第21話

 そんな感じの回想に引き摺られて完全に上の空だったハンスのオツムに、危機感を煽る謎の異音が届いた。



 ――――ビュォンッ!!!!!!



 それは、今まで身体が勝手に動くままに防いでいた木製の穂先によるものだった。


 遠目にも朧げにしか捉えられないほどの疾さの踏み込みにより、ただでさえ王国騎士の殆どが盾無しでは対応できないファルカの突きが加速された結果、穂先を阻む空気の壁が突き破られて爆ぜるような風切音を弾き出したのだ。


 音にさえ追い付きそうな勢いで繰り出された槍が傷顔へ吸い込まれるように迫るが、当然のように反応したハンスの槍が正確に穂先へと添えられた。


 それだけでファルカ渾身の突きは、ハンスの頬から五インチも離れた空間を通過し――


「――ッ!! そこッ!!」


 踏み込んだ左足を杭のように地面へ打ち付けて軸にしたファルカは、突進で得た勢いを逸らされた穂先へ存分に乗せて横一線に薙ぎ払った。


 ハンスの技を柔と呼ぶならまさに剛と呼ぶべきその一撃は、風に揺れる麦穂を刈り取る大鎌のように防御に回った槍ごとハンスの蟀谷を打ち抜いた。


 薪が爆ぜるような乾いた音に続いた穂先の軋みからも分かる通り、ファルカにとっても遠巻きに見物していた者達にとっても確実に決まったと思われた一撃だったが、何故か彼女の手に返って来た感触は想定よりも軽い。


(クッ!? 浅い!? いえ、これは……当たる寸前に私の槍と同じ方向に頭を逸らして受け流そうとしたのですね!! 成程、彼が得意とする防御術と同じ理屈なのでしょうが、今回は速過ぎて完全には受け流せなかったようで――


 と、彼女がそこまで思考を進めた矢先、グラリと傾いた少年騎士の双瞳に光が宿った。


 但し、その光は人を人足らしめる理性の煌めきではなく、襲い来る敵に牙を剥いて反撃する獣の如き本能の輝きだったが。


「――――ッッッ!!」


 その凶暴な眼光によって本能的な危機感と恐怖を喚起させられたファルカの喉が干上がった直後、『狼男ヴェーアヴォルフ』『血塗れ狼ブルート・ヴォルフ』と侮蔑され、それ以上に怖れられる騎士が、この立会いの中で初めて能動的に動いた。


 彼は崩れた体勢を鍛え上げた体幹と下半身で支えつつ打ち据えられて穂先が欠けた槍を手放すと、衝撃を受けて倒れ込もうとしていた身体に掛かる力の流れを下方から前方へと向け直し、その勢いを利用して眼前の男装騎士へと互いに拳打が届くほどの近間まで詰め寄り、鍛えられて鋭く締まった彼女の両腕を握り締めたのだ。


 完全に虚を突かれる形で琥珀色の瞳に至近距離まで迫られたファルカは、思わず距離を取ろうと身体を引いた所為で逆に体勢を崩してしまい、ハンスが伸ばした親指で手首の腱を刺すように圧迫されるまで一連の動きに反応できず、痛みで握力を削がれてしまった所為もあって槍を取り溢してしまう。


「ぐっ――!!」


 痛みよりも予想外の接近で怯んだ男装騎士が後退しようとして前に出ていた足を下げた瞬間、ハンスは捕らえていた彼女の両腕を解放する。


 それにより、ファルカの身体は背中から倒れ込みそうになるほど重心を狂わされてしまった。


 もはや、息吐く暇も無く反射的な動作で慌てて体勢を整えようとするファルカだったが、ハンスが足で受け止めていた彼女の槍がそれを妨げた。


「~~ッ――!!」


 跳ね上げられて少年騎士の手に納まった槍を足元に突き込まれ、地面を踏み締めて身体を支える筈だった足を容易く絡め取られたファルカが、短い浮遊中に無形の悲鳴を上げて尻餅を搗いた時には、彼女のほんのり赤らんでいた頬に木製の穂先が添えられていた。


 一方は武器を突き付け、一方は無様に転ばされて地に手を着いている――という、明らかな決着だったが、何故かどちらも黙したまま固まり続けている。


 いや、十人が見て十人が敗者だと認めざる負えない状況のファルカが、明確な勝利宣言を受けたわけでも敗北宣言を口にしたわけでもない以上、彼女が動けないのは御分り頂けるだろう。


