第5話 宮ノ内優斗という男。

病院の一室。


近藤章雄は自分自身に起こっている事態に対応できずに混乱していた。今日の朝まで大企業のトップとして仕事をこなしていたはずが、宮ノ内優斗が現れてから一気に地獄に堕とされた。もう自分に頭を下げる者も媚び諂う者もいなくなった。友人だと思っていた者は皆、電話にすら出てくれない。


そんな章雄の横で妻、由美子が疲れた顔をこちらに向けていた。


「何でこうなったんですか?」


「茉莉奈が⋯あの子が⋯俺は育て方を間違えた⋯」


「茉莉奈が何をしたんですか?」


由美子は窓の外をずっと眺めている茉莉奈に顔を向ける。茉莉奈の手にはスマホが握られているが、LINEの通知音が病室に虚しく鳴り響く。


「友達だと思っていたのに⋯今は死ねとかいなくなって清々するとか⋯何で⋯何で私がこんな目に遭わないといけないの!?」


そう言って鳴り続けるスマホを床に叩き付けた。


「ん~それは自業自得じゃないかな?」


声がする方を見ると、病室の入口に立っている圧倒的な美貌の男。近藤章雄は反射的に点滴を抜いてベッドから転がり落ちると王者の風格漂う宮ノ内優斗の前に行き土下座をする。点滴を無理矢理抜いたので腕からは血が流れ、髪は酷く乱れていても気にせず床に頭をつけている夫の姿は酷く惨めで由美子は無意識に目を逸らしてしまう。


「宮ノ内さん!お願いです⋯お許しください⋯。何でもしますので⋯会社だけは⋯どうか⋯」


「はは、何でもしてくれますか?ん~⋯じゃあここにいる近藤茉莉奈、貴方の娘を今すぐ殺して下さい」


「は?」


宮ノ内があまりにも普通に言うので、理解するのに時間がかかっている章雄より由美子が先に反応する。


「あんた!自分が何を言ってるか分かってるの!?イカれてるわ!」


由美子は宮ノ内に掴みかかろうとするが、彼の側にいた香坂に簡単に拘束される。


「離して!警察を呼ぶわ!!この男を絶対に許さない!!」


喚く由美子を無視して茉莉奈に近づいて行く宮ノ内。


「じゃあ⋯自分で死んでくれるかな?」


美しい笑顔で恐ろしい言葉を言い放つ宮ノ内にガタガタと震えるしかない茉莉奈。


「君の性格からして愛華に仕返しを考えそうだろ?私はそれが心配で心配で仕事が手につかなくなる。いい考えはないか⋯そうだ!君がいなくなれば愛華も安全だし、私も安心して仕事ができる。どう?いい考えだろう?」


「⋯狂ってる⋯あんたは狂ってるわ!!」


泣き喚く妻と怖くて失禁する娘を見ても、笑顔のままの宮ノ内が悪魔に見える章雄。


「あんた達の娘がやった陰湿ないじめはそれはそれは酷いものだよ。暴力は当たり前、男を使っての暴行未遂もあったな。被害者の一人は自殺未遂をして今でも病院に入院している。娘のやった事の方が十分狂っているだろう?」


宮ノ内の問いかけに何も言えない章雄。そして宮ノ内は最後に茫然自失の章雄の耳元で悪魔の囁きをする。


「娘をこのまま生かしておいてもまた貴方の人生が狂わされるかもしれない。これ以上狂わされたら⋯ねぇ?」


章雄は失禁して震えている娘を見る。確かにずっと問題を起こし続ける娘の尻拭いをしてきた。その度に注意するが全く効かずに更に問題を起こしては金で解決するのが日常茶飯事になっていた。だがいつ表沙汰になるか危機感を持っていたのは事実だが、まさか一晩で全てを失う事になるとは思っていなかった。


(茉莉奈のせいで⋯俺の人生は終わった⋯こいつのせいで!!)


章雄はいきなりフラリと立ち上がるがその顔は常軌を逸していた。夫の異変に気付いた由美子が必死に止めるが、それを押し退けて娘に近づいて行く。それからすぐに由美子の悲鳴と章雄の奇声が病室中に響き渡るが、宮ノ内は振り返る事なく部屋を後にした。だが、そんな宮ノ内に改めて恐怖を覚える香坂。


「⋯代表。近藤章雄は娘を殺しましたよ。極限の精神状態の者にあんな事を吹き込めば⋯」


「言ったでしょう?自業自得だって。さて、愛華に何て説明しようか?怒られるかな?」


「高島愛華と代表は一体何なんですか?たかが恋愛感情なんかで貴方が動く訳が無いですし、それに貴方には皐月さんという婚約者もいるんですから」


だが次の瞬間、香坂は自分が言った事を後悔した。


「気安く愛華の名前を呼ぶな。お前に私の何が分かる?」


宮ノ内の射殺す様な冷たい視線が香坂に突き刺さる。


「⋯申し訳御座いません。失言でした。」


「さて、仕事を片付けて愛華を迎えに行かないとね」


そう言って宮ノ内優斗は騒がしくなり始めた病院を後にしたのだった。





スマホを握ったまま寝落ちしてしまった愛華は、いつもの様に母親に起こされて急いで身支度をする。階段を急いで降りてリビングに向かうと、朝食の良い匂いが愛華の胃袋を刺激する。


(ああ!今日は早く登校しようとしたのに!!)


「愛華、怪我は大丈夫なの?」


朝食をテーブルに運びながら、娘の怪我をした手を心配そうに見る母親。


「うん、全然平気だから心配しないでよ!」


「でも心配だから今日学校終わったら病院に行くわよ?」


「もう痛くないよ?」


「一応よ。私が心配なの!」


母親の娘を心配する言葉に何も言えずに頷くしかない愛華。朝食を食べ始め、何気なく聞こえてくるテレビを見た愛華はは驚愕する事になる。


『近藤グループの前社長近藤章雄容疑者(47)が入院中の病院で長女を殺害するという⋯』


ニュースキャスターが話す内容に眩暈がして、急いでテレビを消してしまう。


「ちょっと何で消すのよ」


「⋯ごめん、食欲なくなった⋯。」


「急にどうしたの?本当に大丈夫なの?」


母が心配そうに愛華を見つめるが、彼女の心情はそれどころでは無い。


「うん。もう学校行くね⋯」


軽い吐き気がするが、今はあの男に確かめたい。そう思い、急いで昨日別れた場所まで走って行くとあの男は高級車の中から何食わぬ顔をしてこちらに手を振ってきた。愛華は車のドアを開けて宮ノ内を睨み付ける。


「⋯あんたが殺したの?」


「いきなりだね。まずは挨拶⋯「いいから答えなさいよ!!」


「いや、“私”では無いよ。愛華もニュースを見ただろう?」


「騒ぎになりますので車に乗って下さい」


運転席から降りてきた香坂にまた捕まりそうになるが、蹴りを入れて何とかこの場から逃げ出した。


(あいつに関わると危険だ!!)


愛華は今にも発車しそうなバスに逃げるように乗り込みながら、花森学園に転校した事を後悔したのだった。

















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