であるから、そう言われるのも仕方ないところだろう。
「うっせえ。とにかくサスークを連れてこい。俺はシルヴィアに声かけてくる」
「覗きに行くの間違いでは?」
「やかましい」
そのままアンツォは風呂場の方へと向かったが、サイゾは止めようともせず、ただ無言で首を振った。まるで、「どうなっても知りませんよ」と言わんばかりに。
どうしてかと言うと、シルヴィアは水魔法の使い手で、風呂の邪魔をされようものなら得意の水魔法で溺死させられるのではないかという痛撃を喰らわせるからだ。
アンツォも過去に何度か経験して知っているはずなのに、懲りもせずまた行くのだから、これはもう病気の類いだろうと諦めているのだ。
「編集長が一番それをよく知ってるはずっす」
そう呟くやいなや、風呂場の方から水の爆ぜる音とシルヴィアの怒声が聞こえてきて、サイゾが「やっぱりね」と肩をすくめた。
「あれでも裏の世界では悪魔の代名詞みたいに言われてるんだもんな、人は見かけによらねえわ」
表ではゴシップ誌の記者という、半ばアウトローな仕事を生業として飄々とする彼らの正体。それはひとたび指令があれば諜報から破壊工作、ときには暗殺と、裏の世界から王家を支える通称”影”の集団。
アンツォ率いる彼らが、その頭目の姓をとって『イタリー組』と呼ばれているのは王宮でも中枢にいるごく僅かの者しか知らない極秘事項である。
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