 だから、騎士として相手の誇りに配慮する気があるなら、勝者の方が先に何かしらの動きを見せるべきであり、対面から見上げるファルカが嫌々ながら苦々しい表情で口を開いた理由もそこから来ていた。


「……ヴィントシュトース卿、いつまで婦女子の頬に触れているつもりですか?」


 苦々しいと言うよりも忌々しい、或いは何かを堪えているような御顔の男装騎士が投げ付けた不平不満の溢れる御言葉を受けた事で、さっきの打撃で半分ほど引き戻されていたらしいハンスの意識が完全に戻った。


「――ン、んん? ……アンタ、何やってんだ?」


 パチパチと不思議そうに瞬きを繰り返すハンスは、この現状に至った経緯が全く分からないといったふうに首を傾げており、揶揄っているのか、若しくは何も考えていないのか、乙女の柔らかな頬を無遠慮にプニプニし続けていた。


「……貴方こそ、今まで自分が何をしていたのか憶え――いい加減にしなさいッ!!!!!!」


 直接触っているわけではないのだが、木製の槍を通じて伝わる柔らかな頬の感触で手遊びしていたハンスに我慢できなくなったようで、ファルカは握り潰すような勢いで穂先を引き剥がしながら本日二度目の叱責を叩き付けた。


 よく通る大声に若干眉間に皺を寄せたハンスは、掴まれた槍を手放して大袈裟に耳を塞いで見せる。


「うるせぇな、ったく……アレだ。今から昨日言ってた模擬戦すんだろ? ちゃんと憶えてっから、アンタも地ベタなんぞに座ってないでさっさと始めようぜ? 早くしねぇと順番待ちしてるアイクに小言言われ――


「何も憶えてないだろうがッッッ!!!!!!」


 力一杯叫ばれた三度目の叱責は、相当広い上に天井も存在しない筈の戦闘場内で木霊するほどの圧を放ち、ハンスの言葉どころか場内中の人間の動きを圧し止めた。


 まあ、圧に呑まれて顔を引きつらせた騎士やら見習い騎士エクスワイヤやらの所為で静まり返っていた場内で、唯一表情を変えずにいた呑気野郎は不快そうに口を尖らせていただけだったが。


「一々大声出すなよ、迷惑なヤツだな、ったく……ほら、ちゃんと寸止めで済ませてやるから、早く構えな」


 文句と共にファルカに背を向けて距離を取るハンスは、足元に転がっている所を槍の穂先を踏みつけて高々と跳ね上げると、回転しながら落ちてきたそれをタイミング良く掴み取ってクルクルと弄んだ。


 回転された槍が地面を掠めて土煙を上げ、それが吹き抜けた春風に散らされた時には、少年騎士と男装騎士の間に立ち合いの開始位置と同程度の間隔が横たわっていた。


「さぁ――始めようぜ?」


「――――ッ、このッッッ!!!!!!」


 振り返って片頬を吊り上げるいつもの笑みを見せつけたハンスに、怒りの余り声も出なくなっていたファルカは胸中に燃え上がった憤怒のままに立ち上がり、握り締めていた穂先を持ち替えて彼の顔面へ突き付けるような勢いで構えを取った。


「今まで散々巫山戯てくれた報いを受けさせてあげますッ!!!!!!」


 鋭く言い放った男装騎士の普段の倍以上に恐ろしく尖った眼差しにも鷹揚に笑みを返すハンスは、その笑みを深く、大きくさせながら遅々とした動作で足を踏み出して両手に槍を持ち直し、先端に亀裂が走った棒切れを対面の穂先へ向けた。


「おぉ~コワ。それじゃぁ、コッチも本気でやらせて貰おぉかねぇ?」


 おちょくるような軽々しい口調のまま無駄な力を抜いて構えるハンスの穂先と、凄まじく険しいお顔で睨むファルカの穂先が触れ――



「ハイハイ、ストーップ!! そこまでにしようか、二人とも」



 二人の間に突き立った新たな木槍と集合時間から半刻も遅れて現れた騎士によって、騎士団内でも年若い手練れ二人の模擬戦じゃれ合いは中断された。

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