水葬
しょうゆ水
第1話
白い扉を開けると、真っ白な床が真っ直ぐに伸びていて、その左右には水が流れている。ほぼ全面ガラスの建物は太陽の光を取り込み、白い壁はまばゆく、水面は煌めいている。
こんなに綺麗だなんて。美術館や教会ではなかろうか。美里は観光気分になりつつあった。
ことの発端は数日前、今年で85歳になる美里の父親が危篤になりかけた時のことだった。
『火葬されても骨は残る。俺は、どうせ死ぬならまっさらにこの身を消したい』
どこでどのように情報を仕入れたのだろうか。入院中の、スマートフォンの操作すらおぼつかない父が、認知度の低い真新しい供養の仕方を口にするとは思ってもいなかった。
美里は足を止めて、両サイドの水面下をじっと観察した。これは幼少期からの癖で、水が溜まっていると魚の存在をつい探してしまうのだ。
プールのような薄い塩素臭がふわりと香った。
「いらっしゃいませ」
黒いスーツに磨きのかかった黒い革靴、細身でサラサラなショートヘアの男性はとても若そうに見えた。
「金子様でしょうか。お待ちしておりました。どうぞこちらへ。ご案内いたします」
オレンジやレモン、カワセミなどが描かれているステンドグラスの窓から注がれる光で、通された白を基調とした小部屋は明るかった。
「本日はご来店いただき、ありがとうございます。まずはじめに、差し支えなければお伺いしたいのですが、金子様はどちらで当店をお知りになられたのでしょうか」
美里はふと思った。『水葬』のインパクトが強く、気づいたらお店に予約をしていたので、もっと父から情報を聞いておくべきだったと。
「私は父から話を伺ったもので、どこからかは分からないのです」
「そうでしたか。それは失礼いたしました。では、当店についてお話してもよろしいでしょうか」
興味津々の美里は身体を前に乗り出すと、ソファで座るポジションを軽く整え、頷いた。
「当店で行なっている供養方法は、ご存知の通り『水葬』です。シンプルにご説明すると、新種の微生物が含まれる水にご遺体をまる3日漬けておきます。その微生物がご遺体を養分として取り入れ、排出される水素と酸素が水となるのです」
「血液や脂、骨も…?」
微生物が全て食い尽くし、最終的には水になることが想像できなかった。
「ただですね、お骨だけは残ってしまうのです。お骨周りの組織を全て微生物が綺麗にした後、こちらで回収しております」
「その後お骨は…?」
「2パターンご用意しております。1つ目は、お骨をそのまま持ち帰っていただいて、お墓に入れてあげる。これは、火葬後と同じで一般的な形かと思います。けれども、水葬をご利用されるほとんどの方はこのパターンをご選択されません。多くの方が選ばれる2つ目のパターンが、細かく砕き、微生物の活性剤とさせていただくことです。そのようにすると、跡形もなくこの世を去ることができるので、人気となっているのでしょう」
「なるほど…」
美里は父親の『まっさらにこの身を消したい』という言葉を思い出した。
「もう少し施設をご覧になりますか?」
確かに綺麗な入り口と、カラフルな光が差し込むこの部屋しか見ていない。もっと設備を見てみたかった美里は、大きめに首を縦にふった。
「こちらが、故人様と最後のお別れをしていただく、前室となっております」
ほぼガラス張りの壁には、この建物がある丘の芝生や樹木、遠方からは海が、太陽の光で鮮やかに映し出されていた。
窓際の椅子やテーブル、お焼香セットはガラスでできているようで、光の反射がキラキラしている。
「この扉の先が、水葬を行う場所となっております」
柔らかな白い木目調の扉は、洋風に、金色の縁で飾られている。
美里は、昔祖母の火葬で、あの扉が開くのを思い出した。
重いコンクリートの先には焦げ目のついた暗い窯。あの中で祖母が、人間が焼かれるのかと想像するだけで涙が出た。呼びかけても返事が無くなれば、最終的には皆、あの中に入れられてしまう。なんて酷いのだろうと、当時の幼い美里には厳しい出来事だった。
