十四話

「まずは俺の読みが正しいのか、それを確かめるためにレヴィンさんに話を聞きたい」


 四階へ向かう階段を上りながらレイはヒルデに言う。


「レヴィンに何を聞くの?」


「透明化薬のことだ。ここでも作ってるんだろ?」


「ええ。そうみたい。解除薬の研究で必要らしいから。……あ、でも、院長にレイさんを研究室に入れるなって言われてて……」


 これにレイは忌々しげに鼻を鳴らす。


「ふんっ、俺に対してだけは厳しくしやがって。まあこっちも入れるとは思ってなかったけど。……ヒルデさん、代わりに話を聞いてくれないか?」


「いいわよ。それでどんなことを聞きたいの?」


「透明化薬がなくなったことはないか、聞いてほしい」


 ヒルデは表情を険しくさせて聞き返す。


「……何かレヴィンを疑ってるの?」


「疑ってるのはあくまで隊長だ。なくしてないにしても、置き場所が変わってたとか、些細な違和感がなかったか知りたい」


「隊長さんが薬をどうにかしたって言うの?」


「それをレヴィンさんに聞いて確かめるんだ。……じゃあヒルデさん、頼むよ。俺はここで待ってる」


 四階に着くと、レイはその場に留まり、ヒルデを研究室へ向かうよう促す。わかったと頷いたヒルデは廊下を進み、警備の魔法戦士が立つ研究室へ入った。


「……ヒルデ、長かったね。院長とはそんなに話すことがあったのか?」


 研究作業台で薬品の調合をしていたレヴィンは、ヒルデに気付くと笑顔でそう聞いた。


「え、ええ。まあ……ねえレヴィン、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」


「ん? 何?」


 ヒルデは作業台の横へ行き、聞く。


「ここへ来て、透明化薬は何度か作ってるわよね」


「うん。院長の許可を得て作ってるけど、それが?」


「その薬がなくなったこととか、ある?」


「え? まさか。そんなことが起きたら一大事だよ」


 レヴィンは冗談でも聞かされたように笑って答えた。家での研究でも、貴重だったり危険な薬品、材料は鍵付きの戸棚にしまわれ、こういった物の扱いを厳重にしていることはヒルデも間近で見て知っていた。なので不用意になくすとは思えなかった。


「そうよね……ここでもしっかり保管してるわよね」


「鍵は付いてないけど、薬品棚にしまってるよ。ほら、あれ」


 レヴィンの指差した壁際を見ると、縦にも横にも大きな戸棚があり、中にはたくさんの薬品瓶が並んでいる。


「……鍵、付いてないの?」


「ここはもともと研究室じゃなかったみたいだから、鍵付きの戸棚は用意できなかったみたいだ。でも外には警備がいるし、簡単に入れる場所じゃないから問題はないよ」


 ヒルデの中に小さな不安がよぎる。確かに警備はいるが、それをすり抜けてしまえば密かに薬に触れることは誰でもできてしまう状況だ。


「本当に、問題はない?」


 レヴィンは怪訝な目を向ける。


「……何を心配してるんだ? 大丈夫だよ。なくしてなんかないから」


「なくしてなくても、薬の位置が変わってたとか、覚えのないことが起きてたりしない?」


「僕はいつも透明化薬は定位置にしまってるから、おかしなことがあればすぐに――」


 そこまで言うと、レヴィンは急に言葉を止めた。


「……どうかした?」


「あ、いや、少し前に一度だけ、あったなと思って……」


「何があったの?」


「透明化薬を使おうと思って瓶を取り出した時、なんとなく軽い気がしたんだ。前日は使ってなかったから軽くなるはずはないんだけど」


「中身は見た?」


「もちろん見たけど、残りの量を正確に覚えてなかったから、気のせいだろうと思って……」


 ヒルデの小さな不安はじわじわと膨らみ始めた。


「禁術のことを問い詰められて、解除薬研究も始めたばかりで、神経質になってたせいかもしれない。多分、量が減ったと勘違いしたんだと思う。だってここには僕しかいなかったんだから」


