砂糖菓子と灰色の月

汐海有真(白木犀)

第一迷宮〈ユクシアの森〉編

01

 それは、彼女が時折見る夢だった。

 子どもの頃、輝かしい未来を想像して胸を高鳴らせた日のこと。



 窓の外には、深い夜空が広がっている。

 年端もいかない少女は、テーブルの向かい側に座っている両親の話を聞きながら、楽しげに相槌あいづちを打っていた。


「それにしても、今日現れた魔獣まじゅうは強かったよなあ。あいつの炎熱魔法の範囲の広さといったら、やばかった」

「本当にそうね! あのときは魔術で対抗してくれてありがとう、リズル」

「気にするなよ、シャルロッテ。君こそ、負った火傷やけどを治してくれてありがとうな」

「ふふ、お気になさらず」


 少女の手が、テーブルに置かれているクッキーに伸びる。

 かじるとさくっとした食感と共に、柔らかな甘さが口の中に広がった。


「そういえば迷宮の地下七階に、とても綺麗な宝石が取れる場所があるらしいぞ」

「それ、私も聞いたわ! 気になるわよね……加工してアクセサリーにして貰おうかしら」

「いいんじゃないか? きっと君に似合うよ」


 少女は口元にクッキーの欠片かけらを付けながら、言葉を発する。


「ねえねえ、おかあさん、おとうさん!」

「ん、どうしたんだ?」


 父親の藍色の双眸そうぼうには、可愛らしい笑顔を浮かべる少女の姿が映り込んでいる。


「わたしもいつか、ふたりみたいな『めいきゅうたんさくしゃ』に、なれるかなあ?」


 そう尋ねられて、母親は少し驚いたように目を見張った。一つにまとめられた空色の髪が、微かに揺れ動く。

 父親は微笑んで、頬杖ほおづえをついた。


「ああ、なれるさ。君は聡明そうめいで優しいから、迷宮探索者に向いていると思うぞ」

「私もそう思うわ。もし迷宮探索者になれたら、三人で探索に行きましょうね!」

「うん、わたし、すっごくいきたい!」


 まぶしい笑顔を溢れさせた少女に、両親もまた温かな笑顔を返した。

 窓の向こうでは、星々の光を身にまとうようにしながら、灰色の月がきらめいていた。


 ◇


 綺麗な音楽が、かすんだ意識に入り込んでくる。

 少女――リーズロッテ=グレイムーンは、ベッドの上でそっと目を開いた。


 歳の頃は十九歳くらいに見える。肩の辺りまで伸ばされた空色の髪と、物憂ものうげな藍色の瞳が印象的だった。右目の下には、小さな泣きぼくろがあった。


 彼女は枕元に置かれた時計に手を伸ばし、流れている音楽を止める。目を擦りながら上体を起こすと、大きく伸びをした。


 リーズロッテはベッドを降りて、大きな窓の方へ歩いてゆく。分厚いカーテンを開くと、透明なレースカーテンの向こうに、始まりの町アリスの街並みが見えた。色とりどりの屋根をした建物と、街路樹の柔らかな緑色が視界に飛び込んでくる。


 幾度いくどとなく目にしているその景色を、彼女は今日も美しいと思った。




 居間で朝ご飯のケーキを食べながら、リーズロッテは配達された新聞を読んでいる。


『特級迷宮探索者・シスレア=トレティードの躍進やくしん

『第四迷宮で四人の迷宮探索者が行方不明に』

『第七迷宮にて新種の魔獣が発見される』


「……行方不明か。無事見つかるといいですけれど」


 彼女はそんな独り言をこぼしつつ、ケーキの上に乗っている赤色の果実をフォークで刺した。口に運んで、酸味と甘味が合わさった瑞々みずみずしい味わいを楽しむ。


 ふわふわのスポンジととろけるようなクリームに舌鼓したつづみを打ちながら、リーズロッテは新聞に目を通していく。読み終える頃には、ケーキもすっかりなくなっていた。


 畳んだ新聞をケースに収納してから、リーズロッテは本棚に近付いた。魔術や迷宮に関する本や、砂糖菓子に関する雑誌が並ぶ中で、一冊のファイルに手を伸ばす。それは、彼女の仕事に関する情報を纏めてあるものだった。


「さて、本日の依頼人は、と」


 ひとりごちながら、雪のような肌をした手でページをめくってゆく。

 目的のページに辿たどり着いて、手を止めた。


 ジレ=サンスヴェレ  男性 十七歳

 ソリア=サンスヴェレ 男性 十五歳

 契約けいやくコース:プランB(一日目)


「……十五歳、か」


 リーズロッテは微かに目を細めながら、書かれている文言を繰り返した。


「何度見ても若いですね、飛び級かな……というか苗字みょうじ同じですし、兄弟? いとこという可能性もあるな」


 そう呟きながら、彼女はぱたんとファイルを閉じ、本棚の元あった場所に仕舞しまう。


「まあ、行ってみればわかるでしょう」


 リーズロッテはそう言って、着替えるために自室へと向かった。

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