「第5章 お願いしていい?」(8)

(8)


 病院に着いて美咲の顔を二人で見た。二人が来た時には彼女の意識はまだあり、来てから、しばらくしてそっと息を引き取った。まるで自分達が来るまでを待っていてくれたようだった。


 顔を下にして涙を流す由香の頭に手を置いてから大樹は病室出る。それぞれの家族に美咲が亡くなった事を説明する。すぐに双方共、病院に来るとの事だった。

 それに礼を言って大樹は病室に一度、戻る。先程までバタバタした様子だったのが嘘のようだった。シンと静まりかえっていて、風の音や時計の音が聞こえる。


 大樹は病室にいた伊東先生に礼を言って、一度別室で話をする事になった。由香は美咲の傍にいたいとの事なので、彼女は病室に残した。


 灰色の本で分かっていた未来。それは当日まではとても寂しかった。何度も部屋で泣いたし、どうにか回避する方法はないかと模索していた。それなのにいざ、美咲が目の前で死んでしまうと、不思議なくらい何も感じなかった。


 いつから自分はこんな薄情な人間になってしまったのか。


 今も病室で泣いているであろう由香の姿を思い浮かべても自分の涙腺は涙が湧く気配すらない。

 ただ事務的に伊東先生に病気の説明を受けて、この後の事について話を進めている。時折、伊東先生に「酷だと思いますが、お気を確かにして下さい。ご希望でしたら、今夜はこのまま病院に泊まる事も可能ですから」と提案されたが大樹は笑って、「お気遣いありがとうございます。ですが大丈夫です、今日は帰ります」と申し出を断った。


 それから二人の両親が来て、美咲の遺体を見て涙を流す。彼女の両親が涙を流す姿を見ても相変わらずだった。あまりにも涙を流さないので最終的には、実感がまだないからだと自己解釈をした。事実、体の力は抜けているので間違ってはいない。

 いらぬ誤解が生まれても嫌なので、周囲にも同様の説明をした。


 しかし通夜でも葬式でも相変わらず実感は湧かず、最終的に焼かれた彼女の骨を見ても尚、実感が湧かなかった。


 人は死ぬまでは、とても長く感じるのに死んでからは、あっと言う間だ。


 実感の代わりにそう感想を抱いた。




 そして、美咲が亡くなってから二年が経過した。

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