懐かないと言われました

 あれから数日ほど。


 結局、キノコイムにねだられて、移動できないままでいる。


 それどころか、あのヒゲの男は、


「おお、スライム、まだいたのか」


 と、わたしたちを見かけると声をかけてくるようになった。


 それどころか、キノコを好んで食べているキノコイムに、


「人間にゃこれは食えねーからな」


 と、丸太に着いたキノコを剥がして、投げてよこしてくるようになった。


 キノコイムは、すっかり懐いている。


「人間、ぜんぜん怖くないね!」


 と、今ではヒゲの男を見かけると、飛んで駆け寄るようになってしまった。


 わたしはそのふたりを見て、かつてのセイラと自分を思い出す。


 いい人間もいるのだ。


 スライムを可愛がってくれる人間もいる。


 けれど、人間と一緒に過ごしている限り、その人間以外とも出会ったり、関わりを持ったりする機会がどうしても訪れる。


 その人間まで、いい人間かどうか、わからない。


 それに、魔物に肩入れをする人間が、人間にとっても「いい人間」かどうかなんて、そんなの時と場合によるだろう。


 人間を食べるために人間を騙す魔物だって、いるはずなのだから。


「そっちのスライムは、ぜんぜん懐かねーな」


 ヒゲの男は笑って言う。


「チョピはね、人間がね、怖いんだって」


 人間には伝わらないのに、キノコイムはそう男に教えている。


 怖いというよりは、いつかどうせ別離が訪れるというのに、あえて仲良くすることもないかと思っているからだ。


 わたしは、街で最後に見たセイラの顔を覚えている。


 きっと、最後は悲しい顔をさせてしまうのだ。


 でもそれを、キノコイムに話して聞かせても、仕方がない。


 きっと理解は得られない。


「さ、仕事に行くぞ」


 近頃のヒゲの男は、キノコイムを肩に乗せて森の中へ出かける。この男は、木を切って生活をしている。切った木を、薪にしたり、木材にしたり、炭にしたりして、たまに背中いっぱいに背負って出かけている。どこか歩いて行ける場所に、人間が住んでいる村か町があるのだろう。


 人がいないところへと旅したつもりなのに、意外に、人間の生存圏からはまったく離れていなかったわけだ。


 わたしは少し後ろから、ぴょんぴょんとついていく。


 キノコイムのことを放っておいて山小屋付近で待って置くというのも最初は考えたけれど、たったひとりの仲間だ、何かの際に離れ離れになることもある。なるべく一緒にいようと思った。


