第9話

「騎士の礼儀も弁えぬような無礼者に、無粋などと謗られる覚えはありません。それに、女性を捕まえて『アンタ』などと呼ぶ者の方が、余程無粋ではありませんか?」


 冷たく言い放ったファルカに、ハンスは表情を変えないまま左腰の柄に腕を預けた。


「ハッ! 久方ぶりだってのにまた一段とキツくなったモンだなぁ?  ファルカミーナ・ブルンベルク殿。で、何の用だ? またいつもみたいに『勝負しろ――』ってか? 二年も前の勝負にいつまで拘る気だよ、第一部隊の『優秀者(ホープ)』様よぉ?」


 騎士らしからぬ粗雑な物言いと二年前の決闘祭典ドゥエルゼイゲン決勝戦での苦い敗北の記憶からか、ファルカの元々睨むようだった視線が更にキツイ光を湛え、凛々しい御顔を飾る眉の間に刻まれた皺も更に深くなる。


「浅薄極まる挑発ですね、下らない。それに『優秀者ホープ』などと言う軽薄な呼び名は『闘技場の英雄ドゥエル・ズィーガー』にこそ相応しいと思いますがね、ハンス・ヴィントシュトース卿?」


「ハハ、ホント負けず嫌いだよなぁ。ったく、メンドくせぇったらありゃしねぇ。用がねぇならソコ退きな。アホくせぇ式典なんぞの所為で寝みぃんだよ、コッチは」


「絶品通りでの暴食の次は惰眠を貪る、と。本当に見下げ果てた――っ、待ちなさい! まだ話は済んでいませんよ!」


 いい加減付き合う気力が失せたハンスが、ファルカの言葉を無視して彼女の横を素通りしようとする直前、勢いよく突き出された青い腕によって彼の行く手は阻まれた。


「だったら早く要件に入れよ。コッチは久方ぶりの休暇を楽しんでるんだ。幾ら美人でも常時仏頂面の女をエスコートするほど物好きなつもりはねぇぞ」


「……ッ!! ……コホン、そうですね。確かに不毛でした。貴方には今から私と共に王宮に来て頂きます。勿論、その無粋な格好を改めてから、ですが」


「ヤだねメンドくせぇ。他を当たりな」


 顔を背けつつ選択肢など最初から無いと言わんばかりに言い切ったファルカに対し、ハンスの方は不快感を隠そうともしないまま壁に突き出された腕の下を潜り抜けるが、路地の出口まであと一歩と言う所で襟首を掴まれてしまった。


「待ちなさい。これは騎士団からの要請ではなく、王女殿下直々の御命令ですよ」


「………………ったく、先に言えよ。んで、王宮で何させる気だよ?」


「別に、大した事ではありません。私と共に今夜行われる祝勝会の準備を補助するよう仰せつかっただけです」


 問いの答えにファルカにも負けないほど不機嫌そうな仏頂面となったハンスは、その不快感を溜め息と共に吐き捨てた。


「――ハァ……なぁるほど。要するに、俺が今夜の乱痴気ぱーちーをサボらねぇよう、王宮に縛り付けようってワケか。毎度毎度、御苦労な事で」


「分かっているのなら、無駄口を叩かず付いて来なさい。そもそも、王宮で仕えたいのなら王宮嫌いは直すべきでしょう?」


「ハッ! 俺がいつ、あんな下らねぇ上に退屈な職場なんぞ希望したよ? 大体、俺が嫌ってるんじゃなくて、アンタらが疎んでるだけだろ? 俺はただ、互いの精神衛生ってヤツの為に気を使ってやってるだけだぜ?」


 気軽な口調に似合わない酷薄な笑みを浮かべて振り返ったハンスは、己を留めようとする手を振り払いながら自分と同じ年頃の少女の顔を見返した。


 その琥珀色の瞳に耐えかねたのかファルカの視線が逸れたが、それでも彼女は立ち塞がるように――位置的にはハンスの方が出口側に立っているのだが――ハンスの前に立ち続ける。


「……別に、王宮の人間全員が貴方を嫌っているわけではありませんよ。王宮で働く使用人達の間では貴方の活躍がよく話題に上っていますし、父上――いえ、騎士団長も貴方の働きをとても高く評価していましたし……それに……――


「オイオイ、それ以上下らん戯言なんぞ垂れ流してくれんなよ。んな事しなくても、別に断りゃしねぇっつの。大体、嫌われ者だろぉが憎まれ役だろぉが騎士団に入団はいっちまった身である以上、王族直々の御命令を断るなんて選択肢はあり得ねぇんだしなぁ」


 肩を竦めて吐き捨てたハンスは切り捨てるように裏路地の出口へと向き直ると、もう話す事など無いとばかりに明るい通りへと踏み出した。


「ま、待ちなさい! 何処に行くつもりですか!?」


「あ? 何処って、寄宿舎だよ。アンタが着替えて来いって言ったんだろぉが。それとも、こんな暴れ易い格好のまんま、お綺麗なお城に上がっても良いってのか?」


 首だけで振り返ったハンスが言い終えて立ち去ろうとした瞬間、彼が纏う簡素なチュニックがささくれにでも引っ掛かったかのように引っ張られた。


「だから、待ちなさいと言っているでしょう。このまま勤怠の常習犯を一人で行かせる筈ないでしょうが。それに、騎士制服を枷扱いするのも止めなさい。この服はエルレンブルク王国騎士団の由緒ある正式衣装であって、言う事を聞かない暴れ馬を縛る物ではありません」


 少々熱の入った言葉と女性にしては中々に力強い指先に摘ままれた裾によって足を止められたハンスは、振り返らないまま肩を竦めつつ呆れたように首を振った。


「ハッ! 馬ね。なら、手綱でも付けて馬銜はみも噛ませて鞍まで背負わせてみたらどぉだ? それなら下手クソなアンタでも、乗りこなせるかもしれねぇぜ?」


「『孤軍怒涛アイン・ツェルゲンガー』と呼ばれるような貴方が、そう簡単に操れるものですか。趣味の悪い冗談など口にしてないで、早く行きますよ。祝勝会が始まるまでもう大した時間は残されていないのですから。それと、乗馬の腕なら徒歩で旅していた貴方より私の方がずっと上です」


 言葉が終わった直後にチュニックの裾を思いっ切り引っ張られて踏鞴を踏んだハンスと入れ替わりつつ路地の出口に立ったファルカは、一瞬だけ流すように琥珀の瞳へ視線を送ると、左肩に掛けられた緋色のマントを翻しながら陽の差す表通りへと進んで行った。


 結局、薄暗い路地に取り残される格好となったハンスは、蒼穹と夕暮を思わせる衣に包まれた背中を追い掛けながら、


「ヘイヘイ。王女殿下の御心のままに、ってな」


 不満そうな口調で、しかし、口元には面白がるような軽薄な笑みを貼り付けて呟いた。

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