菓子売りの男

存思院

20230412

 道端で声をかける人がいる。たいていはろくでもない勧誘か異常者だとおもって、みんな寄り付かない。見向きもしない。取り付く島もない。

 私は密かに呼び止められるのを待っている。宗教勧誘、マルチ商法、好物なのだ。

 そのせいか、よく路上で立ち話をする。あまり優しそうな容貌ではないだろうに、勇気ある人たちだ。

 今夜も小太りの男が私を呼び止めた。東南アジア訛りの日本語で、手に「困窮した学生だから菓子を買ってくれ」と書かれたカードを持って。

 私は迷った。どうせ散財する身、五百円を失うことに躊躇はあまりない、のだけれど、それを食うとなると迷う。確率で云えば九割方まっとうなそこらの菓子だろう。手作りでもないようだ。しかし、さて、彼が日本人を憎んでいたらどうかしら。日本人は外国人に対して寛容とは云えない。惨めな扱いを受けてきた彼は、日本語学校の帰り、深夜の繁華街を歩く裕福な差別主義者にささやかな復讐をする。騒ぎにならない程度の有害物質を混入した菓子をもって、「中途半端に同情した外面如菩薩内心の道徳人擬き」の体調を崩してやるのだ。下剤くらいなら、如何にもありそうじゃないだろうか。

 それで、私は「いただきます」と云って、突き出した拳を別れのあいさつ代わりに歩き去った。しばらく行って鉄道駅、その他のゴミとある銀の箱に未開封のウエハースは沈んでいく。

 なんて傲慢で恥知らずの人間なのだろうか。


 何故、私は彼の名誉のために毒を飲めないのだろうか。

 騙されても、彼に悪意があっても、彼が真摯であった可能性のために、毒によって死ぬ覚悟が何故ないのだろう。それが大麻で、幻覚によって人を殺すことになろうとも、彼のために食べ、のち責任をとって腹を切れ。それが道理だ。道徳だ。


 何故己の安全を優先したのか。何の価値もないそれを、取るなよ。


 神よ

 我罪人を憐め。

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菓子売りの男 存思院 @alice_in

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