「でも、レヴィンだけしか入れないわけじゃない」


「え……?」


 夫の視線を受け、ヒルデは慌てて笑みを作る。


「な、何でもない。……私、レイさんに用事があって、研究の手伝いはもう少し後になってもいい?」


「気にしないで。用事があるなら先にそっちを済ませて」


「ありがとう。なるべく早く戻るわ」


 そう言ってヒルデは小走りに部屋を出た。


「ヒルデ・レーワルト、さっきからうろうろと何をしている」


 部屋を出たところで警備で立つ魔法戦士がヒルデを呼び止め、怪しむ目付きで見てきた。


「べ、別に、用事があって……私は部屋を出ることは止められてないわ」


「それはわかっているが、お前がここにいるのは夫の研究を手伝い、その透明の身体を治すためだと聞いている」


「そうよ。そのために私は動いて――」


「ではこれからどこへ行くんだ?」


「どこって……あなたに言う必要はないと思うけど」


「怪しいな。お前はその服を脱げば誰にも知られずに動けるんだ。夫と一緒にアカデミーでよからぬことをたくらんではいないだろうな……?」


「そんなこと、するわけ――」


「心配いらないよ。その人のお目付役は俺がやってるから。親父の命令でね」


 やって来たレイを見た魔法戦士は、ハッとした顔で姿勢を正した。


「そ、そうだったんですか? それならそう言ってください。こちらには何も報告が……」


「悪かったね。親父に注意しとくよ。……ヒルデさん、行こう」


 かしこまる魔法戦士の前を通り過ぎ、二人は廊下を進む。


「……院長の命令って、本当なの?」


「嘘に決まってるだろ。俺は部外者なんだから。ああいう面倒なやつには権力者の名を出すのが手っ取り早いんだ」


「アカデミー院長の息子っていうのも、便利なものね」


「時々はね。わずらわしいことも多いけど。……で、話は聞けた?」


「ええ。透明化薬がなくなったことはないけど、前に一度、薬の量が減ったような気がしたって。でもレヴィンは気のせいで片付けたみたい」


「レヴィンさんはそういうところ、大雑把なの?」


「いいえ。何事もきっちりしてるわ。研究に関してもね。扱う薬品もしっかり保管してる自信があるから、だから気のせいで済ませたのかもしれない。あの部屋に侵入できる人もいないと思ってるみたいだし」


「確かに、四六時中レヴィンさんがいる部屋に忍び込むのは難しい。でも就寝時を見計らえば見つかることはないだろ」


「でも入り口の警備には見つかるわよ?」


 これにレイはフッと笑う。


「侵入者がもしその警備の関係者なら?」


「……隊長さんってこと?」


「仮に隊長があの部屋へ入ろうと思えば、適当な理由で部下の警備を交代させたり、どかすこともできる。……多分、薬の量が減ったのは気のせいじゃない。隊長がばれない程度、盗んだのかも」


「何でそんなことを……?」


「まだ予想の段階だ。でもこれが当たりだったら大変だ。透明化薬が外へ持ち出されたかもしれないんだから。それで悪用でもされたら……」


「私と同じ人が増えることに……!」


「そんな事態にならず、俺の考え過ぎで終わればいいが……でも安心するためには隊長を確かめておくべきだ。親父にも一応伝えておかないと」


 そう言うとレイは院長室へ真っすぐ向かい、何も言わずその扉を勢いよく開けた。


「んなっ……またお前か! 親だからって礼儀ぐらいわきまえ――」


 ヘルマンが驚きと苛立ちで睨む視線には構わず、レイはつかつかと机に近付くと言った。


「そんなこと言ってる場合じゃないかもしれないんだよ。休職してるクライスト隊長をここに呼んでくれないか?」


「はあ? いきなり何だ」


「レヴィンさんが作った透明化薬が盗まれた可能性がある」


 ヘルマンは険しい表情になる。


「盗んだ犯人が、クライスト隊長だと言う気か?」


「そうかもしれない。それを確かめたいからここに呼んで――」


「証拠は? 犯人だという証拠があるんだろうな」


「証拠はまだ、ないけど……」


「じゃあ証拠を持って来てからこの話は聞こう。見ての通り、私は今仕事中で忙しいんだ。探偵ごっこをしてるお前の話を聞いてる暇はない」


「探偵ごっこじゃない! 俺はちゃんと考えて――」


「わかったわかった。その考えがしっかりまとまったら私の元へ来い。その時は時間を割いてやる」


「親父、真面目に聞いてくれって。一大事が起きてるかもしれないんだ。放っておく間に何か起きたら――」


「かもしれない、可能性がある……そんな程度でクライスト隊長を疑うことはできない。彼とは何度も話したことがあるが、誠実で礼儀もある立派な魔法戦士だ。彼が魔法薬を盗んだなどにわかには信じられない」


