「第3章 予感って、」(2-3)

(2-3)


「由香……」


 ベッドに横たわっている由香は、体中を白い包帯で巻かれて、点滴や呼吸器の管が何本も繋がれていた。心電図が反応している事で彼女が生きている証明となっていた。


「お医者様が言うには、現状で出来る事は全部やった。あとは、由香が目を覚ますのを待つしかないって」


「そうか」


 顔を由香に向けたまま大樹は、そう返す。二人して由香を眺めた。彼女のベッド横のベンチには美咲のカバンが置かれていた。


「由香……、大丈夫だよね?」


 縋るような声で大樹にそう確認する美咲。それに対して、大樹は「ああ」と頷く事しか出来なかった。自分は医者じゃない。由香の状況がどうなっているかなんて分からない。だけど夫として美咲の言葉にそう返した。


 容態だってどうなるか分からない。よりハッキリと分かる確証があれば、何か変わるのに。

 何か……、何か……。

 頭の中で答えにならない物を探そうとして、思考だけがグルグルと回転する。


 ――確証、そうか。


 回り続けた思考がピタリと止まった。確証を知る方法がある。それも百パーセントの精度で。心の中があっという間に埋め尽くされていくの感じた。黒い煙を逃げ場所のない箱に強引に閉じ込めているようだった。


 大樹がそう考えていたのが、美咲にも伝わったらしい。


「どうしたの……?」


「えっ?」


「だって、急に笑って」


 こんな状況でどうして笑っているのだ。美咲の瞳からは不信感が浮かんでいた。そう思うのは当然だ。大樹は彼女の気持ちを何も否定せず頷いた


「分かってる。ごめん。少しだけ出て行く。すぐに戻ってくる」


「どこに?」


「家。大丈夫、すぐに帰るから。あっ、何か必要なものとかある?」


 大樹の質問に首を左右に振って否定する。それを確認して美咲達から離れて、病院を出た。もう病院の診療時間はとっくに終わっている為、ロータリーにはタクシーなんて一台も停まっていない。


 その為、大樹は病院を出てから大通りまで歩き、タクシーを捕まえた。ココに来た時と同じように駅に向かい、地下鉄に乗る。最終電車にはまだ余裕があった。一度、家に帰っても何となりそうだった。


 地下鉄から自宅の最寄り駅に向かい、そこからはまたタクシーで自宅まで帰る。駅からは歩いて二十分。走っても良かったがお金でどうにかなるなら、どうにかしたかった。幸い、ロータリーには二組しか並んでいなかったので、順番はすぐに来た。


 自宅マンションに辿り着くと、すぐに鍵を取り出してエントランスに入った。

 オートロックやエレベーターが一階に来ていない事に苛立ちを覚えつつ、部屋まで辿り着く。玄関を開けて中に入ると、通勤用のカバンと革靴を放り出して自分の部屋へ駆け込む。

 部屋には大きな本棚があり、沢山の本が並んでいる。そこの一番下段の隅、普段あまり視界に入れないようにしている箇所に灰色の本があった。


 数年ぶりに見た灰色の本。いや、生活をしていて視界には入っているのだろうが、認識していないけである。灰色の本を引き抜いて、その場にしゃがみ込み一心不乱にページを捲る。


 捲った時、埃が舞った。そのせいで反射的に咳が出る。しかしそんな事には構っていられない。大樹は、必死にページを捲り今日の部分を探し出す。そして、ようやく見つけた。


【契約社員の武田さんが休みだった。木曜日から休みだったので、別チームの契約社員さんで手の空いている益川さんに作成を頼んでいた報告書を確認して、何点か修正をしたのち、取引先との共有クラウドストレージにアップした。家に帰り夕食を待っている間に美咲から電話があった。


 由香が塾の階段を踏み外したとの事。二人して急いで市立中央病院へ向かう。この時、美咲が酷く動揺していたので自分が付いていて良かった。


 病院で全身に包帯を巻いて管を通していた由香の姿に美咲はしゃがみ込み、涙を流していた。自分もその場で死んでしまいそうになる程の衝撃を受けた。】


 読みながら大樹は、やはり和田の言う通り、他に報告書の作成を回せば良かったと後悔した。ルール上とかモラルとか気にしている場合ではなかったのだ。書かれている事と今で違う事が多々ある。だけど、概ねは合っている。


 病院に行っている時から美咲に付き添ってやる事が出来たのだ。そうすれば彼女をずっと支えられる事が出来た。


 書かれている最適化された未来を歯痒い気持ちで読みながら、大樹は続きを目で追った。


【医者から現時点で出来る処置は全てやった。あとは彼女が目覚めるのを待つしかないと言われた。美咲はベンチの上で一晩中、由香が目覚めるのを待ち、大樹は一度家に帰る。朝になって、マクドナルドのドライブスルーで美咲用に朝食を買おうと車を向かわせる時、彼女からLINEで通話がかかってきた。


 由香が朝になって目を覚ましたと言うのだ。目を覚ましてくれた報告に車の中で「良かったぁ」と声を上げて涙が出る。朝食を助手席に積み込んで、急いで病院に向かった】


「あぁ〜」


 由香が朝になって目を覚ますと連絡が来る。この文字を読んで大樹は声を上げてその場に大の字になって倒れ込んだ。

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