「第5章 お願いしていい?」(2)

(2)


 翌朝、MacBookの入ったアップルストアの袋を見て、美咲は入院してから一番喜んでいた。何色が良いか聞き忘れたので、LINEで聞くと、『大樹が私に似合うと思う色にして』と難易度の高い注文をされた。

 なにせ何色を買ったか灰色の本には書かれていなかったのだ。


 大樹はアップルストアでスタッフと相談して、ゴールドを選んだ。美咲はそれを見て「わぁ、綺麗。大切にしなくちゃ」と感想を言った。

 その感触からゴールドで正解だったと分かる。MacBookを使う事で美咲は、由香と更にやり取りをするようになった。早く帰れた日にキッチンを覗くと、由香が自身のiPhoneに三脚を付けて、LINEでビデオ通話をしながら、料理をしていた。

 機械越しでも家の中で美咲の声を聞くのは、嬉しかった。


 美咲の声が聞こえて、彼女の体調が良ければ、ずっと繋ぎっぱなしでリビングで会話する。由香は美咲と話せるし、美咲だって由香と話せている。


 金曜日の夜。


 由香の作った肉じゃが定食を食べた夕食後、頭痛が酷かった大樹は美咲と由香が話すのを横目に自室に行く事にした。

 時刻は二十時。少し早いが自然と足が部屋に向いていた。


「あれ? お父さんもう寝るの?」


 リビングに行こうとした大樹に気付いた由香が振り返り、尋ねる。


「ああ。仕事でちょっと疲れが溜まっててな。今日は早めに寝ようかなって」


『え? 大丈夫?』


 由香のiPhoneから心配する美咲の声が届く。


「大丈夫。ちょっと重い仕事が入ったから会社でずっと対応してた。何とか出来たけど、おかげで頭を使い過ぎた」


『そう……無理しないでね? 体は暖かくして寝てね?』


「分かってるよ。おやすみ」


『おやすみなさい』


「おやすみー」


 二人に挨拶を交わして大樹はリビングを出た。

 自室に入って、MacBook Proの電源を立ち上げると共に本棚から灰色の本を取り出す。本、そのものに何の意思もない。それなのに最近は、この本がとても重たく感じた。本を持ってデスクに置く。今日は頭痛もあって、ウイスキーは飲みたくない。


 素面で捲るなんて初めてだけど、捲って確認しないと逆に眠れそうにない。ため息とそれに比例するようなページの重さを体感しながら、大樹はページを捲って中身を確認する。


 来週一週間の出来事が、見開きで一日ずつ書かれている。祈るような気持ちで内容を確認して、美咲が無事だと分かると、安堵のため息を盛大に吐いた。


 そして、iPhoneでページを撮影する。前に未来が変わった際、写真データでも内容も変わったので、この行為に意味がない事は自覚しているが、それでもやらないよりはずっとマシだった。


「ん?」


 中身を確認していく内に大樹は、声を出してしまう。

 それは彼がホワイトハニーへ行くと書かれていたからだ。書かれているのは行く事だけで、行ったらどうなるかまでは書かれていない。っと言う事は、行く事態が最適化された未来という事。


 ホワイトハニー。


 父と行ったきり行っていないが、お店の外観はすぐに思い浮かぶ。行くまでの道順も迷わないだろう。

 この灰色の本について、知っている人物は薮川しかいない。現状を伝えて、どうしたらいいのか? アドバイスが貰えたら……。


 微かに見えた希望の光。それを信じて大樹は、その日は眠る事にした。


「あっ、頭痛いの大丈夫?」


 翌朝、いつものようにお見舞いに来た大樹に美咲が真っ先に尋ねる。


「大丈夫。昨日、薬飲んで寝たから。今朝はもう治ったよ。美咲こそ、体調大丈夫か?」


 大樹と問いに「私はいつも通り」と美咲は返す。


「いつも通りか。MacBookはどう? 小説は書けてる?」


「もちろん! 鋭意執筆中です。これは大傑作が生まれますな」


 クスクスと笑って口元に手を当てる美咲。そんな彼女を見ると、こちらも元気を貰える。


「それなら良かった。島津 美咲先生の傑作を楽しみにしてるよ。あと、由香とずっとLINEでビデオ通話してるけど、平気か? 通話自体は良いんだけど、体調が心配」


 MacBookで美咲の体調が悪くなったら本末転倒だ。由香と長時間話しているのを聞くと、どうしてもそこが心配になる。すると美咲が大袈裟に首を振る。


「ぜーんぜん平気。むしろ由香と話して体調良くなった気がする」


「そ、そうか? それならいいんだ」


「実の娘と話す事が苦になる母親がどこにいますかっての」


「はいはい。そうですね、申し訳ありません」


 胸を張ってそう訴える美咲に大樹が素直に頭を下げる。


「宜しい」


 ふざけたようにそう話す美咲。そして彼女は大樹の頭にポンっと羽根のように軽い手を置いた。


「もちろん。大樹と話す事でもちゃんと救われてるよ。ありがとう」


「ありがと。俺も救われてる」


「それは良かったです」


「さて、そろそろ会社に行くか」


 腕時計を見て、出発の時間を確認する。立ち上がり大きく伸びをして、軽くあくびをした。仕事で溜まった疲れやストレスを美咲と話す事で回復出来た。


「行ってらっしゃい。頑張ってね」


「行ってきます」


 美咲と別れてから病院を出る。

 実は、今日は午前中を丸々有休にしているので、会社には行かない。この足でホワイトハニーに行く予定だ。灰色の本に書かれたとは言っても実際に行くのは怖かった。やろうと思えば無視をするか別日にする事だって出来た。


 けれど美咲との何て事のない会話で、勇気をチャージする事が出来た。

 今なら行ける。大樹は会社の最寄り駅とかは違う駅に向かった。


 あの日以来、ずっと行っていないホワイトハニーへ。

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