スライム謳歌論

武燈ラテ

序章 草原のスライム

自我が芽生えました

 見渡す限りの大草原の真ん中だ。


 パンと晴れ渡った真っ青な空には眩しい太陽が輝いている。


 吹き抜ける風は爽やかに、草むらをさらさらと鳴らしながら駆け回っている。


 わたしはスライムだ。いつ生まれたのか、いつから意識があったのかはわからない。


 何となく、目が覚めたら草を食べ、また眠ってを繰り返していて、ふと、


「あ、これ、スライムだ」


 と気がついたのが、今だ。


 この体は、スライムなのでは。


 こうなれば確認したい。何とかしてそれを確かめようと、自分の姿を見ようと、考えた。


 例えば鏡でもあればすぐに解決するのだけれど、こんな草原の真っ只中に、そんなもの、あるわけがない。


「鏡? 鏡っていうものを、なんで知ってるんだろう?」


 わたしは不思議に思った。スライムにも「首」があるのなら、首を傾げたい気持ちだ。生まれてこの方、草と、空と、仲間と、それだけの世界で生きていたはずなのだ。


 まあ、ないものについて考えていても時間の無駄だ。


 わたしは水辺に移動することにした。澄んだ水があれば、姿を映すことは可能だ。


 それには心当たりがある。我々が水場にしている池はそう遠くない。


 スライムの移動方法はジャンプだ。他の動物のように四肢があるわけでないから、足を交互に前に出して進むことはできない。


「何でこの体でジャンプできるんだろうなあ」


 歩き方や走り方をいちいち意識しないのと同じように、これまで、どうしてジャンプできるのだろう?なんて考えてなかった。


 丸っこくて、ぷにぷにの体。


 ゆっくり動かしてみる。ジャンプするぞ、と。


 そうすれば、体の中の、流動的な部分、水分が、ぐるぐると渦巻きはじめる。


 エイッ、というところで、その水流が体表越しに地面を押す。


 すると、体がぴょんと飛び上がる。


 飛び上がっているうちも、ずっとぐるぐるしている。


 着地と同時に、また渦が、地面を蹴る。


「なるほどー、こうなってるのか」


 水流をゆっくりにしたり、早く強く動かしたりは、簡単にできる。それで少しずつ動いたり、または大ジャンプをしたりできる。


 体表面は、微小ながら粘着力があるようだ。それで地面の上の草を捉えて、踏み込むことができる。滑らないのはそのためだ。


 さてさて、池にはすぐに辿り着いた。


 さほど大きくはない。山のほうから続く川が、この辺りで枝分かれて溜まってできた、まあ水たまりのようなものだ。しばらく雨が無ければ干からびるし、逆に雨が多ければ濁って、酷ければ周囲の草が生えているところまで水の底にしてしまう。


 今日は池の機嫌もよい。透き通って、底の砂までよく見える。水面のさざなみが太陽の光でキラキラ光って、その下にゆっくり泳ぐ小魚も呑気そうだ。


 そこに自分の姿を写してみた。


 果たしてやはり、スライムだ。


 水滴のような形をしている。色は水色だ。目はあるけれど、口はどこかよくわからない。ぷよぷよとゼリーみたいだ。飛び跳ねてみたその姿はスーパーボールみたいだ。


「さっきからおかしいな。ゼリーとか、スーパーボールとか、何なんだろ」


 どうにも少々、ないはずの知識がある。


 記憶のない、物心のつく前に、この草原ではないどこかで暮らしていたのかもしれない。


「何してんの? お水、飲まないの?」


 そこに声をかけられた。やってきたのは同じスライムだ。見た目もわたしとまったく同じ。オスでもメスでもない。スライムに雌雄は存在しないのだ。


「先に飲ませてもらうよ〜」


「いいよ、どうぞ」


 わたしは少々体をずらして場所を譲った。水を飲むにもベストポジションがあるのだ。草が生えすぎていると立ち位置が落ち着かないし、岸から水面まで離れすぎているのもよくない。ちょうどよく石が出っ張っていたりして平坦で、それからスライムが顔を伸ばしてもじゅうぶん届く距離に水面があるのがベストだ。


 仲間のスライムが勢いよく水を飲んでいる。口がどこにあるのかよくわからなかったけれど、ちゃんと目の下についていたようだ。そこで吸い上げるようにして飲んでいるけれど、体積よりも多い量をすでに摂取しているように見える。


 わたしはそのスライムと一緒に群れへ戻ることにした。今来た道を戻るわけだ。


 どうもスライムは、個人……ではなくて、個体の意識が薄い気がする。自分というものの境界がはっきりしていない。この仲間のスライムも、群れのスライムも、個体としては別物だとわたしも頭ではわかっている。けれど、どうも、


