「第3章 予感って、」(2-2)

(2-2)


 美咲からの返事はない。その代わりに鼻を啜る音だけが聞こえてきて、それが返事になっていた。その後の大樹の行動は早い。和田のパソコンで走らせていたマクロを強制的に止めて、シャットダウンした。自分のパソコンもシャットダウンして、二つ共真っ暗になったのを確認する。

 仕事の事は、後で時間が出来た時にでも考えればいい。


「どこに行けばいい?」


「……市立中央病院」


「分かった。すぐに向かう」


 美咲との通話を終えると、すぐにラックから背広に取って袖に腕を通し、エアコン・窓閉め等の閉室作業を終わらせると、会社から飛び出るようにして退社した。

 そのまま駅に向かい、地下鉄へ。時間は二十一時半を過ぎていた。ホームには定時に終わらせて華金を楽しんだサラリーマンが大勢いる。いつもなら、そんなもの気にならないはずなのに今は、ひどく鬱陶しい。


 暫くホームで待っていると、美咲からLINEが届いた。


【由香が塾の前にある階段から踏み外して、落ちちゃったの。友達同士で話しているところで、後ろの子とぶつかっちゃったみたい。頭を強く打ったみたいで、意識がない。塾から電話があってすぐに病院に行った。私は今、病院。もう受付は閉まってるから、病院に着いたら電話して】


 美咲からのLINEをホームで読みながら、体がカァーっと熱くなっていくのを感じていた。心臓が早鐘を打つ。父が死んだ時と限りなく心境が似ていた。

 市立中央病院までの道のりは把握している。


 これから乗る地下鉄で四駅分乗ってから駅前でタクシーを拾えばいい。三十分もあれば到着するだろう。ホームにある電光掲示板で時間を確認すると、三分後に電車が来るようだった。大樹はLINEで美咲にメッセージを書く。


【今は駅のホームにいる。ココからだと、三十分ぐらいで着くと思う。着いたらまた連絡するから、美咲は病院にいて。何か必要な物が出てきたら、途中で買ってくるから、いつでも連絡して】


 LINEを送ってしばらくトーク画面を見つめる。

 すると既読になったので、取り敢えず大樹は安堵した。美咲はこちらに連絡するまで一人だったはずだ。色々と戦ってくれていたのだ。悪かった。絶対にあり得ないが、由香がこうなるって分かっていたら、残業なんてしなかったのにな。到着した地下鉄に乗り込み、大樹はそんな意味のない事を考えた。


 地下鉄が目的の駅に到着するなり、大樹はすぐに出て地上まで駆け上がった。この駅は、大きくなく乗り換えもないが、金曜の夜という事もあってタクシーのロータリーが並んでいるかも知れない。サラリーマンになってからすっかり運動不足になってしまった体に鞭打ちながら、大樹は階段を一つ飛ばしで駆け上がる。

 外に出ると運が良い事にロータリーには誰も並んでいなかった。


 大樹はすぐにタクシー乗り場に並ぶ。タクシーは並んでいないが、バスに頼っていたらいつになるか分からない。ココは我慢するしかなかった。


 駆け上がった息を整えてから、iPhoneで階段の事故について調べようか。しかし、素人が下手な知識を入れる意味はないのではないか。と自問自答していると、タクシーがやって来た。

 開いたドアに飛び乗って「市立中央病院まで」と行き先だけを告げる。大樹の言葉に「了解しました」と短く運転手が言ってタクシーは動き出す。駅前にある居酒屋前には、飲み会帰りのサラリーマンの集団が見えた。


 さっきのホームと同様に鬱陶しく感じてしまう。


 何度もLINEを確認するが、美咲からの連絡はない。タクシーはそのまま交差点を進み、市立中央病院へ向かっていく。


 大樹は美咲へ電話をかけた。彼女はすぐに出た。


「もしもし大樹。今、どこ?」


「駅からタクシーに乗った。もう十五分以内には着く。由香の様子は?」


「……まだ、ずっと意識が戻らない」


「そう、か……」


 話しながら大樹の脳内に最後に見た由香の姿が投影される。それは、今朝の事だった。大樹が朝食を食べて、出発する時に由香は部屋から出てリビングに向かうところだった。酷く眠そうだった。

 夜更かしでもしたのだろうか。そんな事を思いつつ彼女に「おはよう」と挨拶をする。彼女からの返事は無かったが、代わりにペコリと頭を下げてきた。


 それが大樹の記憶に残る最後の由香の様子だ。あれが最後なんて絶対嫌だ。それに彼女はまだ十三歳。これから楽しい事を沢山経験する。こんなところで人生を終えてしまうのはあまりに勿体ない。どうか、生きていてくれ。


 大樹の願いと共にタクシーは市立中央病院に到着した。お金を払い、タクシーを降りる。既に閉まった一般外来の入口から、美咲に到着したとLINEを送った。すると、美咲はすぐに横の時間外受付から現れた。


「大樹……」


 数時間ぶりに見る美咲の顔は、大樹の顔を見るだけで泣きそうになっていた。彼は彼女の下まで駆け寄り、彼女を抱きしめる。


「美咲、遅くなってすまない。一人でよく頑張ってくれた」


「うん……、うん」


 大樹の言葉が合図となり彼の胸の中にいた美咲は、静かに涙を流した。

 背中をポンポンっと叩き、落ち着くのを待つ。一分程して落ち着きを取り戻した美咲は「こっち」と大樹を時間外受付へと導く。病院は違うけど、時間外受付に行くのもあの時と変わらない。


 美咲に案内されるまま病院内を進む。薄暗い廊下から、昼間と変わらない明るさの所まで来ると、六つは並んでいるベッドが並んだ部屋に通さられた。

 並んでいるベッドは六つ中、四つは誰もいなかった。使われている二つの内、一つが由香が横になっているベッドだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る