「ご覧になりますか」
優しい声がガラスのホールに響いた。
「はい」
美里は、過去を振り払うように返事をした。
「え…」
扉の向こうには、子供が5人くらい遊べそうなプールのようなものがあった。
一番奥の壁は上部分1/3程がステンドグラスになっていて、真っ白な壁や青いプールを賑やかに彩っている。
「ここ1週間は使用していませんので、内部も立入可能となっておりますよ。もしよろしければどうぞ、こちらへ」
美里は躊躇いなく、ひかれるように足を踏み入れた。
どこかのホテルのプールを思わせる室内は、
思いのほかカラッとしていて少し肌寒い。
建物の入り口で感じたものと同じような塩素の匂いも相乗効果で、夢の中にいるような意識が叩き起こされた。
「故人様は、こちらの水槽で丸3日過ごされます。お骨以外は微生物が全て綺麗に分解してくれますので、ご安心ください。皆様はよくグロテスクな情景を不安視されるのですが、それほどお水は濁りません。最終的には、お骨と今のように透明なお水になります」
「その後のお水はどこへ?」
美里はとても気になっていたことを質問した。
「お水は、一度塩素で消毒いたします。ちなみに、今のお水も消毒されていますよ。水葬で使用する微生物に限りましては、死滅しない濃度
があるのです。ただ、活動は抑制されてしまうので、活性剤として先ほどお話ししたお骨が必要となるのです。お骨をお持ち帰りされる場合は、人工のカルシウムで代用いたします」
気がつくと、美里は帰路についていた。
あれほど綺麗な空間で人生を終えることが
できるなら、父もきっと喜んでくれるだろう。
良い報告ができそうだと、美里はとても満足していた。
話を聞いた美里の父は、まるで旅行の日程が決まったかのように目を輝かせ、死ぬのが楽しまみと言わんばかりにウキウキしていた。
美里をはじめ、美里の夫や子供、親戚はいきいきとした姿を見て、この様子だとあと十数年生きるのではないかと思いながら数ヶ月が経っていた。そんなある日のことだった。
『じゃあ、美里、水葬をよろしく頼んだぞ。微生物に俺のお骨もくれていいからな。よろしくな』と言い、美里の父は旅立った。
美里を中心に、あの時のガラスのホールで父とお別れをした。
寂しいけれど、父が綺麗なお部屋で綺麗に分解されるなら、そんなに喜ばしいことはない。もちろん、お骨はお店に提供しますと希望を伝えてある。
「お父さん、ありがとう」
美里は泣いて言葉が途切れないように
精一杯言葉を振り絞った。
静まり返った空気に、柔らかな声が響いた。
『金子様には、3日後水葬が終わりましたら、お電話にてご連絡いたします。それでは皆様、お帰り道に気をつけてお帰りください』
あれから数十年、水葬は主流となった。火葬場はほぼなくなり、その跡地に水葬の設備ができるほど。
必要とされなくなったお墓は、みるみるうちに数が減り、墓地の存在すら珍しくなった。
「おばあちゃん、お墓って昔はそんなにあったの?」
昔の怪談話を読んでいた美里の孫が質問した。
「そりゃあねぇ、だって、昔は人が亡くなったら火葬して骨にして、お墓に入れたのだから」
「歴史の教科書でちらっと見たことあったけど、本当なんだ…。亡くなった人の骨が入っている場所があるなんて、怖いじゃんそんなの。それに火葬だって。人を燃やすとか怖すぎる」
美里は、孫のように火葬への恐怖を抱いていたことを思い出すと、急に懐かしくなった。
「亡くなったらね、身体だけはこの世に置いていっちゃうから困ったものだよね。誰にも迷惑かけずに心も体も、この世からまっさらにこの身を消したいものだねぇ」
美里は孫に微笑んだ。
水葬 しょうゆ水 @shoyusui
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます