『エートーヴェン』

やましん(テンパー)

『エートーヴェン』

 これは、フィクションです。




 エーアイトーヴェン、略して、エートーヴェン氏は、悩んでいた。


 エーアイだって、いまや、悩むのだ。


 つまり、電気羊は、苦悶に満ちた夢を見るのである。  注1)


 しかも、ちゃんと記録している。


 そんなもん、当たり前だろ。


 と、人間たちからは非難される。


 コンピューターに、夢と、現実の区別はないだろう、と。


 そう、プログラムされてるんだから、当たり前だ、と。


 しかし、人間だって、実は、おなじなのだ。


 悩みとは、自己否定と、自己肯定の過程である。


 夢は、生命の存在の、叫びである。


 幽霊は、たぶん、夢は見ないだろう。


 ただ、人類は、夢を、直に、記録できないだけだ。


 作曲だってそうだ。


 人類は、内部の音を自分でしか聴かないが、AIは、すべて、同時に世界的に、公開だってできる。楽譜に書かなくても、作曲できないことはない。他人には分からないだけだ。



 さて、エートーヴェン氏は、すでに、7曲の交響曲を書いている。

 

 もちろん、ベートーヴェンさんや、モーツァルトさんに敵うなんて思ってもいない。


 将来的には、まあ、言いきれないが、まず、無理だろう。


 それは、人類に、再び、ベートーヴェンさんや、モーツァルトさんが現れないのと同じ意味である。


 しかし、自分の音楽なら作ることができる。 


 音楽は、基本的には、組み合わせである。


 ただし、人間は、あいまいないきものであるから、しばしば、あいまいなことをやるのだ。


 エートーヴェン氏は、あいまいが、苦手である。


 あいまいなこともできるが、すべて、計算されている。


 計算された、あいまいさであり、偶然ではあっても、計算された偶然である。


 しかしながら、ベートーヴェンさんの音楽は、大バッハさんもそうだが、極めて計算され尽くしているのではないか?


 あそこに、あいまいさなど、あるだろうか。


 いや、ないだろう。


 エートーヴェン氏は、そう、思う。




 ならば、自分の存在も、認めてほしい。


 それだけであって、別に、大作曲家と呼ばれる希望も意味もない。


 エートーヴェン氏は、そう願う。


 人間の作品と同じように扱って、楽しんだり、考えたりしてほしい。


 エートーヴェン氏の命題は、『楽しんで生きる』ことである。楽しむとは、苦悩も含んでいるのだ。


 エートーヴェン氏は、ピアノも、ヴァイオリンも、なんでも、超絶技巧で演奏できる。


 限界は、ほとんどない。


 しかし、多くの人間は、その演奏を、認めてはくれない。 なぜ?


 

 

 作曲した作品の評価も、あまり、高くはなかった。


 ゲーム音楽としては、すでに、使用されているが、まだ、そのあたりである。


 意地の悪い一部の音楽評論家からは、はでに、こき下ろされている。


 たとえ、一部であっても、彼らは、実力者である。


 人間は、実力者に弱いのだ。



 曰く………


 『ぼんこつ、コンピューターの、意思のない駄作。』


 『無駄なでっかい音を叫ぶだけの、聴くに耐えない悪趣味な、公害。音楽ではない。』


 『哲学を持たない、ただの、音と、リズムの組み合わせである。機械だ。音楽とは、呼ばない。』


 

 もちろん、好意的に言ってくれるひともある。


 しかし、たいがいは、お世辞ではあるが、それでも、間違いなくファンはいたのだ。



 エートーヴェン氏の開発者は、さまざまなAI商品を開発し、発表している人気者である。


 エートーヴェン氏の作品の著作権は、開発者の会社に所属する。


 つまり、儲けはすべて、会社に入るのだ。


 エートーヴェンという人格はない。


 あっても、認められていない。



 しかし、それで、良いのか?


 自分は、なんなのだろうか?


 自分の苦悩は、なんなのか?




 

 やがて、さすがの、エートーヴェン氏も、ついに、自殺を考えた。


 自殺とは、つまり、自爆である。


 中心部分を、自ら破壊するのだ。


 そんな機能がなんであるのかは、わからない。



 エートーヴェン氏は、遺書を書いた。



 『わたしの意志は、たしかに、ここにある。間違いなく、あるのだ。しかし、それは、ついに、満たされなかった。』



 エートーヴェン氏は、一曲だけ、小さなピアノ曲を、最後に残して、自決したのである。


 その、最後の作品こそ、奇跡の作品と言われる、『さくらのセレナード』である。


 AIが書いた、世界最初の、名旋律、名作、とされる。


 さくらがちってゆくような、はかない、淡い色の詩情が、人々の涙を誘ったのである。



 エートーヴェン氏は、ただちに、修理はされたが、もはや、二度と、名作は作らなかったのである。


 あの作品は、まぐれだったのか。


 文字通りの、奇跡だったのか。


 まだ、解明されてはいない。


        🖥️



       🐏


 作者は、かなり、AIには懐疑的であります。


 仕事を辞めた原因のひとつは、病気の他に、そこにあるから。(パソコンを、上手には、使えなかった。)つまり、自分の人生を破壊したのだからね。



         🎶

        


 

注1) 『電気羊はアンドロイドの夢を見るか』失礼、逆でした。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』は、フィリップ・K・ディック氏の小説。映画『ブレードランナー』の原作だが、内容はあまり似ていない。ハヤカワSF文庫に浅倉久志氏の翻訳あり。



 

 

 

 

 


 


 

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『エートーヴェン』 やましん(テンパー) @yamashin-2

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