第二章 森のスライム
キノコと邂逅しました
ゴトゴトとのどかに揺れる馬車の荷台から、わたしは周囲を伺う。
セイラと一緒に歩いたのと同じ、田舎の土の道だ。石も落ちているし、窪みも出っ張りもあるから、とても揺れる。
馬車には前方に、馬の手綱を持っている人間が一人。
それから馬車の横に、剣を持った騎馬の人間が一人。
荷台の中にも人間が、長い杖を持った女と、たまに手綱を握っている男とで、二人だ。
二人とも、わたしの存在には気づいていない。
街はもう見えないくらいに遠くなった。
わたしのいる荷台の後部からは、街から出てきた道が真っ直ぐに続いている。遠い地平線まで、緑の草原と、荒れた土ばかりの場所と、その間を薄茶色の道が細く続いている。
「えいっ」
わたしは荷台から飛び降りた。騎馬の人間にも気づかれなかったようだ。剣を持って馬で追いかけられたら、さすがに逃げきれなくて、わたしはこの人間の経験値になっていただろう。
近場の草むらに逃げ込み、馬車が遠く過ぎ去るまでじっと息を殺した。
「さて、どこに行こうか」
元の群れに戻るのは、多分、難しい。距離もあるし、そもそもセイラの村まで戻れたとして、そこからどう行けば仲間に会えるのかわからない。
それに、旅をするなら、一人で身軽なほうがいいかもしれない。
草さえ生えているところなら、わたしは生きていける。
わたしは気の向くままに進むことにした。
人に見つからないように、道からは離れるようにした。
水が欲しいときは、草についた露を飲んだ。
お腹が空いたら草を食べて、疲れたらその場で眠った。
起きればまた、そのときに気が向いた方角へ進んだ。
太陽がわたしの上を何度も通り過ぎていく。
朝と夕方には、鳥の群れがゆっくりと飛んでいくのが見えた。
草むらで見かける動物は、ネズミやウサギ、モグラなんかの、小さな生き物だ。
稀に見かけるイヌやキツネ、タヌキとかは、わたしを素通りして、その小さな生き物をとらえて食べている。
一匹のはぐれたスライムは、餌としても素材としても価値がないから、自由なのだ。
何日も歩いているうちに、だんだんと木が増えてきた。
最初は低木ばかりだったけれど、進むうちに高さが増してきた。
山を登っているような傾斜は感じなかったけれど、わたしは森の中に来てしまったようだ。
草原と違い、足元は落ち葉でふかふかしていて気持ちがいい。上等な絨毯のようだ。
上を見れば枝の隙間から太陽が差し込んで、まるで光のカーテンのようだ。
木の上では大きな尻尾がゆらゆらと、リスが走っている。
わたしもそこに登れるだろうか。
ジャンプしてみたけれど、一番低い枝にすら、なかなか届かない。
「んー、ダメか。意外に難しいな」
わたしは周囲を見まわした。
木の幹にはいろんな種類があった。色も、触り心地も違った。それに、緑色の蔦がぐるぐる巻きになっているものもあった。
「あれなら登れそうだな」
わたしは蔦を辿ることにした。
ポヨンポヨンと跳ねて、失敗したら転げ落ちたけれど、スライムは落下したくらいでは痛くない。
何度も失敗するうちに、足場になるほどにしっかり張り付いた蔦と、乗っても滑り落ちるかわたしの重さで剥がれ落ちるかする蔦の見分け方がついてくるようになった。
ようやく、枝の一つに飛び移ることができた。
そこから見た景色は、そんな素晴らしいものじゃない。
茶色い落ち葉の絨毯が、さっきより少し遠くまで見える。
目の高さには他の木の枝がたくさんあって、むしろ見通しが悪い。
上はというと、近くなっただけで地面から見ているのと同じだ。
だけどわたしは満足だ。今わたしの顔をポカポカと照らしている木漏れ日は、さっきわたしが光のカーテンだと思った陽の光だ。その中に今、わたしはいるのだ。
「セイラとも来たかったな」
枝から枝へ、リスは忙しなく走り回っている。わたしの顔を見ても、一瞬立ち止まるだけ、すぐにどこかへ行ってしまう。
もう少し上の方まで登ってみようか。
そこでわたしは、見上げた枝に、キノコが生えているのを見つけた。