「そうかもしれないけど、俺の考えじゃ隊長はどこか怪しい。その疑いを晴らすためにもここに呼んでほしいんだよ」


「じゃあ疑う根拠となる証拠を持って来い。でなきゃ呼ぶことはできない」


 ヘルマンが上目遣いにじろりと見ると、レイは悔しげに歯噛みする。


「……石頭め!」


「どうとでも言え。わめくだけなら早く出て行け。仕事の邪魔だ」


 片手を振って追いやる素振りをする父親を一睨みして、レイは踵を返し部屋を後にする。


「……聞いてもらえなかったようね」


 廊下で待っていたヒルデは残念そうに声をかける。


「証拠証拠って、透明化薬が本当に盗まれてたらどうするんだよ。ったく」


「証拠を見つけるのは大変そうだけど……」


「だろうな。簡単に見つかるとは思えない」


 腕を組んでレイは考え込む。


「……仕方ない。最近の隊長について調べてみるか。そこで本当に疑うべきかどうか、判断してみよう」


「方法は? 本人に会いに行くの?」


「行きたいけど、住所を知らない」


「魔法で居場所をたどればいいんじゃないの?」


「そうするには隊長の私物が必要だ。でも警備部へ行って私物がどれか聞くってのは不自然過ぎる。あの事務員に住所を聞いても、部外者の俺に教えてくれるかわからないし……」


 するとレイの視線がちらとヒルデを見た。


「……何?」


「一つ頼みがあるんだけど、警備部内に忍び込んでくれないかな」


 その意図をすぐに察したヒルデは、頭を横に振って断る。


「だ、駄目よ! アカデミー内でそんなことしたら軟禁どころじゃなくなるわ」


「別に禁術を盗み見るわけじゃない。隊長の個人情報をちょっと見るだけだ」


「何をしようと、私が透明な身体を活かして行動するのは大きな疑いを招くことになるわ。ばれればレヴィンにも影響が――」


「透明化薬は外に持ち出されたと俺は思ってる。その犯人が隊長の可能性がある以上、こんなところでもたもたしてる暇はないんだ。今頃薬は第三者の手に渡ってるかもしれないし、すでに使われてるかもしれない」


「そもそも、薬は盗まれてないかもしれないわ」


「ヒルデさんはそう言い切れるの? レヴィンさんの話を聞いただろ? それでも何も疑わないの?」


 う、とヒルデは言葉に詰まる。量が減った気がするという話を、やはり気のせいだろうと思う気持ちもあったが、レヴィンのきっちりした性格を考えると、その時によぎった感覚を信じるべきだという気持ちもあり、ヒルデの意思はグラグラと揺れながら葛藤した。何より隊長が犯人だった場合、動かなかった自分のせいで後に大変な問題が起きたとなれば、疑念を持たれることを恐れて何もしなかったことを後悔するはめになるだろう。その可能性も決して低くはない。


「もしもの時は全部俺が責任を持つから。ヒルデさんは俺に脅されてやったって言えばいい。だから頼むよ」


 見えない顔に渋い表情を浮かべながらしばらく考えたヒルデだったが、その目をレイに向けると言った。


「……そのもしもの時は、絶対に責任を取ってよね」


 この答えにレイは笑みを見せた。


「約束する。でも大丈夫だよ。俺が事務員の気を引いておくから。ヒルデさんには十分な余裕を与える」


「前の、私の家でのことみたいにはならない?」


「今回は情報を見るだけで物を持ち出すわけじゃない。気配に気付かれさえしなきゃ簡単だ。じゃあ行こう」


 足早に階段を下りるレイの後ろを、ヒルデは不安を抱えながら付いて行く。ヒルデが一番避けたいのは侵入がばれることだ。透明なら確かに簡単なことだが、人がどんな時に気配を感じるかはわからない。一階へ向かいながらヒルデは一人気を引き締めた。