「他人であって自分でもあり、自分も他人の一部であり、群れの一部」


 という感覚がある。


 群全体で一つの生命だと感じている。


 単純に、分裂で増えていくから


「あっちのスライムも元々は自分、こっちのスライムは昔分裂したスライムからさらに分裂したやつ。今はちょっと離れているけれど、元々、自分」


 という認識なのだろう。


 だとすると、さっきから妙に、ゼリーとかスーパーボールとか、見たこともないはずのものを思い出すのも、どこか昔に分裂した仲間が見ていたものだということなのかもしれない。


 それにしてものどかだ。


 この草原がどこまで続いているのか、わたしは知らない。けれど今のところ、十数匹程度のわたしの群れの仲間が日がな一日ずっと草を食べ続けていても、まったく減るような様子はない。食べ物はいくらでもあるのだ。


 雨風に吹きさらしの生活ではあるけれど、スライムの体は濡れたところでまったく気にならない。暑いと垂れそうにはなるし、寒いと動きにくくはなるけれど、それに不快感はない。


 捕食されるかというと、そもそもスライムはほとんど水分だけで、栄養がないから、獣も好んでは襲わない。鳥や虫のほうがよっぽど人気だ。


 だから、天敵といえば、人間なのだ。


「人間が来たぞー!」


 噂をすればこれだ。


 わたしたちは十数匹まとめてぴょんぴょんと跳ね、必死に逃げる。


 人間たちも、別に、わたしたちを食べるために襲ってくるわけじゃない。


 追いかけてくる人間は、まだ子どものようだ。三人。オスが二人に、メスが二人だ。長い棒切れを持っている。


 スライムは、こういう『未熟』な個体に、『狩り』を覚えされるのにちょうどいい、と思われているのだ。


 現に、成長した個体や、金属の装備品を身につけているような強い個体は、スライムを見つけても無視をする。


 こちらから襲ったりしない限り、しつこく追いかけてくるのはほとんどが子どもだけだ。


 わたしたちに個体差はほとんどない。みな同じくらいの高さまでジャンプして、同じ速度で逃げている。わたしは今ほとんど最後尾にいるが、ただ初動位置が悪かっただけだ。


 子どもたちは大きな声を上げながら、棒を振り回している。


 捕まったら、その棒で殴られてしまうのだろう。


 スライムは丈夫だが、体表膜が破れてしまうとそれ以上は活動できない。つまり死んでしまう。


 わたし自身が死ぬこと自体はもちろん『全力で回避』するけれど、大きな恐怖は特にない。何よりも、群れが全滅しないことが最優先なのだ。


 きっと、アリやハチもそんな意識で動いているのだろう。


 だから、仲間のひとりが、うっかり足場の悪い所に着地してしまい、バランスを崩したところや、そこに子どもが棒を振り下ろすところが見えたときに、


「助けなきゃ!」


 と体が動いた。


 それは、自分の足を攻撃されかけたときに、腕を出して庇うのと、似たようなものだ。


 わたしは仲間に体当たりをした。


 ぼよ〜んと跳ねて、仲間は前方へ飛ばされていく。


 群れの真ん中あたりに落ちていったのを見て、あれなら助かりそうだと安心した。


 代わりに、今度こそ最後尾になったわたしの体には、子どもが振るう棒切れが叩き落とされた。


 もちろん痛いわけではない。体は液体だから、むにょんと歪むだけだ。


 しかし、繰りかえし打撃を加えられると、いつかは体表膜が破れてしまう。


 そうなるとおしまいだ。


 逃げたいのに、殴られたせいで体内の水分がうにょんうにょんと揺れて動いて、なかなかジャンプができない。


「待って、なぐっちゃダメ!」


 人間のメスの声がした。


「弱らせないとすぐ逃げるぞ」


「でもダメ! ダメだからね!」


 オスの子どもの二人は、今度は棒切れではなく麻袋を持って襲いかかってきた。


 わたしはあっという間に袋に詰められた。


 袋の口は固く絞られて、わたしは外に出ることができなくなった。


 麻袋の網目は緩いから、外の光は入ってくる。大きな隙間を探したら、外を覗けるくらいの穴もあった。


 けれどさすがにその小さな穴は、逃げられるほどのものではない。


 わたしは、叩かれることもなく、殺されることもなく、子どもに連れ去られることになった。


 わたし自身の先行きは非常に不安だけれども、仲間は他には一匹もやられていないのだから、群れは無事だろう。


 あそこでわたしの分身たちが元気に数を増やしていってくれるのなら、それでじゅうぶんだ。


 わたしのスライム生はこれで満足といったところだ。


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