「……食べてみようか」
普段は青草を食べているけれど、この森には草原にあるような草があまり見られない。食べるとしたら、この蔦の葉になると思う。
草原では食べ慣れた、というよりも、スライムの食料として唯一認識している草がいくらでもあったので、キノコを口にしようなんて思いつきもしなかった。
けれど、わたしは今は興味津々だ。
蔦を食べてしまうと、木の上り下りに困ってしまう。
木の葉っぱは、ちょっと固そうだ。
キノコは黒い枝に沿って、綺麗なベージュ色の傘を並べている。
わたしは近寄ってみた。
匂いを嗅いでみた。
嫌な匂いはしなかった。
食べられそうな気がする。
「いただきます」
ひとくち、齧ってみた。
「……悪くない」
キノコの香りがいいなんて今まで思っていなかったけれど、口一杯に広がるなんとも言えない芳香は、食欲を刺激してくる。
次のひとくちは、ガッツリ行った。
噛み締めれば噛み締めるほど、口の中に甘みと旨みがいくらでも広がる。
「おいしい!」
わたしは喜んだ。こんなおいしいものを今まで食べずに生きていたなんて。
これを知ることができただけでも、わたしは、旅に出てよかった!
「……ん?」
目の前が一回転した。
わたしは地面の上に落ちて、バウンドしていた。
ぽんぽんぽん、と跳ねて転がって、止まった位置で、わたしはうずくまる。
お腹の中が、変だ。
「……毒?」
葉っぱにも、毒があるものはある。ただ、これまで生きていた中で、他の動物にとって毒でも、スライムにとってはなんともないものばかりだったのだ。
「キノコの毒はダメだったか……」
わたしはもんどりうって、地面の上をのたうちまわる。
これはやばい、普通じゃない、おかしい。
わたしはぼんやりと死を覚悟した。
「旅に出たばかりでキノコを食べて死ぬなんて、間抜けすぎる……。だけど、まあ、いいか」
ついさっき、「これを知ることができただけでも」なんて言ったばかりだ。間抜けだけれど、わたしのようなスライムには、この旅だけでも大冒険なはずだ。
何せ、人間に追われ、街を抜け出し、馬車に忍び込んで、そこから歩いて森の中にまで来たのだ。
ただのスライムひとり旅にしたら、上出来じゃないか。
「旅に病んで〜……。ええっと、なんだったかな」
何か思い出しかけて、すぐに忘れて、ゴロゴロ転がりまわっていたら、お腹がすごく膨らんできた。
「なにこれ、怖い」
風船みたいに、どんどん膨らんでくる。しかも、さっき食べた毒キノコと同じ色になってきた。これが毒の効果か。
いや、毒というよりは……。
ポヨン。
膨らんだ場所が、わたしから離れた。
膨らんだ場所が、地面の上を、ポヨンポヨンと飛んでいる。
ベージュの物体は、振り返って、わたしの顔を見た。
スライムだ。
「……分裂の予兆だったのか」
わたしより一回り小さいスライムは、わたしの周りをぴょんぴょんと飛び回っている。
生まれたばかりでまだ言葉でのやり取りはできないけれど、わたしに懐いていることはわかる。
「でも、変な色だなあ」
ベージュのスライムなんて見たことがない。
と、つぶやいたわたしの言葉の意味を理解しているようで、スライムは、
「ピャーッ」
と奇声を上げた。
同時に、口から紫色の液体を吐き出した。
しかもそれは毒だったようで、茶色の落ち葉をじわじわと溶かしている。
「え、こわ」
毒を吐くスライムなんて聞いたことも見たこともない。
おそらく、ほとんど間違いなく、キノコを食べたせいで生まれた子だ。
本人は自慢げな顔をしているけれど、こんな奇天烈なスライムがわたしから分裂したなんて、ちょっと信じがたい。
しかし、まごうことなく、わたしから生まれたのだ。
「まあまあびっくりしたけど、とにかくこれから、よろしく」
スライムはニコニコ、ぴょんぴょんとしている。
毒も何かに役立つこともあるかもしれない。
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