 階段を下り、警備部への廊下を進むレイは、その間にあるいくつかの部屋をのぞき、中の様子をうかがう。と、ある部屋の前で止まってヒルデに振り向いた。


「ここは応接室みたいだけど、今は誰もいないから、この部屋に服を隠せそうだ」


「そうね……そうしたら私はレイさんに付いて行けばいい?」


「ああ。俺が事務員を呼ぶから、合図したら部屋に入って隊長の情報を見つけてくれ。それを終えて部屋から出たら、俺に触れて合図して」


 わかったと頷き、ヒルデは応接室に入って服を脱いだ。それをソファーの下に隠し、レイと共に再び警備部の部屋を訪れた。


「……出向かれるとは仰いましたけど、こんなに早く来られるとは」


 叩かれた扉を開けた事務員は、つい先ほど来たばかりのレイがまたやって来たことに驚きつつも笑顔を見せて言った。


「たびたび悪いね。クライスト隊長のことなんだけど、他に聞きたいことができたもんで」


「はあ、何ですか?」


「俺、こう見えても探偵なんだけど、仕事で今、隊長のことを調べなきゃならなくて」


 事務員は丸い目を向ける。


「探偵とは知りませんでした。では先ほどもお仕事で?」


「そう。親父には言ってあるから何も心配しないで答えてほしいんだけど」


「私に答えられることなら。……ところで、なぜクライスト隊長について調べているんですか?」


「それは守秘義務に当たるんで……申し訳ない」


「な、なるほど。そうですよね。私が気が付かなくて……それで、聞きたいことというのは?」


「直接本人に聞ければよかったんだけど、あいにく住所を知らなくて。ちなみに、あなたは隊長の住所、知ってます?」


「いえ。でも、隊員の住所などは向こうの資料棚にまとめて置かれているので、それを見ればわかりますけど」


 そう言いながら事務員は部屋の隅の大きな棚に目をやった。その視線の動きをレイとヒルデはしっかり確認する。


「それ、教えてくれたりできないかな?」


「院長のご子息であっても、さすがにそれは……クライスト隊長の許可を得てからでないと」


 しかめた顔に笑みを作って事務員は断った。やはり予想通り教えてくれないとわかり、レイは次の行動に移る。


「そうだよね。無理なこと言って悪かったよ。それじゃあ代わりにあなたに話を聞いてもいいかな」


「はい。時間はあるので、構いませんよ」


「ありがとう。その、俺が隊長について聞いて回ってることは、隊長自身の印象を悪くしかねないから、小さい声で、こっちに来て話してくれないか?」


 廊下へ出るよう誘導するが、事務員がそんなことに気付くはずもない。


「でしたら、部屋に入ってください。そうすれば誰にも――」


「話を聞くだけだから廊下で十分だ。長居するつもりもないから」


「そうですか? 遠慮しなくてもいいのに……」


 そう言いながら事務員は部屋を離れ、レイが誘導するままに廊下へ出た。扉を開けっ放しの入り口には何の障害物もない。それを見てレイはヒルデがいるであろう方向に向けて小さく片手を振って合図をした。今だ――合図を受けてヒルデは気配を抑えながら警備部の部屋へ侵入する。


 事務机と休憩用のソファーなどが置かれた部屋内は、それほど物がなく質素な印象だ。広さも思ったほどなく、おそらくここは事務仕事のための部屋として使われ、隊員の鍛錬などはまた別の場所で行っているのだろう。それらを見回してヒルデは早速目的の棚へ向かう。先ほど事務員が見ていた資料棚に隊長の情報はあるはずだ。その引き出しに手をかけ、廊下の様子をうかがいながら静かに引く。中には紙の資料がぎっしりと詰まっている。だが分類した目印が挟み込まれているため、それを見れば隊員達の情報がどこにしまわれているのか、すぐに見つけられそうだった。ヒルデは音を立てないよう、だが手早く引き出しを探していく。


