「第4章 目をつむってただけだから」(2)

(2)


 金曜日の夜。


 一週間の仕事が終わって夕食後のひととき。大樹は食器棚からグラスを取り、冷蔵庫から氷を入れて自分の部屋へ入る。デスクに氷が入ったグラスを置いた。


 部屋の電気を消してスタンドライトだけにする。すると白色だった部屋の明るさが暖色系の優しい部屋へ姿を変える。それだけで、これから先にしようとしている事の罪悪感を和らげていた。


 父とは少し違うが、背の丈程の大きな本棚に沢山の文庫本が入っている。大学当時は読まないと思っていた小説も今では、すっかり通勤のお供になっていた。


 その一番下の棚、なるべく誰からも見つからないように隅に置かれている灰色の本。それを音もなく抜き取る。そして本の横に置かれているシングルモルトウイスキーを一本手に取った。

 デスクに灰色の本を置いて、空のグラスにシングルモルトウイスキーのスプリングバンクを注ぐ。大樹は元々酒が強くはなかったのに、この本を見始めてから、すっかり強くなってしまった。


 スプリングバンクの栓を開けると、コルクから漂う独特の香りが鼻腔をくすぐる。トクトクっとグラスの半分ぐらいまでウイスキーを注いだ。氷に反応してパキパキとグラス内で音を立てる。スプリングバンクを棚にしまって、デスクのワークチェアに腰を落とす。


「ふぅ」


 小さく息を吐いて、グラスに手を伸ばしてフチに口を付ける。


 ビールのように飲むのではなく、口を付ける程度。それだけで充分に味わう事が出来た。最初は分からずにそのまま飲んでしまい、むせて大変だった。


 灰色の本を開く時にウイスキーをロックで飲まなければいけないルールはない。

 だけど、父の部屋にもガラス戸にウイスキーが入っていた事から、不文律になっている。実際に大樹も最初は、そのまま本を開いていたがウイスキーがあるのとないのでは、読後感が全く違っていた。


 香りの強いウイスキーを飲んでいる時は、そのアルコールの強さで最適化された未来を読む行為につきまとう罪悪感を濾過してくれる。そんな気がするのだ。


 大樹は、金曜日の夜に一週間ずつ灰色の本に書かれている未来を開いていた。


 見開き一ページに一日の出来事が手書きで書かれた日記のような形式で綴られている。片方が午前中、もう片方が午後と言った形になっていた。それを一ページずつ、じっくりと時間を掛けて読み、ウイスキーのフィルターを通してから、頭に溶け込ませていく。


 本に書かれているのは、一年分。やろうと思えば、全部読んでしまう事も可能だが、そんな事はとても出来ず、一週間分を読むのが精一杯だった。


 大樹は、iPhoneを手に取り一ページずつ丁寧に写真に収めていく。これはお守りを作っているようなもので、実際に写真を見返す事は滅多にない。出先で事前に知った未来を確認しておく用として保存している。


 そして、本に書かれている内容で修正可能なもの、回避可能なものは手を打っておく。午後からにわか雨が降ると書かれていれば、鞄に折りたたみ傘を用意するし、急ぎの仕事の案件の依頼が来ると書かれていれば、事前に準備を進めておく。


 大樹の仕事は、ケーブルテレビ会社の下請けで、依頼があった際に電力会社・市役所への申請や現場調査への依頼を行う。


 依頼は基本的に決められた納期から逆算されて来るがそれを無視して、いきなり来る事もある。そうなると動きがどうしても後手に回ってしまう。


 だが、灰色の本で一週間後の未来を知るようになってから、それも変わった。無理な納期での注文も安定して捌けるようになったのだ。


 和田からは「最近凄すぎでしょ? 向こうから事前に情報貰ってるんですか?」と冗談混じりで聞かれたけど、「そんな訳ないだろ。偶然だよ」と適当に返しておいた。


和田の「怪しいなぁ」という顔が記憶の片隅に浮かぶ。それを思い出して、本を読んでいる最中だと言うのに、思わず笑ってしまった。


 怪しいなら、いくら怪しんでくれても構わない。

 どうしたって分かるはずないのだから。

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