 わたしのそれは予感だったようだ。「何かの際」は、もうすぐ目の前にあった。


 ヒゲの男が木を切り始めた。使い込んだ斧で幹を叩く、コーン、コーンという大きな音が響く。木の枝の揺れる音で周囲がざわめく。


 そのうちメリメリと木の裂ける音がする。ザザーンと轟音を立てて木が傾き倒れ、ドンっと地面を揺るがせる。


 それから倒れた木の枝を一本一本、丁寧に払う。


 丸裸になった木を、木材にするのにちょうどいいという大きさにノコギリで切る。


 木の枝は、まとめて一抱えずつ、紐で縛る。紐は、蔓を使ったり、木の皮を使ったりして作っているようだ。ヒゲの男がかまどで使っているのは、この枝をよく干したものだ。


 この後は、木の皮の部分を取り除き、真四角にしたり、それをさらに小さく切って、売り物になる薪にしたりする。


 いつもの作業を眺めているうち、それほど遠くないところから、


「おーい、おやっさーん」


 と大きな声が聞こえた。


 知らない人間の声だ。


「そっち行くから、木を倒すんなら、ちょっと待ってくれー」


「おおー、いいぞー」


 ヒゲの男の仲間なのだろう。わたしは、


「キノコイム、こっちに来なさい」


 と呼んだ。


「えっ、なに?」


「知らない人間が来る」


「隠れるの? 大丈夫だよ、心配性だね」


「襲われても知らないよ」


「もー、怖がらなくても平気だって」


 キノコイムは文句言いながらも、わたしのところまで来た。


 ヒゲの男が木を切り倒したせいで少し開けた場所。そこから離れて、木が多く、蔦もよく茂っていて、隠れる場所がたくさんあるところだ。


「安全な人間ならいいけど、人間によっては、顔を合わせるなり武器を持って襲いかかってくるのもいるんだからね」


「はーい」


 多分、まったく信じていない。無理もない。そんな人間を、この子は見たことがないんだから。


 わたしと分裂する前の記憶も残っていたら便利なのに。


 そういえば、分裂する前の記憶が残っていないということは、わたしの記憶や知識はどこから来ているのだろう。


 そんなことに気を取られる間もなく、見知らぬ男が森の中から現れた。


「や、久しぶりだね」


「どうしたんだ、今日はやけに大勢じゃないか」


 男の後ろには、他にもたくさんの人間がいた。


 あれは冒険者だ。鎧を着て、剣を持っている男がいる。杖を持ってローブを着た、魔法使いのような女もいる。同じくローブを着た小柄なのは腰に短刀を付けていて、すばしっこそうだ。


「ああ、今日は道案内を頼まれてね。この山の向こうまで行きたいんだと」


「山の向こうまでか。そりゃあまだまだ先が長いな」


「そうそう。それでな、ちょっとおやっさんところで休憩させてもらえないかな」


「そりゃ構わんが、今から休憩してちゃ日が暮れるぞ。どうせなら泊まっていけ」


「ありがたいね。遠慮なくそうさせてもらうよ」


 ヒゲの男は立ち上がり、屈託なく笑う。


「さ、行くぞ」


 キノコイムは、それを見て、いつものようにヒゲの男の肩に乗ろうと思ったのだろう、わたしたちが隠れていた場所からピョンと飛び出た。


 あまりに突然だったので、わたしも止め損ねた。


 まるで警戒心なく、ヒゲの男へと真っ直ぐに向かい、その肩へ飛び乗ろうとした。


「おっさん、危ねえ!」


 ヒゲの男も、わたしも、止める間もなく、剣を持った男がキノコイムを切り払おうとしたのだ。


 わたしは咄嗟に飛び出して、キノコイムに体当たりをした。


 ふたりの体がぶつかって、ポヨンと跳ねて、飛んだせいで、間一髪避けることができた。


 本当に、心底、肝を冷やした。


「ちょっと! いきなり、なにするの!」


 キノコイムはその場でぴょんぴょんと飛び跳ねて、剣の男に抗議をしている。


 けれど、当たり前だが逆効果だ。人間には、怒って攻撃的になっている姿にしか見えないだろう。


「まっ、待ってくれ、こいつは」


 ヒゲの男が声を上げて止めようとしてくれている。


 けれど、剣を抜いた男がそう簡単に止まるわけがない。


 悪気がないからだ。


 人を助けようと、正しいことをしようとしているからだ。


 自分が戦わないと、『おっさん』が怪我をしてしまうと、思い込んでいるからだ。


「キノコイム! 逃げるよ!」


「ええ⁉︎」


 キノコイムは、最初、納得いかない顔をした。


 それから、ヒゲの男と、剣を構えて臨戦体制の男と、それからその背後の魔法使いが詠唱を始めていることに気がついて、逃げることに決めたようだ。


「わかった! 逃げる!」


 わたしたちは連れ立って、全速力で駆け出した。


 森の中に飛び込み、蔦に飛び移り、木の上に飛び上がり、後ろも見ずに……。


「チョピちゃん⁉︎」


 その声に、わたしは、つい振り返った。


 冒険者の最後の一人、小柄なローブの人間が、そう言った気がした。


 フードが深くて、顔が見えなかった。


 戻っている余裕はない。確認なんてできない。


 わたしはそのまま、キノコイムと一緒に走り続ける。


 セイラの声みたいだった。


 木の上の、枝から枝へ、蔦から蔦へと飛び移りながら、わたしは祈るように思う。


 セイラだったらいい。


 旅をしたいと言っていた。それが叶っているなら、そうだったらいい。

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