 一方廊下では、レイが情報収集と時間稼ぎのために事務員に話を聞く。


「休職前、隊長に様子のおかしなところとかなかった?」


「特には。私は普段通りに見えましたけど」


「会話も普通に?」


「はい。他の隊員とも、いつもと変わらない雰囲気で話していましたよ」


「私生活のほうはどう? たとえば、金に困ってそうだったとか」


「私は仕事上でしかお会いしないもので、私生活についてはほとんど知りません」


「でも少しは聞いたりするでしょ? 部下と遊びに行ったとか、こんな交友関係があるとかさ」


「ああ……たまにですけどね」


「どんな話を聞いた?」


「仰ったように、他の隊員や友人と酒を飲んで遊んだとか、その程度のことなら聞いたことがありますけど」


「その友人がどんな人だったとか聞いた?」


「いえ、そこまでは。根掘り葉掘り聞くのは失礼ですから」


 腰に手を置いたレイは、少し考えてから次の質問をする。


「……そういう話は隊員から聞くの?」


「はい。休憩時間なんかに一緒にいると、話好きの隊員が話してくれるんです」


「彼らは他にどんな話をしてくれた? 隊長への不満とか愚痴も言ったりするの?」


「不満や愚痴はほとんど言いませんよ。クライスト隊長は隊員に好かれる素晴らしい方ですから。あ、でも……」


 事務員は宙を見つめながら何かを思い出す。


「……何?」


「いや、不満とかではないんですが、前に隊員がクライスト隊長にご家族について聞いたことがあるんです」


「隊長は結婚してるの?」


 事務員は首を横に振る。


「いいえ。当時も今も独身のはずです。なので隊員はなぜ結婚しないのか、恋人はいないのかと何気なく聞いたんですけど、それにクライスト隊長は暗い顔で黙ってしまって」


「何か家族や恋に関するトラウマでもあるのか?」


「わかりませんが……クライスト隊長は幼い頃にご両親を亡くされているんです。だからそのことがふとよぎったのかもしれません。それ以来、家族、結婚、恋人などの話はクライスト隊長にはしないようになりました」


「ふーん……隊長の両親はどうして亡くなったんだ?」


「それは……」


 事務員は辺りに目をやってからレイに近付いて言った。


「心中、らしいです」


「心中? でも子供の隊長は生きてるけど」


「私も噂で聞いただけですから詳しくは知らないんですが、思うに幼いクライスト隊長のことは殺せなかったのではないでしょうか。だから夫婦だけで……」


「子供を残して心中、か……それもひどい話だけど……」


「あくまで噂話ですから。私も本当のところは知りません」


「ちなみにそれっていつの話なの?」


「えーっと、確か、クライスト隊長が五歳の頃の話だったと思います。なので三十年ほど前でしょうか」


「へえ、俺が生まれた頃の事件か――」


 その時、レイの背中をポンっと押す軽い感覚があった。この合図に気付いたレイは事務員に笑みを向ける。


「いろいろ聞けてすごく助かったよ」


「大したことは話していないですけど……」


「大したことじゃない話が、時に重要だったりするんです。それじゃあ俺は行きます。ありがとうございました」


「お仕事、頑張ってください」


 事務員に見送られ、レイは警備部を後にする。そしてその足で無人の応接室へ行く。


「……首尾はどうだった?」


 入り口からのぞくと、中から服を着たヒルデがすぐに出て来た。


「忘れないうちにレイさんに伝えておくわ――」


 ヒルデとレイは並んで廊下を歩く。


「住所は、西区ルンブーソン通り二丁目五番地。隊長は孤児院で育ったみたいね。そこから魔法戦士養成学校を経て今に至るみたい。その間、何度か引っ越しを繰り返したみたいで、住所欄には消された昔の住所があったわ」


「へえ……とりあえず居場所はわかったな。まあ、家に大人しくいるかわからないけど」


「早速行くの?」


「いや、その前に一つ調べたいことができた。隊長が孤児院に行くことになった原因について知っておきたい」


「何か気になることでもあるの?」


「気になるって言うか、念のためだけどね。隊長は五歳の時に両親を亡くしてるらしいんだ。図書館へ行けば当時の死亡記事が残ってるかもしれないから、ちょっと探してみようかなって。だからヒルデさんは研究室へ戻ってくれていいよ」


「そう、わかったわ。また私にできることがあれば声をかけて。薬が盗まれたのか真相も知りたいし」


「ああ。じゃあまた後で」


 廊下でヒルデと別れたレイは、そのままアカデミーを出ると、真っすぐ図書館へ向けて歩き出す。クライスト隊長は果たしてよからぬことをたくらんでいるのか、レイの頭にはすでに様々な可能性が浮かんでいた。

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